前回記事 :【祈り】荒ぶる神 スサノオへの道は、キリストへとつながる!? 日御碕神社・島根
地が求める
天が応える
子が産まれる
子が祈る
天が応える
地が応える
天と地がつながる
神とともに!
八百万とともに
精霊とともに
在ると実感した旅。
スサノオのエネルギーを実感した旅。
わたしは想った。雪がみたいと。
日御碕神社近くで昼食を終え、バスで出雲大社へ戻る。
その途中にあるのが「稲佐の浜」だ。
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
また、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。
稲佐の浜に一際目立つ丸い島があります。
地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。
昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。
(出雲観光ガイドより)
出雲では神在月と呼ばれる旧暦の10月。全国の八百万がここ出雲に一同に会し、男女の縁、お金の縁、様々な縁を決める「神議り」が行われる。
そのとき上陸するのがこの稲佐の浜といわれている。
どんなところなのだろう?
興味がうち勝ち、冷たい風が吹くなかバスをおりた。
しかし、あまりの風の強さと冷たさに、浜の神聖さを感じるどころではない。
とぼとぼと砂浜を歩きながら、浮かんでくる言葉は、「寒い!」
それしかなかった。
いまでは豊玉毘古命が祀られている弁天島といわれる場所で祈り、写真を撮る。
そのときだった。
天から白いものが降りてきた。
雪!?
雪が見たい。
その想いが天に届いたかのように、雪が舞った。
想いが届いたのか、八百万がそばにいることを知らせてきたのか。
スサノオ? 龍神? 天気を司る神?
ここは出雲。八百万の神々が集う地。なにがおきても不思議ではない。
そして、その通り、常に身近に龍神を感じる旅となった。
弁天島
天に願いが届いたのか、稲佐の浜で雪が舞った様をみれたことはは嬉しかったが、いかんせん寒い。冷たい。
早々に浜から離れることにし、徒歩で出雲大社を目指すことにした。
浜を離れてまもなく雪は雨へと変わり、出雲大社に着く頃には小雨になっていった。
今回の神旅にご同行いただいたかたにご提案いただき、最初に向かったのはムクノキのある場所。
その後ろには命主社がある。
命主社 出雲大社の摂社
正式な名称は「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」で天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られています。
巨岩の前に建てられていることから、古代の磐座(いわくら。神の御座所。自然の巨石をさす場合が多い)が神社に発展した例として貴重な神社です。
(出雲観光ガイドより)
ムクノキ
命主の社の前に、推定樹齢1000年といわれるムク(椋)の巨木があります。
高さ17m、根本回り12mもあり、板状の根が発達し、2m近くも根上りした見事な巨木で、昭和51年(1976)に島根の名樹に指定されました。
(出雲観光ガイドより)
命主社の後ろには、真名井遺跡がある。
真名井遺跡
寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
銅戈は銅鉾(どうほこ)、銅鐸(どうたく)と並んで弥生時代を代表する青銅器ですが、勾玉と一緒に発見されたことは注目されます。
銅戈は北部九州産、硬玉製勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、この時代に北部九州、北陸と交流があったことを物語っています。
2つの遺物は、天孫系三種の神器のうち、剣と玉にあたり(あと1つは鏡)、これが出雲大社の近くから出土したこともあって昭和28年(1953)に重要文化財に指定されました。
出雲大社の宝物殿に展示されています。(古代出雲歴史博物館にも複製が展示してあります)(出雲観光ガイドより)
写真撮影をしていたときだった。
それまでは、しとしとと降っていた雨が、突然強くなった。
なんとそれは雨ではなく、あられだった!
激変のお天気、激しく降るあられに、一瞬呆然。
次には笑ってしまった。
下の写真、ムクノキに点々を白いモノがあられ!
しばし雨宿りののち、先ほどみた案内板「真名井の清水」へと向かった。
真名井の清水
島根の名水百選に選ばれた湧き水で、出雲大社の大事なお祀り事に使われる神聖なご神水です。(出雲大社の歩き方より)
真名井の清水のご祭神
彌都波能賈神(みづはのめのかみ)
ここでもまた強烈な龍神たちからの歓迎!
清水を撮影しているとき、空模様は穏やかだったが、それより上段にあった樹を撮影しようとしたところ、真名井遺跡のときのように激しいあられが降ってきた。
慌てて傘のなかに入る。
ふと、視線のはるか彼方の空をみてみると、太陽がみえている。
もしかして、ここだけ?
歓迎はありがたいが、あられって、しかも激しい。
また面白いことに、その場所を離れると、雨は穏やかになり、傘も必要がなくなる。
そしてぶらぶらと次の場所へ向かった。
次に向かったのは、北島国造館。
ここでも激しいあられの歓迎の儀式は、国造館のなか、摂社・末社でも行われた。
天神社
ご祭神 少名毘古那命
大国主命と力を合わせて国つくりをなさった神です。
医療の神、くすりの神、酒造の神、温泉の神、農業の神としても広く知られています。
日本書紀には「病気になったときの治療の仕方を定め、鳥獣や昆虫の災いを祓うためのまじないの方法を定められた神であり、人々は今に至るまでことごとくこの神のおかげを蒙っている」とあり、各地に伝えられている風土記にも登場されています。(北島国造館HPより)
天神社の後ろにはダイナミックの滝!
御三社
ご祭神 穂日命(あめのほひのみこと)をお祀りする天穂日命社
向かって左がお稲荷さんこと宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)をお祀りする稲荷社
右が三宝荒神(さんぽうこうじん)をお祀りする荒神社
御三社の前にたったとき、ものすごい勢いであられが降ってきた。
狂気乱舞とはこのことだと思わせるほどだった。
祈りのときだけでも止んでくれないかな〜と願うものの、八百万のエネルギーに圧倒された!
さて、いよいよ約1年4ヶ月ぶりの出雲大社へ。
すでに夕方の時刻になっていることもあり、参拝客はまばら。
ここだけの話ではないが、行くところ、ここでもそこでも神はからい、ひとばらいがされる。
暮れ始めた空と本殿。
魅惑的なエネルギーを感じる。
本殿後ろに鎮座しているスサノオ神のお社へご挨拶。
前回のときも思ったが、お社を囲むようにある山のエネルギーが心地よい。落ち着く。
教えていただき、スサノオ神のお社後ろへと回る。
岩が発する熱いエネルギーを体感する。
名残りは惜しいものの、神楽殿へと向かう。
出雲大社といえば、大しめ縄!
したからのアングルが大好き!
出雲神旅 1日め。
お天気がめまぐるしく変わる。
どこの次元を歩いているのだろうか?
八百万が鎮座しているお社に近くと、海に、樹に、岩に近くと、こちらのエネルギーに反応するように、あられが降ってくる。
スピリット同士のエネルギーがシンクロし、反応し合い、天気で表現される。
忘れていた魂の記憶。
それを思い出させようとするかのように、八百万や精霊たち、自然霊たちはエネルギーに反応してくる。
そして、
シンクロニシティ
錬金術
その言葉に大きな意味を感じた。
天が反応する
地が反応する
子がつなぐ