「昔、大里家にシマリバー(女)とアカツミー(男)が住んでいた。ある日、アカツミーがイシキ浜で漁をしていたところ沖の方から白い壺が流れてきた。アカツミーは壺を拾おうとするが沖に戻されてなかなか取れない。そこでアカツミーは一応帰り、そのことをシマリバーに話した。シマリバーは、まずヤクルガー(井泉)で身を潔めて白い着物を着て挑めば取れると教えてくれた。アカツミーはその教えどおりにしてふたたびイシキ浜に行った。さきほどまでどうしても取れなかった白い壺が、ふしぎなことに難なくアカツミーの白衣の袖に入った。その白い壺には麦、粟、アラカ、小豆の種が入っていた。麦と粟はハタスというところに植え、壺はそこに埋めた。麦、粟はここからシマ中、クニ中にひろめられた」
「神の歌はその場にならないと歌えない。その刻になると自然に神が歌わせてくれる」
(日本人の魂の原郷 沖縄久高島 比嘉康雄著より)
浜で出会ったおばぁはこの神話の歌を歌ってくれた。
それが神歌なのかどうかは分からない。
だが、おばぁは歌い、熱心にその話をしてくれた。
海を見ながら。
久高島の神が、神女であろうおばぁを通じで、何を伝えてくれたのか?
「豊穣」「女性」「母系」「母なる地球」。
このときの情景を思い出すとそんな言葉が浮かぶ。
そして、豊穣の女神 シュメールからの守護神でもある、女神イナンナを思い出す。
女性性
創造性
生命力
つながり
先の時代から続く呪いともとれる恐れを手放し、閉じ込めていた魂を解放する。
扉が開かれた。