神武天皇陵@奈良県橿原市
5月14日〜18日@京都・奈良
行程がそうであったように帰宅してもなお、まだ違う次元と次元を彷徨っているようだ。
それは、旅が始まる3日前くらいから。
冷気か、霊気か?
高い波動の氣が身体に流れてくる。
関西への神旅。大きな八百万エネルギーとつながった時の合図。
以前なら、そのエネルギーが浄化を促し、熱が出ることもあった。
さて、今回の日程は、
1日目 京都市内
2日目 鞍馬山
3日目 橿原・飛鳥
4日目 吉野
5日目 橿原
3日目からは、奈良。
古にあった人びとのエネルギーは、国家というもを意識させられた。
そこは、
「日本の始まり」
知識はあっても、それを意識して生きているか、自分に問えば、否…のように思える。
えーっと、、建国記念日って、、?
しかし、このところの他国間の戦争を見ると、
さまざまなことが意識化されてくる。
関西。4日目の吉野山を降り、宿泊地の橿原神宮駅でひと息お茶をしていた時のこと、ものすごい勢いで、欠史八代とも言われるスメラミコト達のエネルギーが次々とやってきた。
ここは橿原神宮がある場所だからか。
存在の有無の議論はあるものの、初代天皇であり、天皇陵もある。
陵か…
お墓だよね〜。
ま〜明日にも意識にあるようなら、行ってみましょ!
それから間もなくの夕焼け。まるで空が燃えているようだった。
翌る日。
藤原京跡→本薬師寺跡を経て、参ったのは、
神武天皇陵
宮内庁管轄のようだ。
陵墓ということもあってか、神聖さを感じる。
実は、ここがホントの陵墓じゃないとか、これまた議論があるようだが、
この地にあるスピリットな、その役目を遂行している。
入り口から陵墓までは、木立が続いていた。
最初のカーブを曲がって間もなく、、まるで雪のような白いふわふわしたものが飛んでくる。
何?
手のひらをだして受け止めてみようと思っても、まるでそれは意識があるようにすり抜ける…
何度か繰り返す。
なんて幻想的なのだろう…
植物から発っせられたのだろう、綿毛のようなそれは、太陽☀️の光を受け、キラキラ ふわふわと舞っていた。
白い綿毛に迎えられながら、
陵墓到着。
誰もいない…。
無音。
陵墓の前に立ち、目を瞑り、祈る。
目を開いた途端だった。
空には大きな龍雲🐉
それはどんどん大きくなり、少しずつ形を変え、まるで陵墓へ目がけていく。
言葉が浮かぶ。
あの龍は、まるで口に剣を咥えているようだ。
神武天皇 剣
と、いえば、、
布都御魂
↑
あとから知った😅
古の神子と同じように、それをつなぐために参った。
そのような想いが湧いてくる。
神武天皇の言葉
八紘一宇
「地の果てまでを一つの家のようにするということ。世界を一つの家にするという意。」
第二次世界大戦の時には、これが時勢に合ったように解釈、使われたようだが、、
私は、右にも、左にも特定の思想や教義はもたない。
包丁も使う人によって、命を生かすことにも、傷つけることにもなると同じように、
どのような心根があるのかで、その先が変わってくると、改めて思う。
ところで。思い返せば、ライトワークと称してスタートしたのが、奈良県三輪山にある大神神社からの山辺の道。
その次が、現在の皇居。
新旧さまざまな宮を歩き、纏わる神社仏閣を歩くことが多い。
それを意味することは?と、考えさせられる。
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