間もなく相馬野馬追!
纏わる相馬中村神社を訪れたのは、今年のゴールデンウィークのこと。
ここは、相馬野馬追の出陣式が行われるところ。
ところで、相馬野馬追とは?
福島県相馬市中村地区を初めとする同県浜通り北部(旧相馬氏領。藩政下では中村藩)で行われる相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の三つの妙見社の祭礼である。
馬を追う野馬懸、南相馬市原町区に所在する雲雀ヶ原祭場地において行われる甲冑競馬と神旗争奪戦、街を騎馬武者が行進するお行列などの神事からなる。これらの神事に関しては1952年、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。公的行事としての傾向が強くなったのは、江戸時代の相馬忠胤による軍制改革と、相馬昌胤による祭典化以降と考えられる。
1868年の戊辰戦争で中村藩が明治政府に敗北して廃藩置県により消滅すると、1872年に旧中村藩内の野馬がすべて狩り獲られてしまい、野馬追も消滅した。しかし、原町の相馬太田神社が中心となって野馬追祭の再興を図り、1878年には内務省の許可が得られて野馬追が復活した。祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、戊辰戦争後の祭事である。
相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬氏の守護神である「妙見大菩薩」に奉納した。これが現在「野馬懸」に継承されている。(Wikipediaより)
そして相馬中村神社は、相馬妙見三社のひとつ。
妙見信仰とは?
妙見菩薩は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王、妙見尊星王、北辰菩薩などとも呼ばれる。
妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。「菩薩」とは、本来「ボーディ・サットヴァ」
の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。
妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀(飛鳥時代)のことで、高句麗・百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられる。当初は渡来人の多い関西以西の信仰であったが、渡来人が朝廷の政策により東国に移住させられた影響で東日本にも広まった。
北斗七星の内にある破軍星(はぐんせい)にまつわる信仰の影響で、妙見菩薩は軍神として崇敬されるようになった。
密教経典『仏説北斗七星延命経』では破軍星が薬師如来と同一視されたことから妙見菩薩は薬師如来の化身とみなされた。
なお、薬師如来のほか本地仏に十一面観音あるいは釈迦如来を当てる例もある。(Wikipediaより)
相馬中村神社
ご祭神
天之御中主神(妙見菩薩)
相馬中村神社の起源は、相馬氏の始祖である平将門が承平年間(931年 – 937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まるといわれる。相馬氏の相馬郡下向に伴い建立された。
戦国時代の16世紀後半には、中村城が相馬氏の北の居城となり、相馬盛胤や相馬隆胤などが中村城主となった。
1600年の関ヶ原の戦いの結果として相馬氏は改易されたが、1611年に旧領への復帰を果たして中村藩を立てた。
この時、中村藩の初代藩主となった相馬利胤(相馬氏第17代当主)が、1611年に中村城内の南西に相馬氏の守護社である妙見社を建立したのが、現在の相馬中村神社の起源である。
明治時代に入って廃仏毀釈により本尊の妙見菩薩が廃棄され、相馬中村神社と改称した。
(Wikipediaより)
相馬中村神社
Instagram投稿より引用:
参りたいと思いつつ、、ようやく!
最初に、ん?と、思ったのは、崩れたというか、陥没した鳥居周辺。
さらに境内に入れば、あっちこっちに同じ状態が見られた。
ようやく、2022年3月にあった福島県沖震源の大きな地震によるものだと繋がった。
そういえば…
ここに来るまでの間、屋根にブルーシートがかけられている家を何軒も見た。
相馬中村神社に意識を戻してみれば、拝殿前の階段や周辺の灯籠など、あらゆるものが崩れている。
地震
地のことだけに意識が向きがちだが、
光の儀式をしてみれば、ジョ〜ッと音がしそうなほど天の氣が降りてきた。
強い☀️
そ〜か〜。
天の氣が強く働くところ、
地の氣が刺激され、蠢く。
地の氣が強いところ、
天の氣が刺激され、引き下ろされる。
それがシンクロするなら、パワースポットとなる🌟
この日も陽の氣が強く射し込んでいた。
妙見大菩薩
またの名を、
アメノミナカヌシ
拝殿から左側に参ると、
御水神舎 ↓
国王社 ↓
スサノオ神と相馬氏の祖と伝えられている平将門を合わせ祀る。
この辺りもガタガタと塀や燈籠が崩れている・・・
光がギラギラとこの地に降り注ぐ。
まるで、スサノオ神と平将門の荒魂が動いたように思える状況だった。
稲荷神社 ↓
松尾神社 ↓
足尾神社 ↓
左:松尾神社 右:塩釜神社 ↓
天の氣が強く射しこむ!
階段下から拝殿を拝む!
北野天満宮 ↓
立派なご神木!
皇大神宮遥拝所 ↓
地震で壊れた塀・・・
最後に全体を見る
天の氣の都合もあるが、
相馬中村神社にあるところの地の氣は、驚くほどの強さだ。
その昔、人的都合であったろうが、妙見菩薩をお祀りしたことにも大きな意味がある。
論理的な説明は難しい。
しかし、
天の氣も
地の氣も
なにか・・・
伝えてくる。
地にある氣が荒ぶる
人の世の乱れ
それを調和をせんがため、天の氣が動く
地にある氣がさらに荒ぶる
福島県は陸奥の入り口。
未知の奥には、あるのは、、
艮の金神は、
なぜ、そこにあるのか。
なにを秘しているのか。