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御穂神社と神の道でつながるのは、三保の松原。
三保の松原とは?
三保松原は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地です。その美しさから名勝に指定され、日本新三景、日本三大松原のひとつに選ばれています。また、ユネスコの世界文化遺産「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉ー」の構成資産に登録されています。
日本では松は、常緑で冬でも緑を絶やさない神の宿る神聖な木とされ、門松や正月飾りをはじめ、婚礼、誕生の祝い事に欠かせません。
中国においても縁起が良く、清く高い品格の意味を持った長寿の象徴です。
三保半島は、大崩海岸や安倍川河口からの砂礫(砂と小石)と、有度山南面の海食崖から削り取られた砂礫が、波の影響により沿岸に沿って東に運ばれ、駒越沖に北東方向に細長く突起状に成長してできた半島です。
このような砂礫の移動により形成された地形を砂嘴といい、かつて三保の砂嘴は1年に3mほど成長していました。
古代中国の思想の影響により、富士山は蓬莱山とも呼ばれ仙人が住むと考えられました。その仙人の住む富士山と人間の世界とを結びつける「架け橋」のような存在が三保松原でした。
三保松原は常に富士山と共に描かれ、富士山へ向かう入り口と認識されてきました。
古くから富士山を望む聖地であった三保松原は、天女の伝説によって美しく語られ、昔から人々に親しまれ全国的に有名でした。
(静岡市 三保の松原HPより)
三保の松原 羽衣伝説
三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。
すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。
なお、このときの羽衣の切れ端といわれるものが、近くの御穂神社(みほじんじゃ)に保存されています。
(清水海岸ポータルサイトより)
天女が羽衣をかけたとされる羽衣伝説で有名な松です。
この松は御穂神社のご神体で、祭神の三穂津彦命・三穂津姫命が降臨する際のよりしろ(目印)とされており、およそ500mの松並木の参道「神の道」を経て御穂神社へと通じています。
初代の羽衣の松は宝永4年(1707年)の富士宝永山噴火の際に海中に没したと伝わっていますが、二代目の羽衣の松も樹齢650年を越えて衰弱が激しく、現在は三代目の元気な松に世代交代をしました。
(清水海岸ポータルサイトより)
松林を抜け、眼の前に広がるのは駿河湾。
砂浜には、御穂神社の離宮とされる羽車神社がある。
ご祭神は、御穂神社と同じ、三穂津彦命(大国主命)と三穂津姫命。
羽車神社は小さな境内。朽ちた松があり、それが不思議と印象的だ。
やがて、本格的な春が来る。
天の光が
地の光と
重なり
キラキラと
輝きが増す。
視線を左側に向けると、
遠くに富士山が見える!
富士は天晴れ 日本晴れ!