そこは、不気味なほどエネルギーの強い場所だった。
荒脛巾(アラハバキ)神社。
アラハバキ神の謎を追って、
とうとう陸奥、未知の奥へ!
訪れたのは、宮城県多賀城市。
杜の都 仙台からそう遠くない住宅地に荒脛巾(アラハバキ)神社はあった。
この近くには、陸奥国の国府・多賀城跡、陸奥総社、加瀬沼公園などがある。
8月14日。お盆期間中、異世界のエネルギーがあっちこっちで感受できる時。
それを一瞬考えもしたが、福島県いわき市にある実家に帰省中ということもあって、宮城県は近い。
ならば、と、決行!
地図アプリに案内され、主要道路から民家の横を通り抜けると、えっ!?ここに?というところに鳥居がある。
鳥居をくぐり抜けると、狭い道。
2本の杉の木が2つ目の鳥居のように道を守り、訪問者を見定めてもいるようだ。
杉の木のスピリットが守る道を、さらに奥へと進む。
そこは、まるで、個人の住宅と庭のような場所だった。
えっ!? ここにアラハバキ?
少し不安になった。
しかし、個人の庭のように思える場所に、荒脛巾神社の由緒が立っている。
ここで間違いない。
キョロキョロと見回してみると、植木の奥の方に、お社が見えた。
あれかな?
まるで目眩しのような、狭い道。
植木の間を通り抜け、お社らしきものへ近付いた。
荒脛巾神社(松島観光ナビより)
様相に、ギョッとした。
その瞬間に感じたことの、言葉が見つからないのだが、、
地の氣の強さか、怖さか、不気味さか。
荒脛巾神社
荒脛巾神社の建立年月日は不明ですが、安永3年(1774)に作成された市川村の風土記に、鹽竈神社の末社の1つとして記載されています。足の神様として広く知られており、旅の安全を祈願する人々に厚く信仰されました。仙台藩主・伊達氏も社領を寄進して保護していたようです。
社名にある脛巾(はばき)とは、旅に出るときに脛(すね)に巻きつける布のこと。かつては祈願成就の際に、奉納された脛巾が多数納められていました。
現在は足に限らず、腰から下の病気にも効き目があるとして、性病や婦人病に悩む人々の信仰も集めています。
(松島観光ナビより)
荒脛巾神社(日本伝承大鑑より)
荒脛巾神は謎の多い神である。東北・関東地方で祀られていることの多い神であるが、“客人神”という立ち位置で、その出自ははっきりとしない。おそらく朝廷の信奉する神々とは別系統で信仰されていた土着の神が、取り込まれて生き残ったものであると推測するのが妥当だろう。それだけ強く信仰されたと考えられる神であるが、ただその性格は多様である。一方で『東日流外三郡誌』の記述によって固着したイメージがあり、ミステリアスな存在となっている。
腰から下の部位にご利益があるということで、お社にはたくさんの靴が奉納されていた。
荒脛巾神社の前には、井戸のようなものがあり、水神がお祀りされていた。
井戸があるのは、地の氣が強いことを意味する。
荒脛巾神社の左となり、上段には、太子堂があった。
聖徳太子がお祀りされている。
ここもまた、怖くなるほどのエネルギーが取り巻いているのか、発せられているのか。
異世界感満載。
太子堂前には、小さな石碑などが立ち並ぶ。
これがまた、異世界のエネルギーをどっと放っている。
荒脛巾神社の右側には、養蚕神社。
養蚕神社には、ハサミが奉納されていた。
なぜ?
鋏は「病の根を切る」という意味があるとされているが、これをもって荒脛巾神を“製鉄”の神と考える説もある。
(日本伝承大鑑より)
「養蚕」という言葉からなのか、優しいエネルギーを感じた。
さて、アラハバキ神。
東北に入った途端、これまでとは違った様相・氣を発する。
多くを語る言葉が見当たらないが、
一歩、アラハバキ神の本質に近づいたようだ。