雹の直撃もあって、ひと的肉体は冷えてきた。
意識を変容させ、いい気持ちでいたが、寒さをこらえることはできず狭井神社を後にした。
それでもまた、午前中の早い時間。
実は今回もう一ヶ所目指す場所があった。
龍神神社。
なにかで見かけた記憶があった。
三輪山のそばに、どうやら龍神がいるらしい・・・。
狭井神社の鳥居をぬけ、右方向へ行くとそこは日本最古の道といわれる「山の辺の道」。
細い道で、平坦だったかと思えば、坂を登ったり下ったり。
昨日 鞍馬山での参拝が足の筋肉痛になっていたので、微妙な傾斜でも坂道は少々辛い。
それでも、目指すは龍神神社。
慣れないひと気のない道を歩くことにいささか不安を感じながらも、足は目的を目指している。
途中。貴船神社があった。
これもまた昨日京都の貴船神社をお参りしたばかり。
縁と導きに思いを馳せ、まるで親戚のおばさんに道端で偶然出くわしたかのように、挨拶する。
そこからまもなくのところに、目指す神社があった。
看板には、「八大龍王辨財天大神 日本最古 龍神神社」
龍の字が、ちょっと違うようだが・・。
日本最古!
八大龍王!
八大龍王とは?
天龍八部衆に所属する竜族の八王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。 霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。
古代インドではナーガ という半身半蛇の形であったが、中国や日本を経て今の竜の形になった。
天龍八部衆
仏法を守護する8神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。
龍(Naga、りゅう)「竜」、「竜王」などと称される種族の総称。 蛇を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。また、釈尊の誕生の際、灌水したのも竜王であった。人面人形で冠上に龍形を表す。
以上、Wikipediaより
仏法を守護する 水の神!
それはいいが・・・周囲にひとっこひとりおらず。
入り口には鳥居があるものの、ひとを寄せ付けない、厳しい氣を感じる。
独特のエネルギー。
恐れを傍に置いて、鳥居をくぐる。
最初に目に入ったのが、以下の風景。
まるで、ダムの底に沈んだ町が現れたような感覚だ。
ここでいいのだろうか? 少々不安になる。
視線をもっと遠くの方にやってみると、そこにも鳥居があるようだ。
足が自然とそっちへ向く。
視線の先に現れたのは、池。
そして、そのほとりに小さなお社があった。
お社に行けるのだろうか?
建物の横に歩き始めた途端、「水子供養」の文字が目に入った。
なるほど・・・
無意識のうちに、いろんなことを理解して足を止めた。
向こうに行くことは止めよう。
この池は龍住まう場所。
お社に近づこうと思うなら、いくつか異界を超えて行く必要がある。
しかし、ここに住まう龍はひと近づくことを好まない。
ひとの欲をもって近づこうとするなら、それ相応のむくいがある。
池のなかに、強いエネルギーを感じた。
龍神はそこにじっといて、わたしがどうするのか、様子を伺っているようにも思えた。
一頭だけではない。複数の龍のエネルギーを感じる。
池のこっち側から向こう側にあるお社に向かって手を合わせた。同時に池のなかにいる龍神へも思いを寄せる。
途端にハートのチャクラが反応する。
ドキドキと大きなエネルギーが流れ込み、わたしのハートを介して交流し始める。
意識が切り替わる。ひと的意識から高次元の意識へ。
この場所は、あえて寂れている。
ひとを寄せ付けないため、龍神たちはこの様相にしている。
龍住まう場所。
独特のエネルギー。
厳しく、泥臭く、怖いような、それでいて、神聖であり。
プラスとマイナス。黒と白。天と池の両方のエネルギーを感じる。
ふと、以前、見せられたビジョンを思いだした。
暗い森を抜け、どんどん地下に下がっていったところ、そこには黒い龍、地龍がいた。
長老の黒龍がいうには、封印はまだ解いてはいけないという。
詳しくは瀬織津姫に聞けといわれた。
地龍の黒々としたエネルギーが凄まじく、ビジョンながら、そこにとどまることができず、早々に地上へと戻ってきた。
地龍。
現象の世界でいうなら、海底深く、地球の真ん中にあるマグマのイメージと重なる。
瀬織津姫に聞け。
この惑星の隠のエネルギーを司るとも思える神エネルギー。
貴船神社の影の祭神は、瀬織津姫だともいわれている。
神には神の領分がある。
ひとにはひとの領分がある。
それぞれ侵してはならない領分がある。
それぞれのエネルギーが違う。波動が違う。カルマが違う。
神の怒りに触れるというよりは、ネガティブエネルギーをたっぷり抱えた状態で「入るべからず」の領域に入ろうものなら、エネルギーと波動の違いが心身に影響をおよぼす。
急激な祓い。いわゆる浄化が行われ、健康を害する場合、物質的な祓いが行われる場合、それが進めば心身が病み、死にいたらしむこともあったのだろう。
それをひとは神の祟りとよんだ。
ひとが素の状態で大気圏外へ行けないのと一緒で、この世界のあちこちに張り巡らされている結界、エネルギーポイントはひとによって合う、合わないということがある。
しかし、長らく恐れによって支配され、感覚を閉じ、感じることをやめてしまったひと族は、そんな場所があることが分からない。安易にむやみに、エネルギーポイントを封じたり、解除したりして、痛い目にあってしまう。
自分を知っていれば、入る必要のないところには入らないだろうし、やる必要もないことはやらない。
結局のところ、自分を知れば、おのずと周囲もみえてくる。
池の写真をみながら、この記事を書き始めた。
あの時と同じようにハートのチャクラが反応する。途端に文字がコロコロと進みだす。
まるでそれは、池のほとりで龍神たちがわたしのハートに書き込んだ情報をパソコンを前にダウンロードしているかのようだった。
さて、静かな祈りのときは終わった。
三輪山のエネルギー。
寂れた池に住む八大龍王のエネルギー。
どちらもどっしりとした大きな地のエネルギー。
それがわたしの内にも入り、以前よりも、どっしりと安定したエネルギーが心身に感じられた。
そして、来た道を大神神社へと戻った。
9時もとうに回っていたので、神社業務も始まっていた。
御朱印の窓口でお願いをして、しばし、待つ。
すると、一匹のカラスが境内にある「巳の神杉」の天辺に止まり、カーカーと鳴いている。
その鳴き声が気になった。
じーっとカラスを見つめる。
カーカー。
ひとの言葉を語るわけもなく、わたしの意識も明確にカラスからのメッセージを言語として受けとっていない。
でも、気になった。
ただ、じーっと眺め続けた。
御朱印の記載も終わり、お守りを購入した。
そして、カラスが止まっている巳の神杉へお参りした。
巳の神杉とは?
三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。(大神神社HPより)
ふと、向かって右前方に小さな鳥居が見えた。
大神神社へは何度か来ているが、これまでそっち方面へ行くことはなかった。
まったく目に入っていなかったのだ。
お参りをしようと近づく。
なんの神さま?
「神宝神社」
ご祭神をみると、熊野の神さまたちが居並んでいる。
なるほど・・・
カラス!
熊野権現の神使は、カラス!
だからカラスが気になったのか!
ひと的意識では理解できないことでも、無意識ではキャッチしている。
カラスから発せられたテレパシーを、受信し、見せられ、気になるところへと足を運んだ。
結果、それは。魂が求める場所だった。
神宝神社の鳥居をぬけ、お社へと向かう。
ここもまたエネルギーの強さを感じる。
高波動に身体がゾクゾクと反応する。
お賽銭を入れ、いつものように祈りのために目を瞑った瞬間に、映像はやって来た。
この頃お馴染み!モノクロームの映像。
カラスを寄越したからには、なにかメッセージがあったとみえる。
やはりなにかのシルエットが見える。
真っ白な形。
高波動なエネルギーのものなのだろうと思った。
これもカラスか? いや、また犬か?
昨日の貴船神社で見た元気にせわしなく動く犬のようにもみえる。
狛犬か?
なにかの神使、もしくは神エネルギーのように思えた。
後ろにひとの気配を感じた。
途端に映像は終わった。
いつものことだが、なにを意味しているのかは分からなかった。
だが、熊野の神さんたちはなにかを伝えてきた。
いずれ、日常のなかで、気づきや直感がやってくるのだろう。
焦らず、その時を待とう。
なぜなら、見せられた映像は霊界でのこと。
結果として、現象として現れるには、時間差がある。
今回の旅でわたしが学びを深めたのは、異界のエネルギーとのテレパシーでの交信だったように思う!
そして、そこからどのように行動するか。
受信した情報と魂のエネルギーをシンクロさせ、内なる声に導かれて、その先の一歩を選ぶ。
幼稚園、小学校と文字を学んだり、計算をしたりしたが、いまここにきて、カラスや蛇や龍に、見えざるエネルギーを学んでいる。