光の道にいくには、闇深き森を抜けなければならない。
惑星のアセンションが始まる。
次元が変わる
エネルギーが変わる
地球と宇宙がちかづく
天と地がちかづく
霊界と現象界がちかづく
それに同調・調和ができない肉体は、転生を余儀なくされる。
それに同調・調和できないこころは、混乱・混迷する。
宇宙の真理からはずれたエネルギーは必然的に浄化される。
それを約束し、光の道をいく魂がある。
光が強まれば、それに引きずられるように闇のエネルギーも増す。
光と闇は、それで一対。
大宇宙の聖なるエネルギーを授かれば、光は強まり。
それから離れるほどに、闇の威力が増す。
輪廻転生。
光の道をいくものは、いくどかの生のうち、光を極めるためにあえて闇のなかを生きる。
闇で生き、闇をまとい、闇を崇め、闇を恐れ、闇に弄ばれる。
ひとは誰も、光と闇をもつ。
光だけ求め続けのは、闇深いあかし。
内なる闇を認め、それを解放していくのならば、闇を闇ともおもわず、恐れが失くなる。
この世界に恐れる「なにか」があるなら、そこに闇あるあかし。
さて、ここが大きな道の分かれ目。
内なる闇を手放し、光の道へ戻るのか・・・
内なる闇に気づかないふりをし、闇に弄ばれ続けるのか・・・現界を生きるひと族のように。
内なる闇に喰いつくされ、闇の住人を選ぶのか・・・そのむかし、堕天使ルシファーのように。
光の道をいくものは、見せられ、試される。
内なる闇が現象となり、それにどのように向き合うのか?
ひとは、肉体・幽体・霊体から構成されている。
現界人であり、霊界人である。
しかし、長い転生の果てに、ひととして生き、抱えたネガティブエネルギーは幽体に保持され続ける。
現界から霊界へいこうとするなら、間の幽界を通らなければならない。
光へ向かうなら、闇深き森を抜けなければならない。
それが、大宇宙のゲーム。
光を求めるばかりに、闇のなかで自分を見失うか。
光を求めているが、闇が恐すぎて森に入っていけないか。
内なる闇を手放したものは、大宇宙のホントウの光をしる。
真理・愛・0・・・それは、様々な表現がされる。
内なる闇を手放さず、大宇宙のホントウの光をみることも、知ることもない。
もし、なにかを真似て、作られた人工的な光を聖なる光と嘯き、人心をコントロールするなら。
人工甘味料が加えられた水を、聖水というなら、
すでに、その魂はサタンに愛され始めているのだろう。
悪魔や堕天使とて、最初は、大宇宙=神から愛され、光ある聖なる使いのものだった。
しかし、内なる闇に支配され、その傲慢さから、己が神と勘違いし、世を操ろうとし、天界から追放された。
宇宙神子は、大宇宙の聖なる愛のエネルギーをつなぐ魂。
宇宙征服を目論むサタンの暗黒なエネルギーには、邪魔なもの。
はるか遠いむかし、宇宙では、その戦いが繰り広げれ、いまだ、小競り合いが行われている。
光が大きく、強いほどに、同じ量の暗黒のエネルギーを引き寄せる。
そして、幽体にあるネガティブエネルギーを刺激し、弄び、混乱させ、ダークエナジーへと引きずりこむ。
引き寄せとは簡単なこと。
闇は闇を介してやってくる。
宇宙神子がこの世界へやってきたことの意味。
エネルギーの状態では、自分のネガティブエネルギーがどのようなものなのか分からない。
ひととなれば、それが現象となって現れる。
嫌いなひと、苦手な環境、逃げ出したくなる人間関係、どうにもならない切羽詰まった状況。
保有しているネガティブエネルギーを形としてみて、解放するために、この惑星にヒューマノイドでやってきた。
光へと還るには、いずれ、どこかの時点で闇深い森は通らなければならない。
闇深い森。それが、宇宙では嘆きの惑星ともいわれるこの地球を意味しているのだろう。
孤独になることはない。
魂の光は、行き先を照らし、守護霊、ひと的ガイド、霊的ガイドもエネルギーでつながり、常に一緒にいるから。