6月30日。夏越しの大祓。
ここ2年ほど、師岡熊野神社で開催される神事に参加していた。
今年は都合があって、不参加。
それでも、芽の輪くぐりはしたくて、午前中の早い時間に参拝させていただいた。
人形の神に、名前と生年月日を書いて奉納。
ふと、本殿後ろが気になり、回ってみる。
なんとなく記憶の中にはあったような気はしていたが、色々な神様がずらりと並んでいた。
お社ひとつひとつのご挨拶。
その並びに、「の」の池がある。
本当に池?と、思えるほどの小さな池だ。
すべてのお社へのご挨拶が終わったあと、ちょうど中央にある「のの池」の側へ寄ってみると、強く熱いエネルギーを感じた。
自然と目を瞑り、祈りの姿勢となる。
今度は、その強いエネルギーに身体が刺激され、自然と全身が動きだす。
身体を動かしながらも、頭の片隅では、「これ・・・誰かに見られていたら、恥ずかしいかも〜」などと人間的なことも考えている自分がいた。
しかし身体はおかまいなしに自在に動く。そのうち両手が八の字を描き出した。
その動きに、なにか意味があるようにも思えてみたり・・・。
神に捧げるダンスなのか? はたまた、神からのメッセージなのか? または単にその場の磁力に身体が勝手に動いただけなのか?
祈りは終わり、その場を後にしようと後ろを振り返ってみたら・・・誰もいない。
いつもの神旅同様、周辺にはひとの姿はない。
祈りは、異次元、異界へとつながる時間。
神社の階段を降り、駅へ向かう道へ・・・と、思ったら目の前に池。
・・・気になる。
この神社へは何度も訪れている。
池があったことに気づいていたようないないような・・・。
いつもは、初詣とか、大祓とか、目的があって訪れていたからだろう。
目的をもってしまうと、思考が動き出し、自然と目的のものを探してしまう。
ずっとそこに「ある」ものでも、「目的」に意識がいってしまい、気づかない。
その池は「い」の池という。
なるほど・・・
水辺、池、弁天様、市杵島比売神が鎮座していた。
いつだって、どこに行っても見守っていてくださる弁天様に気づかないとは!
小さな池、この日も今にも雨が降りそうな空模様。どんよりとした空気がその辺り周辺を取り囲んでいたが、不思議とそこは心地良かった、
ところで師岡熊野神社は、ヤタガラス。
そういえば、この日の何日か前の瞑想で、ヤタガラスが突然現れた!
メッセージをいまひとつ聞き逃したが、思い当たることが複合的にやってきているような気がする。