闇は光を求める
光は闇の求めに応じる
光は闇へやってくる
光は闇に吸収される
繰り返す 繰り返す
闇のなかに光がひとつ
闇のなかに光がふたつ
・・・・みっつ、よっつ、いつつ・・
闇のなかの光はどんどん増える
増え続ける・・・
いつしか、闇は光へと吸収され
光が広がる 広がる
光の川が流れる
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先日公開の記事を書いていて、そのときの感覚が蘇って来た。
「ナビが示す道路を行く。
周囲には、
誰も、いない。
車も、こない。
山のなかを歩くより、なにやら孤独感が増す。
ひともいない。精霊たちもいない。
自然のなかなら、周囲にスピリットの存在をかんじるが、ひとの世界と自然界が平行にはしる場所は、なんとなく、ひとりぼっち感があるのが面白い。
ひと的世界と八百万や精霊たちの世界。どっちつかずってとこかな」
情景を思い出し、そのときを再体験する。
綺麗に整備された道路。ナビはその道をまっすぐ進めば目的地にたどり着くことを指している。
ひとはいない。
車もいない。
なせか、そのとき、わたしは不安を感じた。
いま一度、イメージのなかでその情景のなかに身を置く。
うちなる声は、魂はわたしになにを伝えてくるだろうか。
「どっちつかず」
先の記事でも書いた、その文章そのままが蘇る。
ひと的世界と八百万や精霊たちの世界。どっちつかずってとこかな。
見える世界と見えざる世界
ひとの世界と八百万や精霊などのスピリットの世界
現界と霊的世界
この次元と異次元
このタイムゾーンと違うタイムゾーン
つなぐ魂は、はざまの世界で生き、活きるのが宿命のようなもの。
ひとの世界に身をおき、意識は違う時空間を彷徨う。
そのため、常に葛藤と混乱のさ中にある。
例えば、他者と会話しても、ひとはこの世界のフォーマットで話をするが、はざまの魂は霊的世界のフォーマットで話をするため、同じ内容についてを話題にしているにも関わらず、なんとなく噛み合わない。
言いたいことはそうじゃなかった。分かってほしいことはそれではない。
でも、理解してもらうための言葉がみつからない。表現方法が分からない。
ひとによっては、見えざるエネルギーに入り込まれたり、憑依されたり、コントロールされて話をさせられていることもあるので、ふたりで話をしていたはずが、実は、三人、四人と、複数のエネルギーが入り乱れて会話しているなどのこともある。
結果、会話の先は、収集つかなくなったり、様々なトラブルにつながりやすくもなり、さらに混乱や孤独を味わうことになる。
先天的に、魂が選んだはざまの人生であれ、後天的にエネルギー体をいじった状態であれ、意識がしっかりと目醒めを自覚し、肉体と霊体が一致し、幽体の存在を理解していないと、えらい目に合う。
特に後者は大宇宙の法則を無視しているケースが多いので、十分に気をつけたい。
ここでは、魂が選んだはずの人生に焦点を当て話を進める。
サナンダG
聖なる愛の光のエネルギーで大宇宙をつなぐ。
闇に光を!
光の橋を!
光を流す!
ゆえに、
この世界の闇とも思える場所に転生する。
現界と霊界のはざまに身をおく。
魂は知っている。スピリットの目的を。
そして、さまざまなチャンネルを通して伝えてくるが、「そのとき」まで閉じられた霊的経路は、魂からのメッセージを受けとれない。
しかし、そもそもが感受しやすく、敏感な質なので、「なんとなく」感づく。
だが、これまでの経験や学んできたこと、世の中でいわれていることと照らし合わせたものと、「なんとなく」は一致せず、自分が間違っていたとか、勘違いしていたとかで無かったことにしてしまう。
それでも「なんとなく」は続くものだから、徐々に不安になってくる。
あるときは無意識に「なんとなく」が指し示す方向に動かされてみたりすると、頭のなかで描いていたイメージとは違う結果を引き寄せ、さらに不安定になる。
このスピリットは、すでに魂のメッセージにしたがってこの世界を生き始めている。目醒め始めているのだが、意識化されていないので、混乱している状態だ。
「なんとなく」選び、
「どっちつかず」の状態が続く。
こっちにいながら、あっちにいる。
あっちに行きたいけど、こっちにいる。
身と霊が一致していないので、こころが不安定になる。
さらなる、孤独・・・。
居場所が見つからない。定まらない。でも、人生は流れていく。
そんなときに、スピリチュアル情報にでくわすことがある。
そうか! わたしが辛かったのはこういうことだったんだ!と、本に書かれていること、ネットの情報、友だちの話に自分を当てはめては納得する。
場合によっては、ここでダークエナジーの刷り込み、コントロールをされ、霊的道中の極化が始まる。
うちなる声を聴き、自分と向き合い、神性に目醒めていくか、
責任を外に求め、現象を変えようとするか。
なんとなく、どっちつかずに、あっちを選び、こっちを選び。
昨日は魂を活きたと思えば、今日はひと的世界で翻弄される。
はざまで学びは続く。
スピリチュアルにいきたい!
魂をいきたい!
自由に活きたい!
ひとのために、地球のために、なにかをしたい!
だから、ヒーラーやセラピスト、はたまた占い師になる。
それは、現界での職業。魂からするなら、なんでもいい。
アロマを選ぼうと、食を選ぼうと、肉体のケアを選んでも、なんとか学を選んでも、なんでもいい!
魂は細かく、職業について、あれやれこれやれと指示はしない。
魂が求めること、喜ぶことは、現界での活きかたがスピリットの目的と一致しているかどうかだ。
サナンダG
聖なる愛の光で大宇宙をつなぐグループは、「つなぐ」ことを大きな目的としている。
この世界で「つなぐ」は、さまざまな形態がある。
ひととひとのコミュニケーションの場合、家族単位、地域、会社、友人間、学校、男女、さまざまなあのひと・このひと、グループがある。
電話回線などのIT・通信や建設業界、各種交通機関、運送、芸術、スポーツなどこの世界の「つなぐ」はあらゆる業界にある。
だからといって、「自分、鉄道職員っす。だからサナンダGっす」ってはならない。
なぜなら、ほとんどの魂にとってこの世界は修練所、研修センター。学びの場所だ。だから、グループ違いの業界で魂の修行をしていることが多い。
辛い!
魂の本質と合っていない場所にいるわけだから、当然だ。
しかし、それもまたスピリットが霊的成長、進化するために求めた場所。
なんとも悩ましい。
また逆に、この世界で「つなぐ」仕事をしていたとしても、魂が喜んでいるのに、こころと頭が納得せずに不満に思ってしまうこともある。
ひとの目が気になるとか、お金が儲からないとか、カッコよくないとか、ひとりでできないからとか、危ないとか、怖いとか、理由を外に求め、魂の声を無視してしまう。
そしてまた、「なんとなく」「どっちつかず」の道を彷徨う。
サナンダGに属するスピリットは、おそらくこの状態をいく度も体験するのではないだろうか。
なぜなら、その経験がひとの世の学びにつながるからだ。
だが、それが理解できるまでは、ただただ苦しい。
魂の本質と経験していることの違いに恐れおののく。失敗体験が、次の失敗を引き寄せ、さらに臆病になる。
結果、引きこもるか、傷ついたこころを守るように他者に強気で対峙する。どっちにしてもコミュニケーションがうまくいかなくなる。
ならば、どうすればいいのだろうか?
サナンダGが光の兄弟姉妹たちと霊的世界でともにあるには、どうすればいいのだろうか?
ひととしての自分軸を作る。
様々な経験を通し霊的成長をする。
常に浄化・霊的成長をこころがける。
魂の声を聴き、霊的に活きるのは、言葉で表現するなら数行のこと。
しかし、この数行のなかに、いく度もいく度もの輪廻転生が含まれている。
その先に、大宇宙の真の目的がちょっぴりずつ見えてくる!