縁結びの神とされる菊理媛神。
人間だけではなく、神と神の縁もつなぐのかもしれない。
それは4月24日hikariワークショップが終わったあとだった。
お話相手の縁だったのか、ふと菊理媛神が浮かぶ。
東京にある白山神社へは以前お参りしたことがある。
その後の神旅でもちょいちょいと菊理媛神との縁がつながっていた。
この日はなぜか強く語りかけられた。ん?呼び出しか?
ゴールデンウィークは、新潟を経由して実家の福島へ帰省を予定していた。
新潟。
その地に縁のある知人友人は多い。さらに実家のある福島の隣の県・・なのだが、わたしの実家が海側のため、近いようで遠い場所だった。
ただ以前からこんなことを考えていた。
歴史に残る多くの名僧たちの流刑地。いまの北陸地方や新潟県。越前、越後。
その当時の権力者からするなら、民衆のこころを掴み、先導する神仏の教えは政には邪魔だったろう。
時代、場所は違えど、雪深い過酷な環境へ僧たちを送り出せば、生きて都の地を二度と踏めないかもしれない。それは、ひとつの魔女狩り的な処置だったのではないだろうか。
人間都合でこの世界をいいようにするには、天の真理を伝える者は邪魔。天と地がつながっては都合が悪いのだろう。
しかし真理を伝える者が天から守られないはずはない。
僧たちが送り出された先は、大宇宙の采配による選ばれた土地だったように思う。
その当時の越後がどのような地だったかは分からない。
名僧たちがいっときの住処にするほど波動が高い土地だったのか、反対に波動が落ち、暗いエネルギーを有する土地だったために、天と地をつなぐ魂を続々と送って寄越す必要があった土地だったのか。
どちらにせよ、今回訪れた先、南魚沼は自然界と人間界の調和がとれているように思えた。
その地を守る地霊がさほど騒がしくないからだ。
さて、今回の神旅で最初に訪れたのは、越後一の寺といわれる雲洞庵。
越後といえば上杉家。このお寺も上杉景勝と直江兼続のゆかりの寺だという。
苔に覆われた仏、目や鼻などが見えない。だが、不思議なことに、顔をまっすぐ前に向けていたはずの仏が、こちらがスマートフォンを向けると、視線を向けてくれるような気がした。
何度繰り返しても、カメラ目線。ありがたいやら笑ってしまうやらだった。
しかし、どこの神社仏閣、それに類する聖地や自然を訪れると、賽銭なのだろうが、お金が上がっていたり、水に投げ入れられたりしている。その地を守る方がNoと言わないのであれば、賽銭の場合には罪穢れの「祓い」になるのだが、これが石が積んであると、ひとの想念、情念が漂っているので、積まれた仏たちをみると、わたしは少々気の毒になる。
雲洞庵の敷地や建物内は広く、ゆっくりのんびりと見学することができた。
その次に訪れたのは、毘沙門堂。
歴史は古く、807年に坂上田村麻呂が創建したという。
上杉謙信についてあまり詳しくはないのだが、武神・闘神である毘沙門天を崇拝し、自らを「毘沙門天の生まれ変わり」といっていたらしい。
なるほど、毘沙門天に後押しされてなのか、謙信は多くの勝利をおさめたという。
武田信玄か上杉謙信か?と問われれば、大河ドラマの影響もあって、わたしは「風林火山」の武田信玄の方が馴染みがあったので、上杉謙信については実はあまり知らない。
ただ毘沙門天のこと、越後の虎とも、越後の龍ともいわれていたことは、意識のどこかに保存していたようだ。この地に着いた途端に、「毘沙門天」が頭に浮かんだ。
まだまだここは、上杉の土地であるのだろうか。
ところで、越後の龍。
改元を目の前にしてなのか、それとも越後という土地のせいなのか。
この神旅では、龍が度々現れた。
空をぐるんぐるんと舞っている。
毘沙門堂でのお参りが済むと、その横に、小さな白山神社があったことに気づいた。
突如、菊理媛が現れた。
続く。