井戸を探す
水をおこす
陽をおろす
天地が調和する
生命エネルギーが
霊的エネルギーが
もたらされる。
八百万とひと。
それぞれの途にて、進化し、その途上にある。
八百万は八百万の
ひとはひとの
それぞれの途にて、大宇宙を目ざす。
しかし、別々の途にあったが、少しずつ反応しあい、少しずつ交わりだし、併走しだし、ときにはひとつになる。
それには長らく小さな車輪のなかにあり、八百万は八百万の、ひとはひとの学びと進化を要する。
八百万は原素であり、地球をなし、材をうみだす。
ひとは、八百万で生かされ機能し、材を料とし、地球を構造する。
大宇宙には、さまざまなグループスピリットがあり、その役割が違う。
ひとになったスピリットが、八百万となったスピリットとどのようなタイミングでシンクロニシティを引き起こし、双方によってどのような現象をもたらすのかは、属するグループによっても異なるのだ。
八百万のエネルギーを物質化するグループもあるだろう。
また、研究の結果として、近い未来に役立てるかもしれない。
教義として表し、道徳や教育としてひとの意識を刺激するかもしれない。
どのように八百万のエネルギーとシンクロするにしても、双方が歩む途は白色であり、聖なるみちでなければならない。
そしてもたらされる現象は、愛であり、大宇宙の大いなる目的・計画にそったものでなければならない。
さて、数日前、大阪で以下の行程でのライトワークを行った。
坐摩神社 〜 サムハラ神社 〜 生国魂神社 〜 難波宮跡 〜 大阪城
ライトワークは、天の氣と地の氣をひとの氣がつなぎ、惑星の生命エネルギーを増幅させることが主な目的。
狭間にあるひとは、その過程で、天地の氣両方の刺激や恩恵を受けることになる。
ライトワークで訪れた神社や観光地を見ると、やはり、天と地がライトワーカーによって交流しているのが分かる。
坐摩神社 地の氣 井戸の神・地の神
サムハラ神社 天の氣 天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神
生国魂神社 地の氣 生島・足島大神 国土の神霊
難波宮跡 地の氣 ひとの氣 ひとが地を刺激し、天の氣を呼び込む
大阪城 地の氣 ひとの氣 ひとが地を刺激し、天の氣を呼び込む
これより前日には、住吉大社に参り、水の氣を呼び込んだ。
水の氣があるなら、陽の氣がよばれ、調和し、氣が増幅する。
陰陽の法則。
おそらく、周辺は水の氣が少なく、または、穢れがあったのかもしれない。
ライトワークの終盤。
大阪城の楼門に入ったときだった。
ふと横を見ると、古びた井戸。
近寄るには危険なのか、立ち入り禁止になっていた。
「銀明水井戸の井筒」
この井筒は元々、本丸に建つ旧陸軍第四司令部庁舎(旧大阪市立博物館)の裏手にある銀明水(銀水)の井戸でした。
銀明水井戸は徳川幕府再築の時、大坂城本丸に設けられた5つの井戸の内の1つです。丁度、本丸御殿の台所の裏に位置し、本丸を警備する役人たちの飲料水として使われました。
当時の大坂城で最も格式の高い井戸の一つで、「金」「銀」などを井戸の名称に冠して重要性を表現した例は各地に見られます。
1931年(昭和6年)、大阪城天守閣の復興の時の第四司令部庁舎の新築にあたり、井筒と周囲の敷石がこの場所に移され、飲料水が引かれました。現在の金名水は小天守台上にありますが、これは元来「黄金水」と呼ばれたもので、金明水井戸はこれとは別にありました。今は配水池に埋もれてしまい見ることができません。
参考:「銀明水井戸の井筒」説明文を抜粋し要約(大阪城観光ガイドより)
「ふとみる」「無意識にみる」 わたしがそのようなときは、なにかのスピリットとシンクロしている。ひとではないエネルギー、異世界のエネルギーに反応するのだ。
目的を強くもっていたり、ホストコンピューターのように思考がずっと動き続けているなら、「ふとした瞬間」に気づきにくくなる。
では、なぜ、思考がずっと動き続けているのだろうか?
時空を超えて持ち続ける幽体にあるエネルギーに刺激を受けているからだ。
ふと見た井戸。
井戸に氣が向いたというよりは、そこを守るようにしてあった木のスピリットが呼びかけたのだろう。
龍神がいるようにも思えるが・・・
寝てる?
そこで、試しに光の儀式。
少し、光が反応したように思えた。
続けて、光を引きおろす。
地が反応し始めた。
天と地がつながりだし、わたしの意識も異次元・異世界へと入っていく。
肉体はそこにあり、動いているが、意識はそこにない。
ご一緒の方から後から聞いたのは、わたしが必死に光の儀式を行っていたため、「なにがあるんだ?」と、観光客が集まってきていたらしい。
その瞬間は、井戸と木と太陽とわたしのスピリットが違う次元でシンクロしているので、わたしの意識はここにあらず。そのため周囲でなにがおきているのか、気にならなくなっていた。
繰り返し、陽を降ろす。
天の氣が井戸のそばにあった木を依り代とする。
光が増えていく。
地の氣がそれに刺激される。
龍神が起きあがる。
天と地の氣が合わさり、調和し、生命エネルギーが現れる!
八百万とひとは、鏡同士。
先述したように、八百万は原素である。
ひとは八百万のエネルギーで構成されている。
ひとは八百万の一部であり、八百万はひとの一部である。
ひとは、とある地の氣とシンクロし、そこに生まれる。
生まれ育った地の氣は、ひとの肉体を育み、こころと精神を刺激する。
この国では、さまざまな地の氣を神格化し、八百万とよんでいるので、ひとは八百万のエネルギーによって構成されていると表現できる。
ゆえに、ひとは八百万の一部であり、八百万はひとの一部なのだ。
では、どうしてその地の氣とシンクロし、そこに生まれたのだろうか?
そこには、八百万とひととなったスピリットが、霊的進化のための課題をこの惑星でシンクロしながら行うからだ。
先述のとおり、八百万を表す原素をどのように使うのは、属するグループが魂の課題によっても違う。
八百万とひと。双方がエネルギーをシンクロさせながら協業することもあるだろうし、原素によって何かを発明したりするかもしれない。
八百万とひとは鏡同士。
ひとの八百万への向くこころもちと、他者へのこころもちはそうかけ離れていない。
他者へのこころもち=自分自身へ向くきもち。
ひとである自分と真の自分がかけ離れているなら、八百万との距離も遠いだろう。
距離はどのように表現されるかといえば、どのような神仏や教義に関しても無関心であるなら、自分に対しても無関心なのだろう。
地にある氣がさまざまに神格化されているこの国なら、山河を蹂躙するのは自分自身を傷つけることでもあり、川を汚し、堰き止めるのなら、地やリンパの流れを滞らせ、空気の汚れは氣の巡りの滞りをもたらす。
よく調べるなら、自然界の破壊はそこに住まう人びとの健康にもなにか影響しているのではないだろうか。
逆に、神仏に対して究極に依存する場合もある。自分を失くしかけ、なにも自分では決められない。
崇め奉り感が、古代の皇帝と奴隷のような関係性を彷彿させる。神は偉大なり〜と死に急ぐなどの例が他の国にはある。
八百万は鏡となって、それをみせる。
神界にあるスピリットもさまざまな段階にあり、進化の途上だ。
しかし、高い次元に進化したスピリットは、情緒体から生じた想念に関わることはない。
別ないいかたをするなら、高位の神スピリットは低い波動により付くことはない。
霊的変容とは、そこに必ず大宇宙のイニシエーションがある。
エネルギー体が変容する。
欲求や執着、情緒から解放され、ひと的意識が霊的意識へ、宇宙意識・キリスト意識へと変性していく。
意識が拡大するにつて、その段階にあるスピリットとのシンクロニシティがなされる。
やがて、高位の神スピリットともシンクロにシティがおこってくる。
もし、欲をもって低位の八百万に働きかけ結果を望むのなら、それは黒の途であり、大きなカルマをもたらす。
惑星の進化を遅らせるばかりか、そこにあるすべてのスピリットを巻き込み、魂は闇の淵を彷徨うことになる。
八百万も
ひとも
進化する
お互い足の引っぱり合いをしている暇はない。