神奈川県大磯にある、高来(タカク)神社。
訪れたのは、2022年1月のこと。
高来神社(神奈川県神社庁)
ご祭神
神皇産霊尊
天津彦穂迩迩伎尊
応神天皇
神功皇后
神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社。高麗神社とも呼ばれる。
社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。
中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。
かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天を勧請して「高麗三社権現」と称した。
高句麗が新羅・唐連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。
(Wikipediaより)
高麗神社というと、埼玉県日高市にある高麗神社をよく聞く。
神奈川 高来神社を訪れてから約1ヶ月後、埼玉県 高麗神社を訪れた。
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八百万との出会いは、地の理や縁などを知るきっかけとなる。
そして、その地の真を見せてくれることもある。
人と八百万の関係は、人間関係とそう違わない。
どのような関係にしろ、そこに一滴でも人間臭いものが入るのなら、八百万はそれに反応し真は見えない。
「神」という言霊の強さに惑うが、八百万の真に向き合うには、フラットな意識が大事。
人間側の意識によっては、妄想の中の神や妖魔・邪悪なものにしてしまう。
フラットな意識の境地になるのは、これまた修練。
傲るなかれ 昂るなかれ 卑下することなく 真っ直ぐに。
さて、高来神社。
到着したのは、すでに午後になっていた。
ここを訪れたいと思ったのは、神皇産霊尊がお祀りされているから。
産霊 ムスヒ
タカミムスビが陽なら、
カミムスビは、陰。
2で1。
それでは鳥居をくぐり、境内へ。
そこそこ長い参道。
参道の脇には、さまざまな形が彫られたユニークな燈籠が並んでいた。
中には、♡の燈籠も!
何かを連想させるような形。
何かを意味する紋章だろうか?
1月の参拝だったので、まだ初詣の旗が揺らめいていた。
お社 ↓
創建当時、ここは高来寺とされ千住観音菩薩をお祀りしていたようだ。
高来神社のそもそもの始まりは、お社の後ろにある高麗山山頂に本宮・高麗権現をお祀りしたことから。
上に権現社、下に観音堂。
明治までは神仏習合の聖地として人びとの崇敬を集めてきた。
しかし、神仏分離政策により、高麗寺は高来神社となり、千手観音などの仏様たちは、高来神社に隣接する慶覚院へ移されたという。
現在、慶覚院にある千手観音菩薩は、大磯の浜で漁民が網で引き上げたもので秘仏とされている。
高麗山へ登る入り口にお社。
平嘉久社 ↓
馴染みのないお社の名前だが、「新編相模国風土記稿」からすると、
「平嘉久社 山麓にあり、祭る所庚申なり、是を地主神と云、高良明神疱瘡神等を相殿とす」は、
庚申であり、地主神であり、高良明神・疱瘡神などを相殿とする。
高良明神は、武内宿禰。
高麗山への登山口 ↓
龍神宮 ↓
高麗山麗水 水神 ↓
地の氣の強い場所。
そこにいると、ぐっと太陽のエネルギーが強くなる。
道祖神 ↓
杉本稲荷大明神 ↓
高麗山と神興殿 ↓
力石 ↓
近づくと、強い氣を発する。それに反応するように陽の氣も強くなる。
若者たちが大磯海岸に集まり力比べをする時に使われていたという。
境内にあるベンチに座る高齢の女性。
冬の午後。陽だまりと神社の空気を楽しんでいるようだった。
ほんわか温かくなる光景だった。
手水舎。
お参りの前にも来たが、
さっきとは時間が違うからだろう。
流れる水のところが、キラキラしていて綺麗だ。
撮影してみると、
陽と水が合わさり、そこには精霊がいるようだった。
一説によれば、高麗から渡来した人びとに由緒をもつお社という。
そのため、別の国の・・と、考えてしまいがちだが、日本列島の成り立ちを見ていくと、身近なことのようにも思える。
境界や宗教観が、今も昔も戦争の大きな火種になっているのは、母なる地球の嘆きが聴こえるようだ。
どんな場所も地球であって、そこにはスピリットがいる。そして、人間界と紐づいている。
神旅、ライトワークをしていると、その地の歴史を知ることが多い。
その情報が、真がどうかは分からない。
見る人、聞く人、研究する人、伝える人によって、表現・受け取り方も違うだろうし、時代によって変化しているだろう。
また歴史そのものが、政や権力者などによって、書き換えられている可能性もある。
土地の名前の変遷が最たるものかもしれない。
その地にあった八百万に変化が生じた。そのため、土地の名前が変わった。
土地の名前が変わった。そのため、その地にある八百万のエネルギーに変化が起きた。小さくなった、無くなった。
どっちが先かは分からない。
ただあっちこっちと巡っていると、人との関わりが大きく、それによって影響を受けたであろう八百万も多いように思えるのだ。
ここの地主神はこちら様だが、大きなお社でお祀りされているのはあちら様。
何重構造?
はるか昔。地の氣が安定せず、それが人の世に多大に影響を及ぼしていた頃、地主神は荒ぶる神として恐れられていたのだろう。
それを鎮めるための強力な八百万を祀ったり、人的都合で、あっちの神をこっちへ、こっちへとなっていったのだろうか。
あれ? 書いた文章を読み直していると、
「はるか昔。地の氣が安定せず、それが人の世に多大に影響を及ぼしていた頃・・・」
これは、今の世も変わらずあることだと思った。
もちろん、治水工事など科学の力によって、昔むかしのそれではないだろうが、自然災害のニュースを見るたびに、自然と人間の共生が上手になされているところばかりではないことを知る。
八百万の声は聴こえず、自然界のスピリットのメッセージは届かず、人間の都合が優先されているのだろう。
ますます、人間界と異世界の距離は大きくなる。
地の理・縁を理解しないままの開発
エネルギーラインの分断
地の氣は弱まる
天の氣が強まる
人の氣は混乱する。
はるか昔、八百万の神々とともにあった巫女がいた。
時空を超え、転生を繰り返し、派生し、巫女のエネルギーは、今の時代に数多受け継がれている。