再び、伊豆の火山が気になり、伊豆半島の石廊崎へ!
明確な理由は見当たらないが、できるだけ海へ近づきたいと思った。
調べてみると、伊豆半島の先端・崖っぷちに石室神社がある。
では、そこを目指して行ってみよう!
石室神社は、石廊崎オーシャンパーク内にある。
石廊崎オーシャンパーク(一般社団法人 南伊豆観光協会より)
まだオープン前の休憩棟を抜け、パーク内を少し進むと、神社の鳥居がある。
鳥居を抜けると、間もなく、海!
この日、海は優しく穏やかだった。
そして、ここには石廊埼灯台がある。
石廊埼灯台
白亜の塔形をした中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。周辺は、富士箱根伊豆国立公園に指定されていて、壮大な太平洋のパノラマが展開している。普段は灯台の敷地内へ立ち入ることはできないが、7月と11月のうち1日間程度、灯台の一般公開が実施され、灯台上部踊り場まで入ることができる。なお、灯台の名称は「石廊埼灯台」だが、所在している岬の名称は「石廊崎」である。
昔より石廊崎は航海の難所で、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多くあったため、灯台の設置が求められていた。
(以上、Wikipediaより)
そういえば、台風の中継などで聞いたことがあるような・・・。
灯台にものすごく興味をもっているわけではないが、石廊埼灯台はとても綺麗だと思った。
灯台のある場所から撮影。
はるか彼方に見える半島は、三浦かな? 千葉かな?
石室神社へ向かう参道へ戻る。
「石室権現参道」の石碑に案内される。
石畳を石室神社へ向かう。
足元をみると、「境界」と書かれたプレート。
なんの境界?
石室神社へ向かう道、右側は下の景色が見れる。
海底火山の荒々しさにエネルギーを堪能する。
石廊崎
太平洋に突き出たこの岬より西は駿河湾及び遠州灘、東は相模灘である。また、太平洋とフィリピン海の境界でもあり、相模灘側が太平洋、駿河湾側がフィリピン海である。
〜
一帯の地質は、海底火山が噴出した溶岩流で、約700万年前の浅海底に噴出したもの。
(Wikipediaより)
石畳を先に進み、階段を降りると石室神社。
石室神社
石廊権現(いろうごんげん)や石廊崎権現(いろうざきごんげん)とも呼ばれる。古くは伊波例命神社(いはれのみことじんじゃ)とも呼ばれていたとされ、また祭神は現在では伊波例命(いわれのみこと)と云われるが、以下に記すように必ずしも定かではない部分もある。伊豆国神階帳「従四位下いわらいの明神」に比定。
社殿は海岸の岩窟上に立てられた帆柱の上に造営され伊豆の七不思議のひとつとされている。
尚、50メートルほど離れた岬の最突端には熊野神社(くまのじんじゃ)があるが、事実上ひとつの神社として扱われることが多く、本項では一緒に記載する。
(Wikipediaより)
石室神社の全体像。
まるで岩に加えられているかのようにお社がある。
石畳の参道から石室神社へ続く階段。下から撮影。
撮影できなかったが、
ダイナミックでパワフルなお社だった。
強力なエネルギーに触れることができる。
歴史
由来や創建時期には以下のように諸説があり、必ずしも定かではない。社伝によれば文武天皇大宝元年(701年)に初めて堂が建てられ、最初は観音像と第六天神を安置していたが、その後役小角が神託を受けて伊波例命を祀ったという。
一方「石廊山金剛院縁起」(拝殿内に展示されている)によると、役小角が伊豆大島へ流されたとき(文武天皇3年(699年) – 文武天皇5年(701年))、十一面施無畏の神力を得てこの地に至り、また文武天皇4年(700年)に大地震があった際にも、龍と白鳥が現れてこの地を守った。村人の一人が夢の中で海中より宝殿が浮かび上がって岬の中腹の岩窟に座すのを見たため、行ってみると果たして宝殿が出現し中に十一面観音が安置されていた。その後更に天平年代(729年 – 749年)、行基によって第六天神が祀られたという。
また「秦の始皇帝5世の孫と云われ日本に帰化した(異説もある)弓月君(ゆつきのきみ)が物忌奈之命(ものいみなのみこと)と称されるようになり、これを祀る神社として、その子孫を名乗る秦氏が建立したもの」とする説も有力である。但しこの物忌奈之命が、同じ旧伊豆国の神津島に祀られている物忌奈命と関連があるか否かは明らかにされていない。
(Wikipediaより)
石室神社からすぐの断崖には、熊野神社がある。
熊野神社
由来
石廊崎近くの長津呂の郷に住むお静という名主の娘が、漁師の幸吉と恋に落ちたが、身分の違いで許されぬ恋であったため、幸吉は神子元島に流された。幸吉を忘れられないお静は、毎夜石廊崎の先端で火を焚き、神子元島の幸吉と愛を確かめ合っていた。
ある晩、神子元島の火が見えないことを心配したお静は、たまらず小船を出して神子元島に向かったが、折りからの大風で波は高く船は進まず、お静は一心不乱に神に祈った。その甲斐あって神子元島に漂着し、無事二人はめぐりあい結ばれた。その後二人を親たちも許すこととなり、末長く幸せに暮らしたという。
お静が火を焚いたところに熊野権現の祠が祀られ、以来縁結びの神として知られることとなった。明治初期の神仏分離により熊野神社と称するようになった。
(Wikipediaより)
熊野神社のある断崖から、遠く伊豆七島が見える。
崖の上に立ち、空と海の狭間にあると、
この周辺のエネルギーが身体に伝わってくる。
少し場所を移動し、しばし、瞑想をする。
はるか遠い昔、海底火山から噴出した溶岩流。
約700万年を経て、ここでシンクロする。
地・水・火のエネルギーがわたしの内に集合した。
激しく、力強いエネルギーを引きこみ、調和する。
地球の声を聴く。
マザーアース、グレートマザー!
母なる地球は、なにを語るか。
伊豆七不思議
石廊崎権現の帆柱
石室神社に、江戸時代から伝わる伝説である。海面から30メートル以上の断崖絶壁の上に、石室神社の社殿が千石船の帆柱を枕に建てられており、これにまつわる不思議な伝説が江戸時代からある。
昔、播州濱田港から塩を運んでいた千石船が石廊崎の沖で嵐に遭い、その帆柱を石廊権現に奉納すると誓って祈ったところ、無事に江戸に到着することができた。その帰途、帆柱奉納のことをすっかり忘れていると、何故か石廊崎の沖で船が進まなくなり、天候が急変して暴風雨となった。往路に誓いを立てたことを思い出した船主が千石船の帆柱を斧で切り倒すと、帆柱はひとりでに波に乗り、断崖絶壁(およそ30メートル)を石廊権現の社殿あたりまで、まるで供えたかのように打ち上げられた。同時に暴風雨も鎮まり、船は無事に播州へ戻ることができたという。
帆柱は明治34年(1901年)に再建した社殿の基礎として使用され今も残っている。材質は檜で長さは約12メートル、現在では社殿の床の一部がガラス張りにされ、直接覗くことができるようになっている。