人と神と自然の間が切れているのではなくて、この三者間が円環すると考えられている。
人が神になり、神が人になり、自然が神になり自然が人になる。
あるいは人が自然にかえる。
〜省略〜 深いところでは区切りがなくて、自在に行ったりきたりする。
その自在に自在に行ったりきたりするエネルギーをもったものが、他界とこの世を自在に梯子をかけたり、飛んで行ったりして自由自在に経巡る。
〜省略〜
シャーマニズムの中核は「神仏・精霊との交流」
(「憑霊の人間学」佐々木宏幹・鎌田東二より)
6月初めのこと。
神奈川県小田原にある大雄山最乗寺を訪れた。
今となってはそれもまた導きであったか。
シャーマンのエネルギーを感じ、魂がそれを思い出す過程。
今になってようやくそれがリンクし始めた。
それは、まだ春のことだった。
友人とのやりとりで、突然、天狗のイメージがでてきた。
以前にも、彼女と話をしているとき、なぜか天狗がでてきた。
何かメッセージがあるのか? 彼女にとって天狗の寺を訪れることは意味があるのか?
そんなことを考えながら、一瞬にして決断。
彼女を誘って天狗の寺に訪れることにした。
大雄山最乗寺。
悪天候のために一度の延期があったが、次の候補日には無事参拝を許された。
それは梅雨に入るかどうかの瀬戸際だったように記憶している。
でも、その日は、青空が綺麗な朝だった。
太陽の光を受けて、木々の緑が目に鮮やかに映る。
それが秋は紅葉となり、お山全体が赤い色で染まるのだろうな。
移りゆく季節。自然界からの贈り物は、ひとのこころを豊かにし、エネルギーの循環を行う。
娑婆とはまた違った空気、エネルギーの流れる寺院だと思った。
かといって仏の慈愛だけに満ちている訳ではない。
エネルギーが強いお寺さんに行く度に思うのは、そこにお参りするだけで、私に連なる先祖が全て喜んでいるような気持ちになる。
まるで仏の光明が三千世界を照らしているような感覚だ。
境内には豊富な水が流れ落ちる小さな滝があった。
池を挟んだ様は、それはまるで彼岸のこちらとあちらのような気持ちをおこさせる。
水が落ちる音と聞いていると、身体の中に流れが生じ、この世界にいながら、あちらこちらの異界、そして八百万のエネルギーを感じ、つながる瞬間があった。
今回は、友人が飼っているワンちゃんも同行した。
友人が経営しているネイルサロンの守護犬。
私と同じ福島県の出身のワンちゃん。東日本大震災で保護された犬だ。
私のスピリットとクック(ワンちゃんの名前)のスピリットが相通じているのかもしれない。
動物によっては神様のメッセンジャーの役割を果たしていたり、人間を守護したり、スピリットからのメッセージを携えているものもいる。
トーテムアニマル。パワーアニマルなどの言葉が使われるが、縁のある動物は何かしら自分にとって意味がある。
人間も大人になってくると思考に邪魔されて、ホントウの自分とのつながりが希薄となる。
赤ちゃんや動物は本能のままなので、人間が感じない事を感じ、見えないことが見えている。
案外、すごい!
この日、クックが一緒だったのにも意味があったのだろう。
最乗寺は、神仏習合の構造となっているとか。
神仏、人間、自然、動物、鉱物。様々なエネルギーが一瞬のうちにそこに集合したようだった。
クック
神仏習合とは?
神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。
神々の信仰は本来土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。神は特定のウジ(氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。普遍宗教である仏教の伝来は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。
日本への仏教の伝来から、神と仏は同じものとして信仰されていた。その素朴な神仏習合観念は、やがて仏教の仏を本体とする本地垂迹説として理論化されるようになり、さらに戦国時代には天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった。
(ウィキペディアより)
神は陽を表し、仏は陰を表す。陰陽が合わさって全体性が現れる。
大雄山最乗寺は、そういう意味では統合されたエネルギーをもつ場所、これから宇宙が向かうところのワンネスを現す場所なのだろう。
さて、人間2人と犬1匹は、御真堂、本堂などにお参りを済ませ、奥の院へと足を進める。
その途中に大小様々な沢山のゲタが置かれている場所があった。
天狗の寺。なるほど。あまりの多さとその形に、なんだか笑ってしまった。
どんな神社や寺院も、その境内で強いエネルギーを発するのは奥の院。
老杉に囲まれた階段を登り、その先に鎮座しているのが、御本地十一面観世音菩薩。
その階段のことを「天国への階段」とも呼ぶらしい。
階段の下から頂上を見上げると、光が溢れ落ちているのが感じられたので、そういう意味で階段の先には「天国」があると言われたのかもしれない。
天国への階段で、クックが何度か立ち止まり右側の杉木立ちの方を気するシーンがあった。
特に吠えるでもなく、じーっと窺っている様子を見ると、そこには人間には見えない精霊があったのかもしれない。
クックのスピリットと木霊のスピリットのテレパシーによる会話がなされていたのだろう。
ジブリ映画を思い出してみると、なかなか面白い。
そしてよく見ていると、強い磁場の場所がクックには分かるようだ。率先して私たちをそこに案内する。
「ここ掘れワンワン」じゃないけれど、動物の感覚は人間のそれとは比較にはならない。
この日、どうしてこのお寺さんへ行く必要があったのだろうか?
呼ばれたのか?
必要だったのか?
他の神旅のように確信はない。
しかし、どうやらこのお寺の開山エピソードと関係するのだと、今になって思った。
大雄山最乗寺。開祖は了庵慧明禅師。
禅師が最乗寺を開山するときに力を尽くしたのが妙覚道理了。
了庵慧明禅師の弟子となった人物であり、ある日突然現れたとか。
実は、妙覚道理了は超常的人物。いわゆるシャーマンのエネルギーをもつひとだったらしい。
お寺のHPを拝見すると、近江の三井寺から天狗の姿になってこの地へやってきたとも記されている。
妙覚道理了は、山の神や箱根の権現様を自由自在に駆使して、木を運ばせ、井戸を掘らせ、水をもって来させたりと人智を超えた力を使い、最乗寺を創建に尽力したらしい。
昔話、神話で済んでしまう話だが、日本の宗教人類学者の佐々木 宏幹氏によれば、実はそれは統御型シャーマンを意味する力だという。
様々な神霊、地霊、精霊などの力を統合、制御しながら、事を成していく。
さて、了庵慧明禅師が75歳でこの世を去ると、妙覚道理了は、寺を永久に守るため、天狗の姿となり大雄山の奥深くに姿を消したという。それがこの地に残る天狗伝説。
縁とは、周波数と周波数、エネルギーとエネルギーが引き寄せあうもの。
それは、人間だけではなく、自然界、動物界などの異界のエネルギーや人間が目に見えない世界も同じこと。なぜなら、宇宙に在るものはエネルギーと周波数で表現されるからだ。
最乗寺を含め大雄山を取り巻くエネルギーは、妙覚道理了エネルギーそのものなのだろう。
私は、そこに引き寄せられ、エネルギーを自分の中に取り込み、気づき、変化、変容へと導かれた。
以前からシャーマンという言葉は気になっていた。憧れてもいた。
しかし、完全なるリンクはしていなかった。
この地に呼ばれ、時間が経った今、じわじわとリンクが始まった。
以前は、シャーマンという言葉が私の外にあった。
しかし、今は、シャーマンを現す意味、言霊、エネルギーが内なる私を刺激し、魂とリンクし始める。
間も無く10月。秋。
段々と山の葉っぱも紅く色づく。
大雄山最乗寺の紅葉を見ながら、移ろう季節を感じ、自然のエネルギーと循環し、天狗の宇宙エネルギーを感じてみるのもいいだろう。
もしかしたら、天狗から、妙覚道理了からメッセージが降りてくるかもしれない。
大雄山最乗寺
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クック
Spice Nails スパイス ネイルズ
横浜市 二俣川にあるネイルサロンの守護犬