【祈り】荒ぶる神 スサノオへの道は、キリストへとつながる!?  日御碕神社・島根

2020.12.24  Chikako Natsui
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闇を光に転化する

 

地が求める

天が応える

 

光が動く

光が集まる

光が広まる

 

 

どこなのだろう?

 

江の島 江島神社 龍宮でみせられ続けるビジョン。

 

洞窟

ひと

 

一方は暗く、一方は明るい。

わたしは洞窟のなかからその情景を眺めているような立ち位置にいる。

 

ビジョンは、見るときによってちょっとずつ変化する。

岩・洞窟はだいたい同じなのだが、今度は洞窟のなかから見える景色がこんもりとした丘のようにみえる。そこに、3つの十字架らしきものがたっている。

 

ゴルダゴの丘

 

そんな言葉が浮かぶが、行ったこともみたこともない。

繰り返しになるが、この生では、特定の教義を信心していない。

しかし、ここ数年そっち方面へ導かれ、教義というよりは、大宇宙の聖なるエネルギーのひとつとしてキリストを感じ始めた。

キリストのエネルギーで「つながる」 グループスピリットが引き寄せられる。

 

岩 洞窟 ひと

あるときは暗闇 あるときは光

 

なんだろう?

どこだろう?

 

答えがはっきりとやってくるまで、寝かせておこう。

答えがでないまま1年以上は経っただろうか。あるときSNSに投稿された猪目洞窟の画像をみた。

ハッとした!

似ている・・・

江の島でみせられるビジョンに似ている。

岩と洞窟。

これは、どこだろう?

すぐに調べた。

 

猪目洞窟

 

『出雲国風土記』によると、この洞窟は“磯より西の方に窟戸あり。高さ広さ各六尺許なり。窟の内に穴あり。人入ることを得ず。深き浅きを知らず。夢にこの磯の窟の辺りに至る者は必ず死ぬ。故、俗人、古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と号くるなり”と記されている。つまりこの世とあの世を結ぶ境界、 そして“死”を意味する場所なのである。(日本伝承大鑑より)

 

黄泉の坂、黄泉の穴。あの世とこの世の境界。

ひと的意識では不気味であり、怖くもある。

霊的意識では馴染みがあり、納得感がある。

転生を繰り返し、境界を行ったり来たり。

そしてまたこの生でも、魂の記憶が蘇り、霊(スピリット)とつながりが強固になるにつれ、境界へと引き寄せられる。

 

ここなのか? 逡巡している最中、やってきた言葉。

 

死と再生

 

この生でのメインテーマ!

 

死と再生

闇と光

 

統合であり、復活であり

 

それを司るのは、キリストなり。

女神イナンナやペルセポネもしかり、ウィキペディアによれば、日本神話のイザナギの黄泉訪問、アマテラスの岩戸隠れもそれにあたる。

 

岩・洞窟。

 

ピースがひとつ、ひとつ当てはまっていく。

 

猪目洞窟は、島根県出雲市にある。

 

出雲か。昨年訪れたことを思い出した。

そして、ふと、あるひとの顔が浮かんだ。

 

彼女との出会いは昨年の冬至。

開催したワークショップへご参加くださった方だった。

「出雲」のキーワードがつなげる縁。

さらに夏至の再会。

2020年のこの日は、夏至・新月・日食が重なりあう特別な日だったように記憶している。

まさしく、この世界へと降りてくるエネルギーの強さには驚かされた。意識が違う次元へと引っ張り込まれるように思えた。

 

おそらく、「出雲」行きはそこで明確に決まったのだろう。

日食もまた死と再生のひとつの形。

その時間をともに過ごすことで、スピリットはシンクロし次元を超えた。

そして、スサノオのエネルギーを感じる頻度が高くなってきたのもこの辺りからだったろうか。

 

わたしが猪目洞窟を知ったのは、それからひと月半ほど経ってからだった。

前述のとおり、それが出雲にあると知った瞬間に浮かんだのが彼女だった。

引き寄せとは大宇宙の采配、魂の約束、グループスピリットの引き寄せ、さまざまな言葉で表現できるが、当然至極、とても面白い!

彼女から9月開催のイベントへの参加申し込みの連絡があったのは、それから間もなくのことだった。

 

わたしは彼女に猪目洞窟の情報をお聞きしたかった。

そのときはまだ、ひと的意識では出雲に行こうとは決めていなかった。

行きたい。でもな・・。いく必要がある。だけどさ・・・。行かねばならない。・・・恐いんだよね。

洞窟に強く惹かれるものの、出雲国風土記に書かれているような内容やうんちくを読んでいると、わたしの内側から恐れが生じる。

しかし、それは面白いことに、死にまつわる恐怖ではない。

そこを訪れ、魂が思い出し、その場所にマッチングすることへの恐れだった。

具体的に説明するなら、場のスピリットたちと交信するため瞑想状態になり、深い瞑想から意識が変性・変容していくなら、どこまでいってしまうのだろうかという恐れ。

死と再生を司る神スピリットが支配する場。壮絶な経験をさせられそうに思えた。

 

そんな想いもあり、出雲行きを決めかねていた。

そのとき彼女が「一緒に行きます」と言ってくれた。

グループスピリットの司令、ガイドに動かされているのだと瞬間的に思った。

もちろん、ひと意識でもその想いはあったのだろうし、彼女にとっても出雲は死と再生。生まれ変わり、復活への旅。霊的に次の扉が開くことになるのかもしれない。

 

しかし、それでもわたしはその場では恐れのほうが勝ち、出雲へ行こう!と、具体的に決めることはできなかった。

 

 

だが、すべては大宇宙の采配。

逡巡しようが、逃げようが、来るときは来るのだろうし、開けるときは開けなければならないのだろう。

迷いが姿を現す。

恐れが姿を現す。

結局、行くしかないよね・・・

そう腹を括り、彼女へ連絡した。

 

彼女にお願いしたのは、ストッパーの役割。

わたしを現界へと引き止めてくれるひと的エネルギーが必要だった。

かといって、単にひと!ではない。

出雲の地の神スピリットとシンクロしている魂が必要だったのだ。

 

 

今回の神旅は、これまでとは違い、グループスピリットの活動のスタートだったようにも思える。

それぞれの課題をこなしながら、活動しながら霊的進化をしていく。

 

ひとで在って、ひとに在らず

ひとに在らずして、ひとで在る

 

八百万とともに

精霊とともに

 

グループスピリット

 

そこには、ひとに転生したスピリットはもちろん、神や精霊へと転生したスピリットも含まれる。

 

どの次元を、どの時間を歩いていたのだろう。

振り返ってみれば、肉体・感情・思考・意識・魂もすべて、大きなエネルギーに支配され、行動していた。

いや、支配というよりは、大きな大きななにかに取りこまれ、動かされていたように思える。

見させられ、感じさせられ、考えさせられ、話をさせられ、動かされる。

大きなエネルギーがわたしを動かしていた。

 

そして、この神旅では、たしかに荒ぶる神のエネルギーをうちにも外に感じていた!

 

 

12月20日にスタートした神旅。

さて、最初に訪れたのは、日御碕神社。

前回出雲を訪れたときは、出雲大社だけの参拝だったため、ここには来ていなかった。

今回はスサノオのエネルギーとシンクロする旅と称し、ぜひ訪れたいと思っていた。

 

 

 

 

楼門

 

 

日御碕神社

『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される歴史ある神社です。神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。

楼門をくぐり、右手の小高いところには「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。
出雲の国造りをしたスサノオが、根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。
その後スサノオの五世の孫、天葺根命(アメノフキネノミコト)がこの地にスサノオを奉斎したといわれています。

楼門の正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」があります。
こちらには神話の中でスサノオの姉とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。

この「日沉宮」は、
【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】(訳:伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)との神勅により祀ったのが始まりと言われています。(出雲観光ガイドより転載)

 

 

 

下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」

ご祭神 天照大神

 

松の木がダイナミック!

 

 

階段を上ると、神の宮!

ご祭神 素盞嶋尊

 

神の宮のよこから強いエネルギーを発する鳥居を発見!

見ためにおどろおどろしい。

でも、記事を書くのに、情報を調べていると、日御崎神社一のパワースポットという記事をいくつもみかける。

見ためで、参拝者を選り分けているのだろうか。

すぐ後ろからやって来た家族連れらしい参拝客は、「怖い」といって戻っていった。

 

さて、鳥居を抜けて。

 

さらに、鳥居を抜けて。

 

 

さらに鳥居の先に小さなお社。

地の神が鎮座していた。

 

 

ハートのチャクラが反応する。

言葉にできないコミュニケーション。

エネルギーのシンクロニシティ。

 

 

横をみると、小さな眷属の狐さんたち!

少しシンクロし、その場を離れた。

 

 

お稲荷さんの鳥居を抜けて、右側。

ここからもまた強いエネルギーを感じる。

 

林の向こうに歩を進める。

 

ここは地の神の荒御魂をお祀りしている。

 

 

 

十九社

 

韓国神社

ご祭神 素盞嶋尊 五十猛神

 

 

 

韓国神社

強く語りかける。わたしのエネルギーにシンクロしてくる。

ハートのチャクラがズクズクする。

神スピリットの巨大なエネルギーを感じた。

 

雨が降ってきた。

この日は、晴れたり、曇ったり、雨が降ったりと忙しく天候が変わる。

寒い、雨が冷たい。

明日は冬至。いまが一番夜のエネルギーが強く、夜明け前ともいえるとき。

雪がみたいと思った。

冷たい雨にうたれるなら、真っ白な綺麗な雪をみたいと思った。それはひと的意識。

雪の霊的な意味。

浄化。

そして、白は始まりを予感させる。

 

 

日御碕神社の参拝が終わり、次に、出雲日御碕灯台方面へと向かう。

ご同行くださった方から、出雲大社や土地のあれこれと興味深い話をお聞きしながら、歩っていく。

 

途中から海が見えた。

視線の先には、経島(ふみしま)。

 

日御碕神社の西方約100m沖の海上にあり、面積約3000平方メートルの無人島です。
柱状節理の石英角斑岩からなり、その形状が「経典」を積み重ねたように見えるためその名がついたと伝えられています。

この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。
別名夕日の祭りといわれ、刻一刻と日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。(出雲観光ガイドより)

 

 

遠くからの撮影で見にくいが、鳥居とお社が見える。

 

 

海のそばということもあり、風が強く、寒かった。

 

 

神社から灯台までの道すがら、食堂が何軒かある。

海産物、特にウニやいかなどが名物らしい。

わたしは魚の種類が豊富にのっている古事記丼を注文!

 

 

この頃から、霊的意識とひと的意識が面白おかしくシンクロしていた。

そのシンクロに、神意識がちょいちょい働きかける。

いやいや、神意識を土台に、そのうえで霊的意識とひと意識がシンクロしていた。

 

日御碕神社内の韓国神社の神スピリットがシンクロしてくる。

無意識のうちに「韓国」が浮かびあがってくる。

食事をしながら、わたしの口から突然出てきたのは、韓国の音楽グループ BTS(防弾少年団)だった。

前夜、YouTubeで1時間ほど鑑賞していた。

それまでものすごいファンだったかというと、そうでもなく。

突然のにわかファン!?

食事の後半は、ほぼその話でもちきり。

 

宴もたけなわ、話も大盛り上がりではあったが、そろそろ帰りのバスの時間。席を立った。

 

バス停近くに公衆トイレがあり、観光案内の看板があった。

地図と説明書き。

目に留まったのが「韓竈神社」。

 

韓国神社から、BTSへ。

そして、韓竈神社。

 

そこで口をついてでたのが、「新羅」。

いつの時代だよ!? こころの中で思うものの、どんどんと言葉でてくる。

 

今回の神旅は、スサノオのエネルギーを感じ、シンクロする旅。

それは、スサノオの歩みをなぞる旅なのだろうか。