(祈り)宇宙ソウル! 5月の満月 ウエサク祭 目醒めへ

2020.5.2  Chikako Natsui
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2020年5月7日 満月の日。

京都の鞍馬寺では、ウエサク祭が行われる。

鞍馬は、地球の創造主ともいわれるサナト・クラーマが転化したといわれる。

【参考】(祈り)サナト・クラーマのエネルギーに浄化される! 京都・鞍馬寺

 

 

その記事でも書いた、5月の満月の日に行われるウエサク祭。

鞍馬寺五月満月祭(うえさくさい)では五月の満月に清水を供える五月満月の秘儀(ウエサクさい)により、全ての目覚めと平安を祈願します。五月の満月の夜には全てのものの目覚めの為に天界から強いエネルギーが降り注ぐとも言われているそうです。なお五月の満月の夜にはヒマラヤでもお釈尊さまの徳を讃えるウエサクの祭りが行われているそうです。
五月満月祭は第1部・地鏡浄業(きよめ)、第2部・月華精進(はげみ)、第3部・暁天明覚(めざめ)に分かれています。(変更の場合あり)
地鏡浄業では尊天ご宝前の「消えぬ灯」から移された灯を純粋無垢な心の象徴である「心のともし灯」に移します。次に銀碗に清水を満たし、月に祈りを捧げます。その後真実に生きぬく力を与える「お力の宝棒」の加持を受け、月光の降り注がれた明水を頂きます。(京都ガイドより転載)

 

「全てのものの目覚めの為に天界から強いエネルギーが降り注ぐとも言われているそうです・・」

 

ウエサク祭。

目醒めを促すための強いエネルギーが大宇宙から地上へと降り注がれる。

この日のエネルギーは、かなり強いもののようだ。

そのため、ひとによっては1週間ほど前から心身を整えるなどして準備に入るようだ。

1週間とまではいかなくとも、2日ほど前から食に気をつけるなどして、いわゆる仏教的な三毒に陥らないような生活をこころがけたい。

 

三毒とは?
人の善心を害する3種の煩悩(ぼんのう)。貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)。

貪(とん)とは、欲の深いこと。むさぼること。
瞋(しん)とは、怒ること。いきどおること。
痴(ち)とは、愚痴。
(コトバンクより)

 

ひととして生きていれば、日々、三毒の迷路に入ってしまいそうだが、いま、このときだからこそ、これらのことが天より試されているようにも思える。

 

惑星の変容のとき、それをサポートするためにやってきた多くの宇宙ソウルの目醒めが急がれている。

惑星の周波数をさらに上昇させるため、エネルギーの変化に混乱する人々の恐れを解放するために。

 

このサイトにたどり着き、この情報をみる魂は、それぞれのガイドを介し、属するグループソウルを介し、サナト・クラーマのエネルギーの導きによってやってきたのだろう。

なぜなら、わたし自身、ウエサク祭について知ったのは、この1週間ほどのことだ。
だから、詳しく知らないというのが正直なところなのだ。

しかし、それを書き、展開するというメッセージがやってきた。

 

5月7日 木曜  19:00〜 30分ほど。

祈りのとき。

想いを鞍馬寺へ。もし、行ったことがなく、イメージしづらいなら、写真のオルゴナイトに想いを寄せ、エネルギーをのせてもOK!

わたしの祈りとともに、鞍馬へエネルギーを送ろう。

 

祈りとは?

なにかを願わなければならないか?というとそうでもない。

個人的なこと、ひと的な願いは大宇宙には届かない。

例えば、いまの世の中を・・・と、願いたいところだが、この惑星の起きていることが大宇宙の計画ならば、ひとがどんなに祈ろうとも、願おうとも、粛々とときは流れいく。

では、どうすれば、できるだけ思考を止め、無であることがいい。

そして、鞍馬寺かしたの写真を思い浮かべる。

エネルギーとエネルギーがシンクロし、循環、円環し、それは大宇宙ネットワークを刺激する。

 

それから、もし抵抗がないのなら、次のアリス・ベイリー女史の「大祈願」を読み上げるといいだろう。

 

大祈願

神の御心(みこころ)の光の源より
光をあまねく人の心に流れ入れさせ給(たま)え
光を地上に降(くだ)らせ給(たま)え
神の御心(みこころ)の愛の源より
愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給(たま)え
キリスト(至上の叡智)よ
地上に戻られ給(たま)え
神の意志、明らかなる中心より
大目的が人の貧(とぼ)しき意志を
導(みちび)かんことを
如来(にょらい)は大目的を知り
これに仕(つか)えたもう
我らが人類と呼ぶ中心より
愛と光の大計画を成させ給(たま)え
悪の棲処(すみか)の扉(とびら)を
封(ふう)じ給(たま)え
光と愛と力とをもて
地上に大計画を復興(ふっこう)させ給(たま)え

 

以上の祈願つまり祈りは特定の個人やグループのものではなく、全人類のためのものである。
この祈願の美しさと強さはそのシンプルさと、すべての人々が生来自然に受け入れている中心となる真理の表現である。その真理とは、私たちが漠然と神と呼んでいる知的存在の真理、すべての外的なものの背景にあり、宇宙を動かしている力が愛であるという真理、キリスト教徒がキリストと呼ぶ偉大なる個性が地上に現われ、私たちに理解できるようその愛を体現したいという真理、この愛と知性が「神の意志」と呼ばれるものの結果であるという真理、そして、人類を通してのみ神の大計画が成し遂げられるという自明の真理である。
(「秘教心理学」アリス・ベイリー著より)

 

これまた正直なところ、なんの教義も信仰していないわたしにとって、最初は「神」がでてくることに、壁があるというか、抵抗があった。

しかし、それが意識であり、エネルギーであることを理解すると、腑に落ちた。

 

まもなく、5月の満月がやってくる。

この日、多くの宇宙ソウルが魂に刺激を受けるだろう。