「やくも」
その言葉が浮かぶ。
やくも・・・
八雲?
八雲とは?
一般的には、
八重に(幾重にも)重なり合った雲である。
日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。また、上記の歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっており、八雲は出雲国を象徴する言葉となっている。(Wikipediaより)
では、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」とは?
一般的には、
「幾重にも重なって雲が立ちのぼる出雲、幾重にもめぐらした垣、
妻をこもらせるためにここ出雲の国に幾重にもめぐらせた垣を作るのだ、その垣を。」(weblio古語辞典より)
また、他の解説では、
およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが旧約聖書に記されています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は荒野を旅しました。この奇跡的なイスラエルの「出エジプト記」が、天岩戸神話と神楽歌に関連しています。
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「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語があてられ、天岩戸神話に繋がる神楽歌となりました。言語の意味は、「神が現われ、民の先頭を行く。壁が立てられ、救いの恵みに飢え乾き、乱れた世を嘆く。いばらの世は嘆かわしい」 神楽歌は、旧約聖書のテーマにも繋がる、ヘブライ語と日本語を見事にブレンドして創作された、不思議な古代文学といえます。
(日本とユダヤのハーモニーより)
いろんな説がある!
が、
島根にある出雲大社の最奥には、スサノオ神を祀る素鵞社(そがのやしろ)がある。
そこに参ったとき、その後方に大社を守護するようにある御山に氣が向いた。
八雲山。
その御山の名前だ。
さて、ただいた関東にある私。
やくも? 八雲?
その連想ゲームは、すぐに八雲神社に行きついた。
そういえば、八雲神社という名前を聞いたことがあったな。
調べてみると、鎌倉最古の厄除け神社といわれる八雲神社があった。
八雲神社
もと鎌倉祇園社や祇園天王社などと称したが、明治維新に際して現社名に改称した。
厄除け開運の神社としても知られており、地元では「八雲さん」や「お天王さん」などと呼ばれ親しまれている。
社伝によれば、永保年間、源義光が奥州へ向かうのに際し、鎌倉に疫病が流行しているのをみて、京都祇園社の祭神を勧請し、祭ったのが始まりと伝えられる。
応永年間には、義光の子孫である佐竹氏の屋敷に祀られていた祠が合祀され、佐竹天王と称した。
また、大正12年関東大震災の際には社殿が倒壊しており、昭和5年に再建された。
(Wikipediaより)
ご祭神
須佐之男命
奇稲田姫命
八王子命
佐竹氏の霊
もとは祇園社ということは、八坂神社と同系なのだろう。
すでに一昨年になる2020年7月。ちょうど疫病蔓延防止のため中止になっていなければ、祇園祭のクライマックスを迎えるあたりに、初めて京都の八坂神社に参ったことを思い出したけど。
牛頭王とスサノオ神について、
蘇民将来についてを知った。
祇園社
牛頭天王・スサノヲを祭神とする祇園信仰の神社。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社、素盞嗚神社などがあり、時代や資料によって通用される。
名称は、神仏分離以前に現在主祭神とされているスサノヲが祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され祀られていたことから来ている。同様の信仰を持ち、「牛頭天王社」と称する神社も多かった。
明治に神仏分離が行われた際、仏教の神である牛頭天王は祭神から外され、神道の神であるスサノヲが残ったが、同時に多くの神社名から仏教用語の「祇園」や「牛頭天王」が外され、総本社である京都の祇園社も八坂神社と改名された。しかし神社の名前が変更されても、地名としての「祇園」「天王」や、奉納される祭の「祇園祭」「祇園御霊会」といった呼称、また神社の愛称としての「祇園さん」「(お)天王さん」等が残っている地域は多い。(Wikipediaより)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあってか、鶴岡八幡宮の周辺はとても賑わっていた。
そこから少し離れた場所に八雲神社はある。
とにかく「厄除け祈願」ののぼり旗が賑やかだ。
一の鳥居を抜け、参道へ。
間もなく二の鳥居。
鎌倉最古の厄除け神社というだけあって、
境内の結界は強い。
数人ずつではあるが、後から後から参拝客が参るし、お話をしているグループもあるが、境内を形作る氣は穏やかであり、心やすい。
本殿に向かって左側には、
於岩稲荷社
稲荷神社
諏訪神社
三社が鎮まっているのだが、狐霊の存在感が強い!
厄除け祈願の旗の赤が、お稲荷さんを想起させるのかもしれない。
天水盤
天水とは雨水のことで、それを溜めることに使用。
「武州 鋳物師 鈴木文吾氏により「惣型法」にて鋳造さる。東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した。」(神社説明書きより)
境内社にお参りしていると、陽が強くなってきた。
それではと、光の儀式。
本殿が陽の光に包まれる。
境内には背の高い立派なご神木がある!
その足元には、
「新羅三郎の手玉石」
新羅三郎という人は、この石をお手玉にしていたのだろうか?
怪力!
新羅三郎義光。
新羅
氣になりますな〜。
頭に浮かぶのは、
出雲を訪れた際に参った日御碕神社にあった「韓國神社」だったかな。
小さく、ひっそりとお祀りされていたが、とても大きな氣を放っていたことを思い出した。
また、その次に参った、山の中にどかーんと鎮まる韓竈神社。
どちらもスサノオ神がお祀りされていた。
新羅に、出雲に、スサノオ神に。
どこにつながるだろうか?
本殿向かって右側には、祇園山へのハイキングコースがある。
※2022年2月現在 全面通行止めらしいです。
ハイキングコース入り口に、
三峰神社と御嶽神社が鎮まっていた。
お参りも終わり、
さて、帰ろうと、一の鳥居へ向かう。
はっとして気づいたのは、
そこに、猿田彦大神の庚申塔!
どうでしたか〜。
この道が開きましたか〜。
と、ご挨拶!
ところで、祇園社を調べていて、スサノオ神=牛頭天王が祇園精舎の守護神であることを知った。
祇園精舎 釈迦が仏法を説いた場所。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」(平家物語の冒頭)
源氏が出てきたかと思ったら、今度は平家。
時空を超えたそのシンクロニシティが面白いと思った。
再び、八雲。
天皇誕生日に、
天王さんへ。
猿田彦大神は、古代ヘブライへの道を開いたか?
そして、アドナイは、何を示しているか?