異次元・異世界
氣の向くまま、足の向くままに、京都の間に間を歩く旅。
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【祈り】魔界散歩!? 間に間にある世界 氣の向くまま 足の向くままに京都そぞろ歩き
新京極にある染殿院の後に向かったのは、六角堂。
高校の修学旅行で訪れことのある新京極の商店街を懐かしい気持ちで歩く。
最も、当時のお店がどれくらい残っているかは定かではないのだが。
地図アプリに案内されながら、新京極を抜け、左に曲がり右に曲がり、六角堂に到着!
ご詠歌 「わが思う心のうちは六(むつ)の角 ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」
「六の角」とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。(六角堂HPより)
敏達天皇の時代、淡路国岩屋浦に閻浮檀金(えんぶだんごん、黄金の意)の如意輪観音像が漂着した。この像は、聖徳太子が前世に唐土にあって仏道修行していた時に信仰していた像であり、太子はこの観音像を念持仏とした。これが後の頂法寺本尊である。太子は16歳のとき、排仏派の物部守屋討伐にあたって、護持仏に「無事討伐できたならば、仏の功徳に感謝して四天王寺を建立いたします」と戦勝祈願したところ勝利した。そして、寺建立のための用材を求め、小野妹子とともにこの地を訪れた。その際、太子は池で水浴をするため、傍らの木の枝の間に持仏の如意輪観音像を置いておいたところ、像は重くなり動かなくなってしまった。観音像は光明を発し、自分は七生にわたって太子を守護してきたが、今後はこの地にとどまり衆生を済度したいと告げた。そこで太子は、四神相応のこの地に伽藍を建てることとした。東からやってきた老翁(鎮守神の唐崎明神)が、紫雲たなびく杉の霊木のありかを教えてくれたので、その材を用いて六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりである。(Wikipediaより)
西国札所・洛陽札所巡りに、あれこれと、幾度も参ったお寺。
ただ、以前の自分とは明かに心もちが違うことに気づいた。
まずは、拝堂でご挨拶。
間もなくサードアイが反応し、見せる範囲をグワーッと広がる。
札所巡りで六角堂に参っていたが、もうひとつの理由は、ここが親鸞聖人に纏わるエピソードがあるからだ。
10年以上前になるだろうか。五木寛之著「親鸞」を読み、その生き方に魅了された。
親鸞聖人
鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。 浄土真宗の宗祖とされる。
法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。(Wikipediaより)
なお、六角堂には親鸞堂がある。
親鸞が鎌倉時代の初め、建仁元年(1201)六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけを得たことにちなみ、親鸞の像を二体安置しています。一体は草鞋を履いて比叡山から六角堂へ向かう姿、もう一体は六角堂に籠もって如意輪観音から夢の中でお告げを受けている姿です。
(六角堂HPより)
末法末世。衆生を救わんと、一筋の光、道を見いだすまでの親鸞聖人のもがき。悩み苦しみに引き寄せられ、何かを投影していた。
当時、私は狭間にあった。
よく理解はしていなかったが、魂と出会うため、旅立ちの時を迎えていた。
人的意識からの変性。そこは魂の闇夜ともいえるような状態だった。
一見、変わらない日常。
しかし、内側は嵐のように吹き荒れている。
安定しない心身。
生き方の選択と魂の設定が合っていないと、得体の知れない不安やイライラも現れた。
親鸞聖人の生き方は、時代の狭間、地球に転生したキリスト種 グループスピリットの投影だったろうか。
そんなことがあったな〜と、拝堂前にあったベンチに腰掛け、六角堂に初めて参った時のことを思い出す。
その時、頭の中で「不動明王」「不動明王」と響く。
ん? 不動明王がお祀りされているお寺さんに行くのかな?
どこだろ? それらしい神社仏閣をネット検索したものの、ここ!という決定打がない。
不動明王はさておこう。六角堂内を散策しよう!
合掌地蔵 ↑
太子堂 ↑
六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。またの名を開山堂ともいいます。
平安時代以降、六角堂を一つの拠点として京都に太子信仰が広まっていきました。
内部には、太子が合掌して「南無仏」と唱える二歳像、父である用明天皇の病気平癒を祈る十六歳像、仏教の受容をめぐって物部守屋と戦った姿を表す騎馬像を安置しています。(六角堂HPより)
聖徳太子沐浴の古跡 ↑
当時このあたりにあった池に太子が入り、身を清めたと伝えられます。
その池のほとり、現在の池坊会館(11階建てのビル)の位置に僧侶の住坊が建てられ、池坊と呼ばれるようになりました。
現代の境内整備事業で池がよみがえり、白鳥や鯉が泳いでいます。(六角堂HPより)
本堂後ろには、お祀りされている仏さんだろうか? 名札が掛けられていた。
本堂をひと回りするように歩いていると、あれ? ここに不動明王のお堂があった!
石不動
不動明王は、大日如来が一切の悪魔を降伏させるために身を変じた存在で、怒りの形相をとり、強い法力を持っています。六角堂の境内には、不動明王の石像と木像をそれぞれ安置する堂が隣接して建っています。石不動は安永9年(1780)刊行の『都名所図会』に描かれています。
(六角堂HPより)
さっき「不動明王」と聞こえてきたのは、お堂の横にスックとある樹のスピリットだったと気づく。
あなただったのね〜と、ご挨拶。
拝堂前を横切る。
木々の葉っぱに隠されるように、印象的な石があった。
へそ石 ↓
へそ石
山門をくぐると、右前方の敷石の中央に、中央にまるい穴があいた六角形の石があります。門前の六角通りにあったものを、明治時代初期に門内へ移したもので、六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。
また、平安京造営時、本堂の位置に道を通すために祈ったところ、堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいいます。(六角堂HPより)
六角柳 ↓
平安時代初期、妃になる女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に六角堂の如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」とのお告げを受けたため、人を遣わしてみると、柳の下には一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに妃として迎えました。この話から「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、「縁結びの柳」と呼ばれるようになりました。青々と茂った枝が地面すれすれまで伸びる姿から「地ずり柳」とも呼ばれます。(六角堂HPより)
御幸桜(みゆきさくら) ↓
早咲の桜らしく、京都の春の訪れを知らせるようにいち早く咲くという。
親鸞堂 ↓
左 稲荷社 ↓
右 唐崎社 ↓
六角堂の鎮守です。御祭神の唐崎明神は、「唐崎の松」で有名な琵琶湖畔の唐崎神社(滋賀県大津市)の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。かつては明星天子菩薩とも称していました。
社殿には、祇園社(八坂神社)と天満宮(北野天満宮)の神様が合祀されています。(六角堂HPより)
山門にてもう一度振り返る。
六角堂をしみじみ堪能し、次へ参ろう!