母なる地球
豊穣をもたらす、偉大なるガイア。
雄大であり、時に手厳しい。
学びの場所。ともにあり、ともに進化する。
氣の学び。
それは、次々とやってくる。
水
火
風
道の先に1本の大きな樹があった。
ずいぶん昔から、聞くところによると何百年もその場所にあったらしいと、その街に住む人びとに伝わっていた。
その圧倒的な存在感から、その樹はいつしか「神宿る樹」と呼ばれ、その土地や住人たちを守護するとされ、大事にされていた。
ある人は、パワーをもらい、
ある人は、癒され、
ある人は、語りかけ、
ある人は、精霊の力を信じた。
大きな樹は、人びとの悲喜こもごも、町の様子の移り変わりにも、静かにそこにあった。
時代の変遷。
都市開発。
大きな樹の両側には、新しい家が建てられた。
それぞれの家族とも、良識をもち、礼儀正しく、良好な人びと。そして、とても幸せそうだった。
1つ、違いがあるとするなら、
大きな樹をどのように見えていたかということだった。
一方の家族は、無意識に「神宿る樹」と知っていたのだろうか、まるで自分達の方が珍入者のように思えた。だから、畏怖を感じつつ大きな樹に丁寧に大雪に接した。
もう一方の家族にとって、それは以前からそこにあったものだった。自分達にとって邪魔にならなければそこにあってもいいが、その反対なら、樹をどうにかしなければならない。そう考えていた。
※大きな樹と2つの家族の話は譬え話です。
知恵の樹
旧約聖書の『創世記』(2章9節以降)に登場する木。善悪の知識の木とも呼ばれる。
エデンの園の中央部にあった2本の木のうちの一つ。もう一つは生命の樹。知恵の樹の実を食べると、神と等しき善悪の知識を得るとされる。知恵の樹の実はいかにも美味しそうで目を引き付けるとされる。
『創世記』によれば、人間はエデンの園に生る全ての樹の実は食べても良いが、知恵(善悪の知識)の樹の実だけは、ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)により食べることを禁じられていた(禁断の果実)。なぜなら知恵の樹の実を食べると必ず死ぬからである。
しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。(Wikipediaより)
同種同類。
同じ人間なのだから、同じものを見れば、同じように感じる・考えるとはならない。
ある人にとって白でも、別な人には水色に見えるかもしれない。
ある人にとってそれは善でも、ある人にとっては悪かもしれない。
それは、善悪の木の実を食べ、幾生に渡って返すべく人間の課題。
陰陽・上下・裏表・男女・・
極化や分離は、やがてバランスがとられ、調和と平衛 を経て、ひとつに溶けあっていく。
さて、道の先ある大きな樹。
ある人にとっては、畏怖を感じさえするパワーある樹でも、別な人にとっては自分達の生活を脅かす厄介な樹かもしれない。
いまはまだ、歩いている道が違う。
だから、見えているもの、感じているもの、考えるものが違う。
結果、異なる答えに導かれる。
言えることは、
大いなる宇宙からするなら、霊的には人と樹の役割は重なる部分が多い。
人も樹も大宇宙のエネルギーを地球へとつないでいる。
人も樹も少なくなれば、地球はエネルギー不足となり、何も産みださなくなる。
なぜなら、
樹は、氣・き・キであり、天の氣を受け入れ、生命エネルギーへと変性する。
この惑星にある全ての生命体に影響する。
地の氣が乏しくなれば、作物は育たず、そこに住まう人びとのエネルギー体にも変化を生じさせる。
ふと考える。
氣が向く樹。気になる樹。好きな樹。
それは、自分自身の投影。
ならば、それは、自分を現す生命の樹なのだろうか。
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