数日前にみたニュースのこと。群馬県だったか・・・。
助産師さんが、中学校で講座を開いた様子が放送された。
出産はお母さんも大変だけど、生まれてくる赤ちゃんも大変。
この世界に生まれでようと必死に頑張る。そんな内容だった。
映像では、ひとりの男子学生とそのお母さんとみられる女性が体育館の壇上で、へその緒なのかな?ふたりをつなぐ、 例として、デモンストレーション的に説明されていた。
この世に生を受ける、生まれてきたことの神秘、感動ゆえか、親子はどちらも泣いていた。
わたしは、男子学生の涙が印象的だった。
思春期のこと、同級生を前にして、母親とのそんな場面は恥ずかしい年頃だろうに、涙を見せ、ある種の感情を表出したその生徒の感性の豊かさに感動した。
命の意味。
そんな言葉が浮かんだ。
この世に生を受ける。この世界を選んで生まれてくる。
様々な言葉で表現できるが、魂はこの時代にこの世界にこの親を選んで生まれた。
意味があって。
その多くは、この世界の母たちを癒すため、母性、女性性を癒し、活発にするため、母なる地球の次元上昇をサポートするため。
それが魂の本質。
しかし、生まれでた瞬間から、それらは忘れられていく。
そして、この世界の波動の低さに絡めとられ、命に意味を見いだせず、早々にこの世界から還っていく魂もある。
または、惰性でつなぐ命、他者のエネルギーを借りながらつなぐ命もある。
目の前の世界、自分を取り巻く環境は、魂の本質に描かれた筋書きとは違っている。
何かが変だ。どこかが違っている。
何か分からないが、身体のどこかが、こころのなにかが、ずれているような気がする。
ここは自分の居場所ではないような、両親との距離を縮めたいけど縮めきれない。
それは友達に対しても同じこと。大人になってもそれは変わらず。誰を前にしてもその距離は縮まらない。
怖いわけではない。嫌いなわけでもない。苦手でもない。
むしろ、こころは好きと言っている。楽しいといっている。やすらぎとも思えるものも感じる。
しかし、距離は縮まらない。
その距離が孤独を感じさせる。
ならば近づいてみるかと思ってみても、どうにも上手くいかない。
身体とこころが近づいてみても、ホントウのところは離れている。
この世界の常識とされるコミュニケーションで親しげに振舞っても、どこかから「違う」という声が聴こえてくる。
結局のところ、この世界と自分が合わないのだ。
この世界は、暗すぎる。エネルギーが重すぎる。空気が淀んでいる。
大地が疲弊している。惑星と宇宙の調和がとれていない。
この世界に自分の居場所はないのか?
いや、そうではないだろう。
あれだけ苦労して、この世界にやってきたのだ。生まれでたのだ。
もちろん意味があってのこと。
命の意味、命の理由があってのこと。
この世界に合わせるように努力をしなければならないのか?
いや、そうでもないようだ。
この世界の次元上昇を目的とした魂たちは、あえて、暗いところを選んで生まれてくる。
問題のある家族、家系、土地、学校、職場、人間関係、友人知人・・・。
それが魂が選んだ場所だから。
誕生を祝福されたことは知っている。
それなりに幸せに生きてきている。
家族に愛されている。経済的に恵まれている。友達も多い。学校の成績も良い。有名大学、有名企業。
なんら問題のない人生。
でも、命の意味が分からない。
どうして自分は生まれてきたのだろうか?
自分は幸せだ。幸せなはずだ。満たされているはずだ。
しかし、この混沌とした世の中を見ていると、気持ちが暗く、落ち着かなくなるのはどうしてだろうか?
波動を落として、この世界に自分が合わせる必要があるのだろうか?
それではなんのために、自分は生まれてきたのだ?
この世界の波動を上げるためではなかったか?
それなのに、波動を落とすして、世の中とやらに合わせるのか?
ダークエナジーは様々なチャンネルで人々の感情、想念に働きかけた。
そして、ネガティブエネルギーは、幽界へと蓄積されていく。
ダークエナジーが作った「常識」「幸せ」のイリュージョンによって目を塞がれ、耳を閉ざされ、想念思念もコントロールされ続ける・・・。
ダークエナジーと相対峙する魂だけが、イリュージョンの裏側を見せられる。
内なる声が、魂が、スピリットガイドが、霊界から、神界から、大宇宙が・・・この世界の真偽を語る。
他のエネルギーに影響を受けやすいエンパス体質、他の世界との境界が曖昧な体質は、目の前に広がる光景と、内なる声のギャップに心身のバランスを崩す。
命の意味。
この世界に、それ以外に何か大事なことがあるのだろうか?
意味があってやってきた。
意味があって生まれてきた。
ひとつでも多くの魂がこの世界で生きられますように。