2020年 地の神 国造りの神が動く! 地球の変容が進む! そのとき、宇宙神子は!?

2020.1.7  Chikako Natsui
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平成から令和へ。

日本のエネルギーが変わった。

 

いよいよ・・・と、いわんばかりに地の神のエネルギーが動きだす。

それに応えて天の神のエネルギーも強くなる。

 

改元。

それが合図だったのか?

 

世界最古といわれる国。

地球でもっとも古い国。

 

昨年後半から、大国主神のエネルギーによくでくわす。

行く、行かない、行く、行かないと逡巡していた出雲大社へも、尻を蹴飛ばされるような参拝した。

 

神旅が始まった頃は、弁天様をはじめ、どこそこの神さまが!ほとけ様が!と、特別園を感じることもあったが、自分のエネルギーの純度が高まるほどに、どこの神さま、あそこの神さまというのはなくなって、「神界」や「霊界」という「高次元のエネルギー」とそれを低い次元へ「媒介するエネルギー」と思えるようになった。

エネルギーごとに役割がある。

神仏には神仏の役割。ひととしてこの世界にそのエネルギーを媒介する役割。

それぞれのスピリットにしたがって「ある」。

神エネルギーは、わたしの内なる神エネルギーにシンクロし、この世界に見える形、見えない形、聞こえる形で現れる。

例えば、ワークショップやセッションなどにおこしいただき、経験された方もあると思うが、突然部屋の灯りが暗くなったり、明るくなったり、電気系統が急に音を鳴らし始めたり。
鳥が飛んだり、トンボが来たり、太陽が、雲がと自在に形を変えて現れる。
気温がさがったり、反対に暑くなったり。

その場に集う魂と縁のある神エネルギーや高次元のエネルギーがメッセージを携え、いろんな方法でシンクロニシティをおこす。

ひととして「ある」魂エネルギーと、高次元に「ある」エネルギーのシンクロニシティ。

 

そして、わたしの魂エネルギーは、ただそこに「在って」それぞれのエネルギーを媒介・つなぐだけ。

 

よく聞く言葉で、ひとのうちに神仏がある。ひとは神仏の一部。さらには、神そのもの。仏そのもの。と、いわれる。

そうだと思う。

自分自身のアセンションの度合いによって、神仏が外にあったり、内にあったり、そのもだったりするだけで、

神や仏も、自分自身もそもそもは大宇宙を構成するひとつのピース。エネルギー。

分離しているから、南無南無と拝んでみたり、お願いしてみたり、崇拝してみたりするが、大いなる宇宙のゲームが始まらなければひとつのエネルギーだった。

だから、神や仏を大事にするように、自分自身を大事にする。

そうはいっても、魂段階によって、アセンションの度合いによっては、そんなこと思えないってのも確か!
頭では理解しているが、自分と神が同じだなってバチが当たりそうで思えない!

それも分かる。

無理やり思うことないし、教えや宗教的教義があった方が理解できるし、安心するなら、「いま」それを経験するのだと思う。

 

さて、話を大国主神に戻す。

出雲大社に赴いて、ふーっ!ミッション終了とばかりに思っていた3ヶ月ほど。

年末になって大国主神のエネルギーが大きくなった。

それは、主催したワークショップでの出会いから始まった。

あたまの中で、「出雲大社」「出雲の神さん」「大国主神」が行ったり来たり。

なんなんだ?

また出雲? 遠いんだよね〜?

誰と会話しているのか? 大国主神のエネルギーか?と、思うほどに無言の言葉が飛び交った。

 

 

 

 

そんなわけで、お正月に実家へ帰る途中に訪れたのが、常陸国出雲大社。
島根県にある出雲大社とは、系統が異なるようなのだが、ご祭神は大国主神、大きなしめ縄が懐かしい!

そのあとにお参りした笠間稲荷神社には、大黒天。これは、大国主神の別名。

 

余談だが、大国主神を手伝って国造りをした少名毘古那神がやってきたのは、常世の国といわれるが、一説には茨城県が常世の国らしい。

 

少名毘古那神とは?

『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、系図史料には天湯河桁命の子とされる。

『古事記』によれば、スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。
国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。(ウィキペディアより)

 

 

ここから面白いシンクロニシティが始まった。

 

その日の夜、宿泊したホテルで、明日はどこに行こうかとホテル備えつけのガイドブックをチラチラと見ていた。

夜の9時から10時ごろのことだと思う。

あたまの中に「花園神社」という言葉が浮かぶ。

 

花園神社。

ずいぶん前に訪れた新宿の花園神社が浮かぶ。

エネルギーが混乱しているその周辺に行くのは、得意ではなかったが、神域だから、不思議なことに花園神社境内は結界によって守られているような印象を受けた。
その当時は、神旅だの、八百万だの、スピリチュアルだのとはまったく意識はしていなかったが。当時の感覚を思い出す。

ただ、花園神社と聞くと、新宿の雑踏を思い出すので、気が乗るような乗らないような、のらりくらりと参拝するかどうか決めかねていた。

気休めでもないが、とりあえず、花園神社情報をネットで調べてみる。

なんと!

ご祭神は、大物主神・大山咋神・大山祇神。

大物主神は、大好きな奈良県三輪山 大神神社のご祭神であり、これもまた、出雲の神さん・大国主神の別名。
そして、大山咋神は、わたしの産土の神 日枝神社のご祭神。
また、大山祇神は、富士山のご祭神 木花咲耶姫神の父神。

 

先に少し説明した少名毘古那神が常世の国に去ってから、大国主神の国造りに協力したのが、大物主神。

そして、ここは常世の国・・・

そういえば、昨年は少名毘古那神を祀る大洗磯前神社へ参拝したっけな〜と回想。

新年を前に、国造りの神々のエネルギーを感じる。

 

深いところで、なにかがシンクロしているような気がして、「花園神社」への参拝を決めた。

 

そのあとまもなくのことだった。。

1月5日に開催を予定していた 宇宙ソウル・スターシード交流会への参加申し込みのメールをいただいた。

実は、これもまた神エネルギーを介したシンクロニシティだった!

 

続く。