「浅草寺の浅草神社の前はどうでしょうか?」
ライフバランスアドバイザー・
ありはらみつこさんとの打ち合わせ。
アーユルヴェーダの講師でもある
ありはらさん。
美味しいインド料理でも食べながらに
しようと話しがまとまり、その候補の
お店として銀座か浅草が上がった。
行くには銀座が近い。
だが、久しぶりに浅草も惹かれる。
「ちょっと考えます!」
でてきたイメージは「浅草」
久しぶりに浅草寺、寺に行くか〜と、
思っていたところ、ありはらさんの
文頭のご提案。
浅草寺は何度も訪れたことがある。
でも、その近くに「浅草神社」が
あるのは、全く知らなかった。
浅草・・寺と神社。
私の神旅は、去年くらいから始まったのだが、
それまでは、お寺に導かれて行くことが
多かった。
20代の頃から、いや・・・父の影響もあって、
小学生の頃から年始は、山の上にある
薬師寺で迎えた。
いやいや、幼稚園がお寺さんだったの、
縁はそこから始まっていたのだろうが。
近年は、亡くなった母を弔うためと、
東日本大震災で亡くなった御霊を
鎮めるためにと、「洛陽三十三観音巡礼」と
「西国三十三所観音巡礼」をしていたのが、
昨年、八百万の神々への神旅が始まり、
お寺さんへ参るのはとんとご無沙汰だった。
やはり、八百万のお呼びだし・・・かな?
ところで浅草神社のご祭神は?
神社のホームページでを表示した
瞬間に、背筋に高次のエネルギーを
感じた。
「浅草神社の草創に関わった
土師真中知(はじのあたいなかとも)、
檜前浜成(ひのくまはまなり)・
武成(たけなり)を主祭神とし、
東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。
檜前浜成・武成の他のもう一柱の
主祭神については諸説あったが、
現在では土師真中知であるとしている。
この三人の霊をもって「三社権現」と
称されるようになった。」(ウィキペディアより)
ここでもまた、大国主命と縁がつながる。
そして、御由緒。
「ん?この話、どこかで・・・」
そういえば、1ヶ月か2ヶ月前、
日曜の朝テレビでやっている
「日本むかし話」で観たことを
思い出した。
その時から、三社権現との縁はつながって
いたのだろう。
そして、ありはらさんと一緒に
この日浅草を訪れるのは決まっていた。
浅草駅から浅草寺入り口へ向かう。
様々な国の人々が入り乱れている。
ものすごい数の人だ。
その時、昨日今日お祭りがある
看板を発見。
やはり、今日は何かあって導かれたのか・・。
「浅草神社本社神輿「堂上げ」「堂下げ」」
人混みをかき分け、仲見世通りは人が
多すぎて、裏道を神社へ向かう。
「堂上げ」「堂下げ」」とは?
神社内で案内があった。
「浅草寺本尊示現会の行事として古式に則り、
浅草神社の本社神輿三体を浅草寺本堂外陣にお上げし、
一夜奉安する行事です。
仲見世参道には一列の光を灯し「慈灯の道」を現出します」
浅草神社HPより
要約すると、浅草神社の三神様が、
浅草寺の観音様とお一緒に夜を過ごすと
いうことらしい。
先週くらいから、頭の中を忙しく
「神仏習合」「神仏分離」と
グルグルしていた。
そのうち何か導かれるだろうと
思っていたが、今日この時だったか。
ところで、神仏習合とは何か?
日本土着の神祇信仰(神道)と
仏教信仰(日本の仏教)が
混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)
された宗教現象。
神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。
明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、
1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。
(ウィキペディアより)
統合と分離を繰り返す
日本の神々と仏たち。
陰陽なら、神社を陽、寺社を隠で
表すというらしい。
その統合があった時、それはまさに、
「ワンネス」をいい、
大いなる宇宙を表すものだろう。
浅草神社参拝の後は、
ありはらさんの案内で、
初めて浅草寺の奥に上がれることを
知った!
浅草寺のご本尊は聖観世音菩薩。
秘仏とされているらしく、
尊顔することはできない。
でも、これまでの参拝とは違い、
本堂に上がれたことによって、
世観音菩薩を身近に感じることが
できた。
本堂でその空気を味わい。
豪華な天井を見上げては、
厳かな気持ちになる。
その後、外に出てみると、
金龍の舞が始まっていた。
それを見ようと、
さらに人が増えている。
金龍の動きを少し眺め、
その場を離れる。
今度は、様々な神様や仏様が
一同に介している区域に
ご案内いただいた。
ここもにも神仏習合!
神だ仏だというのは、
人間側の区別にすぎないのだな・・
全ては八百万・・・と、ぼんやり考える。
ふと先ほどの金龍の舞がされている
方向に目をやりながら、先を急ぐ。
何か、こころが騒ぐような感じが
・・・する。
何だろう?
微細な感情の動き、
体の感覚に、ホントウがある。
その後、楽しいランチと
打ち合わせを終え、
帰りの電車でさっき感じた
こころのざわつきを
再体験しながら、
人で溢れかえっていた
浅草寺の境内を思い出す。
「あ〜」
その映像は、私の魂そのものだったのだ。
神と仏の習合。
様々な人種。
肌の色、国籍、
宗教の関係なく、
浅草寺を参拝し、
金龍の舞を眺める人々。
その場には、様々なスピリットが
集合していた。
それが、八百万。
人間の中には神性、仏生が宿っている。
それはどんな魂であってもだ。
魂は、神の分け御霊であり、
大いなる宇宙の一部。
大いなる宇宙が「愛」なら、
人の宿る魂の「愛」。
大いなる宇宙の
「愛」がそこに在った。
たくさん在った。