魂は知っている・・・。
さて、初!出雲大社 参拝!
この日選んだ服装は、白いシャツに赤いジャンバースカート。
1泊2日の旅程なので、できるだけ荷物は少なく、替えのシャツと下着だけをリュックに詰めて旅立った。
この服装にアウトドアの大きなリュック。空港で鏡に映る自分を見ると、なんともセンスのない、変な格好!
でも、いまは自分自身を楽しんでいる!
大都会の大きな会社勤めのときは、周囲の目を気にして、カッコイイと思われたくて、服装でデキる女風、キャリアウーマン風を装っていた。
クローゼットから溢れる洋服。
それに見合うような化粧品にバックに靴に・・・。
気づいてみれば、一度に着る洋服は1着だけ、こんなに必要ないよね〜。
それを手放して見ると・・・
鏡に映る自分の姿がなんともしっくりくる!
ダッサいわたしが、カッコイイ!
そういや・・・ネットなどで見るシャーマンの姿は、かなりドギツイ・・などと思ってみる。今度は頭に羽でも付けてみるか!?
そのとき選んだ洋服は、実はこれからの臨む儀式用だったかも!?
山陰線の出雲市駅からバスに乗って、30分ほどで出雲大社へ到着。
終点のひとつ前に、正門前停留所がある。参拝客は、だいたいその停留所で降りるようだ。
わたしは、見ていたネット情報で終点の方が出雲大社へ近いようなことが書いてあったのと、無精な性格もプラスされて、終点まで乗ることにした。
終点のバスターミナルにあった出雲大社への矢印を辿り、歩いていく。
5分も歩かないところに、記憶にある大しめ縄の拝殿・・・ぽいところがあった。
でも、内なる声が・・・「なんだか、変!?」と、告げる。
その声を受けて、わたしの人間意識も反応する。
「あれ・・出雲大社って、ここでいいのかな? なんか違うような・・・」
確かに、大しめ縄もある。参拝しているひともいる。
・・・が、しかし、なにやら・・・氣が違う、エネルギーがそれっぽくない。
もちろん出雲大社は初めてだから、そのエネルギーそのものを知る由もない。
しかし、これまでの経験と、おそらく魂が知っているだろう「氣」が違う。
なんか、変だな・・と、思いつつも参拝。
迫力のあるしめ縄を写真に撮り続ける。
そのときだった・・・。
写真を撮ろうとスマホを構えると、目の端にヒラヒラしたものが映る。
実際、写真にもそれが写り込んでいる。
ん? なんだ?
すぐ脇にのぼりのようなポスターのような、それがヒラヒラと風で揺れているのが見える。
あれ? これかな?
そう思って、もう一度スマホを構える。
いや、違う・・・じゃあなんだ?
ヒラヒラしたヒモのような、棒状のものは見えるときと見えないときがある。
掲載した写真の左上の方に、白い影のようなものが写っている!
少し前まではなかった。大しめ縄を撮ろうとした途端、それはやってきた。
白い糸のような、ヒモのようもの。
気がづけば、スマホの後ろにそれがくっ付いていた。
なーんだ、これか〜!
写真を撮ることに夢中で、そのヒモがどこからやってきたのか、気づきもしない、考えることもしなかった。
ましてや霊的に大きな意味があったとは、思っても見なかった。
サラッと手ではらい、撮影続行!
ひとしきり大しめ縄の撮影を終えると、さっきの疑念が浮かび上がる。
ここがホントウに出雲大社?
やっぱりなんとなく違うような気がして、境内の案内図を見にいく。
やっぱり、違っていた!
どうやら、わたしが最初にたどり着いたところは神楽殿。
本殿は、その先というか、脇にある。
だから、多くのひとが正門前で降りていったのね〜。
改めて納得! わたしは裏門から入ったようなものだったらしい。
氣をとりなおして、本殿へ向かう。
そういえば! 手水舎でお祓いもしていなかったわ!
いろいろエスケープしたけど、これもまた氣をとりなおし、最初からスタート!
あ〜 こっちだよね〜。
やっぱり氣が違う!
拝殿、本殿と順を追って参拝。
そして、導かれるように、本殿の後ろへ回る。
そこには山を守るかのように、素盞嗚尊のお社があった。
山。
出雲大社内で一番強い神気を感じる。
ひと入るべからず! 看板がなくとも、山のエネルギーがそう伝えてくる。
ロープで囲いがしてあるので、もちろん入ることはできない。
この地を守り、さらには縁のある神々がその山のうえから見下ろしているようにも思える。
山の神気を吸い込みながら、そろそろと素盞嗚尊のお社に参拝するために近づく。
その瞬間、素盞嗚尊のお社の前で人払いが行われた。
静寂・・・
山と素盞嗚尊、そしてわたし。
それから! 蜂!
一匹の蜂、わたしにまとわりついて離れない蜂を除いては、誰もその場にはいなかった。
ブーンという蜂の羽音に、はたと、メッセージを聞きとる。
何度か払っても赤いスカートから離れない蜂に刺されまいかと、若干ビクつきながら、ご挨拶を済ませ、お社の階段を降りた。
蜂を介した霊的メッセージは、あとから言葉としてやってきた。
「縁をむすぶ」
出雲大社には、縁結びの糸のお守りがあるという。
赤い糸と白い糸・・・
白と赤。
自分の姿を改めて眺めてみる。
白いシャツに赤いスカート・・・白と赤。
瞬間! さっき隣の神楽殿で突如現れた白いヒモを思い出す。
そして、メッセージ!
どうやら、出雲の神さんと、縁を結ぶことを意味しているようだ。
業も欲も絡めることなく、ただただ「こころ」をもって、「魂」と「魂」で「縁」を結ぶこと。
白いヒモはそれを意味していた。
しかし、わたしの人間意識がそれに気づくことを阻む。
そんなわけで、蜂登場!
ところで、八百万の神々というものが意識に上がり始めたのは、今から15年ほど前に観た宝塚歌劇団 雪組公演「スサノオ」だった。
その内容とわたしの魂がシンクロしたのだろうか?
当時はそんなことはまったく意識に上がってもきていなかった。
だが、その公演をきっかけに、古事記に興味をもち、天照大神が隠れたという天の岩戸を見に行きたくなった。
それから10年以上のちに神旅が始まる。
そして、いま、わたしは島根にいる、出雲にいる。
神代といまがシンクロし、また魂を刺激する。
霊的な「目醒め」とは、「これ!」とか、「ここから!」とか、「これがきっかけで!」そういう明確なものではないように思う。
気がづけば、「そう」なっていた!
導かれていた・・・ようだ。
知らず知らずに、「そう」行動していた。
そんな感じかもしれない。
人間意識には上がっていないところで、無意識にも「それ」を選ばされている。
人間意識から離れ、霊的意識だけで行動できて始めて目醒めといえるように思う。
荒ぶる神・素盞嗚尊のお社をお参りしたあとは、来た道を戻りながら、そんなメッセージがやってくる。
本殿の後ろ側が見えるその道を歩きながら、神々しい氣を全身に浴び、感覚が変わっていくのが分かる。
出雲大社という神域に入り、これまでの次元ではない道を歩いていたのかもしれない。
出雲大社。
時空と次元のシンクロニシティがされる場所。
白いヒモから始まった神秘体験は、まだまだ続く!
・・・続く!
「「古事記」の最初に登場する英雄スサノオの物語を通して、今一度日本はどういう国であるべきかを考え、問いかける勇壮な音楽劇。
暗闇と化した大和の国。スサノオは太陽神であるアマテラスが天の岩戸に隠れてしまったのは自分の暴力のせいだと悔やんでいた。そのスサノオに兄の月読は再び剣を授ける。武器を取ることを恐れるスサノオの前に逃げ惑う父娘が現れ、スサノオは剣を使い戦い助ける。二人は大和の惨状を語りだす。光を失った大和では作物の収穫もままならず、民たちは森で食べ物を得るほかなかった。そのためには大蛇・ヤマタノオロチに毎年生贄を捧げねばならないと。」
(宝塚歌劇HPより)