行くところ、行くところ、2羽のにわとりと数匹のパンダがいる。
まるで門番のようだった。
にわとりは、マフラーのようなものを頭からかぶっている。威厳のあるにわとりだ。
数匹のパンダの図体はでかい。おっとりしていて、みているこっちも癒やされた。
すべては夢のなかでの経験。
朝起きて、にわとりは神使だと思った。
なるほど、その通り。調べてみれば、天照大神のお使い。
パンダについては、分からない。(2020年2月24日現在)
日本にいるパンダは、上野? 和歌山? はたまた中国? いずれ答えは見つかるのだろう。
さて、にわとり。天照大神のお使い。
この日は田町へ行く予定。その近くで天照大神をご祭神にしている神社を検索してみると、近くに、芝大神宮があった。
それでは、行ってみるかと予定より早めに自宅を出て向かった。
境内はさほど広くない。
しかし、参拝客があとを絶たないので、さっくりと参拝しようと思い、拝殿の前に立った。
この日は神前結婚式が行われていたようで、それを拝見しながら・・・。
チャリーンとお賽銭。
2礼2拍手。
目を瞑った瞬間に、すぐさま映像はみえてきた。
神がみせるモノクロームの映像。
なにを意味するのか? どこを指し示しているのか? 誰なのか?
ほとんど分からない。
しかし、ここ芝大神宮でみせられた映像は、以前、江の島 江島神社のどこかの宮でみせられた映像と同じものだった。
岩屋らしきなかから見える木々。そして、ひとらしきシルエット。
誰なのか? どこなのか? なにを意味しているのか?
やっぱりわからない。
参拝のためにわたしの後ろにひとが並んでいる気配は感じるものの、粘って、映像をみ続けた。
でも、答えが見つかる、理解するには至らなかった。
さっくり諦め、境内の写真撮影を恥じた。
実はこのビジョン。次の日の富士山へとつながったのだ。
拝殿横へと足を進める。
なんでもない場所に強いエネルギーを感じ。iPhoneを向ける。
途端に、結婚式のために敷かれた赤い絨毯がめくれ上がるほどの強い風が吹いた。
手水舎そばには数本の梅の木。
いまが盛りと咲き誇る!
そうだ! 御朱印!
うっかり忘れるところだった!
参拝の記念にといただいたのが、しおりと生姜飴。
芝大神宮創建当時、この周辺は生姜畑だったらしい。
採れた生姜を神前にお供えする習慣もあったとか。
そういえば、鳥居の脇には「生姜塚」碑があった。
お参りを済ませ、御朱印もいただき、意味が分からないがビジョンもいただき。
とりあえず、本日の任務完了と午後の予定へと向かおうと境内を出た。
それからまもなくだった。
その近くで高齢の男性に呼び止められた。
すぐに、占いをされているかただと気づいた。
断り、その場を行き過ぎようとしたのだが、この日は不思議とこころにひっかかり、話をしてみた。
生年月日と名前を書き、そして手相。おそらく人相もみていたのだろうか。
「誓子」
名前をみた瞬間に、
「なにを決めてきたんですか?」
そう聞かれた。
なるほど、ガイドはそれをいわせたかったか? 聞かせたかったか? 答えさせたかったか?
簡単にいってしまえば、手相はいまの生き方を表していることを理解した。
意識していたこと、潜在意識の情報など、短い時間だったがあれこれ交流してその場を離れた。