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富士山五合目から訪れたのは、
隣には、山中浅間神社もあり、二社は陸橋というのかな? つながっている。
まずは、山中諏訪神社。
ご祭神
建御名方命
豊玉姫命
ご由緒
人皇十代崇神天皇の御代七年(西暦104)、国中に疫病が蔓延。勅命をもって土人創祀(地元の人たちにより神様をまつる)しましたが、これが山中諏訪神社(山中諏訪明神)の起源と伝えられています。第六十二代村上天皇御代の康保三年(966)には、村人が開墾の守護神として、諏訪大明神を奉りました。時代がさらに進んだ天文二十一年(1552)には甲斐国守護武田晴信公が、相模国北条氏との合戦に際し、当神社に御加護を請い奉らんと、本殿を造営寄進しました。貞享元年(1684)には本殿を修築、以来、安産子授けの守護神として崇敬され毎年九月の例大祭「山中明神安産祭り」は、妊産婦や新婚女性が集まるお祭りとして全国的に有名です。(山中諏訪神社HPより)
こちらは、安産・子授の神さん!
この時も、3組のご夫婦・ご家族が参拝なさっていた。
2組は、子授祈願。1組は、お子さんが授かっての、御礼参りのような・・・感じ。
富士山五合目の荒天とはうって変わって、お日さま燦々! 青空が綺麗!
それが強氣なご祭神のエネルギーを柔和なエネルギーに変性する。
それと複数のご夫婦の様子をみていると、境内がさらに柔らかな空気に包まれていくように思えた。
本殿後ろの木から枝がピンと出ている。
まるで受信機のよう!
ご神木に陽が当たり、エネルギーを変性する。
山中諏訪神社から山中浅間神社へ。
この橋を渡る。
山中浅間神社
ご祭神
木花開耶姫命
天津彦火々瓊々杵尊
大山祇命
ご由緒
平安時代の承平元年(西暦931)、郷民社殿を造営し、三柱の神(木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山子祇命)を勧請して奉ったことが、山中浅間神社の始まりです。(山中諏訪神社HPより)
手水舎。
龍神なのだろが、ちょっとユーモラス。
私見だが、シュナイダー犬に顔が似ているような・・。
拝殿。
山中浅間神社から山中諏訪神社へ戻る。
途中にあるのが、
厄神社
厄神社とは不思議な名前の神社だが、平安時代中期に連島宮之壇という所に出来た「薬神宮」が始まりといわれ、その後、「疫神宮」「厄神宮」と称され、明治になって「厄神社」と改称。
災難防護、病気平癒、産業繁栄、文芸、学問の神として知られており、その御神徳を仰ぎつつ、更に現在では厄除祈願、安全祈願等が盛んに行われている。(山中諏訪神社HPより)
薬神宮が、疫神宮・厄神宮からの、厄神社。
薬・厄 やく
表裏一体!
朽ちたご神木がお祀りされている。
山中諏訪神社は、森のなかにある。
とても気持ちのよいエネルギー!
光の儀式をしてみれば、ラインが現れた。
樹々たちの氣が森をかたち作る。