だれがいっているのか?
アークは、グループスピリットのエネルギーへ封印していると。
そのときがきたのなら、
惑星の振動が高まったとき、
その封印は解除される
大マスターのエネルギーが流れ容る
惑星が解放される
宇宙神子
サナンダG
神の民であることの印をエーテルにもつ
アークの守護者たち
そのときに向け、粛々と魂を活きる
風の時代・水瓶座の時代へ
支配と依存からの
役割からの
離脱
魂の解放へ
スピリット(霊)との遭遇
再生が始まる
あとから思えば、そういうことなのだろう。
約10年前の母の葬儀。
葬式とは誰のためにやるのだろう? そう思ったことを思い出した。
故人を偲ぶ間もなく、式次第を決めなければならない。その合間にも親戚への連絡や弔問客の対応、戒名はどうする? お花は? 棺は、骨壷は? バスは?
大きなことから小さなことまで決めていく。
弔問客が来る度に、いつ亡くなったの?から始まって、いつからどうのこうのでと、壊れたテープのように説明する。
その状況に脳の処理が追いついていかない。・・・感情と思考のバランスが崩れ、肉体にも影響する。
葬式とは誰のためにやるのだろう?
他者の目を意識してのものなのだろうか?
そう思った。
いまになってなぜそんなことを?
「つなぐ」
その言葉だった。
現世。
この世界は、霊を現す世界だ。
しかし、間に幽界があるため、大宇宙から放出された各々霊のエネルギーを100%正確に、ズレることなく、狂うことなく、この世界に表現することができない。
幽界のエネルギーが幽体を経て、ひとに影響を及ぼす。
大宇宙の意思が、ひとの想念で歪められ、この世界に現れる。
葬式をひとつの例とするなら。
この世とあの世。
現世と常世・隠世・幽世
生者と死者
家族間
家族と関係者
など、
さまざまなシチュエーション、フィールドでつなぐ役割がある。
なにより、儀式だ。
死者の魂を安心安全に幽世へと送りだすことを目的にしている。
しかし、これもまた時というしばりのなかで、さまざまなエネルギーが交差し、混線・混乱し、歪められていった。
あの世とこの世をつなぐのではなく、現世的なつなぐにとどめられた。
つなぐどころか、もしかしたらもっと恣意的な形になっていったのかもしれない。
つなぐ
あらゆるつなぐがあるだろう。
一見、ひととひと、ひととものなどをつないでいるようにみえても、この世界の形あるものは、スピリット(霊)が顕現しているものである。
スピリット(霊)のエネルギーがどのようにありたいかが、この世界に安寧をもたらす。
霊主
肉従
だが、先ほどの例のように、幽界にあるエネルギーが人びとのこころを塞ぐ、耳を塞ぐ、思考をコントロールする。
長いときをかけ、「これはこういうもんでしょ」と、まことしやかに「正しい」をつくっていった。
それは正しいのかもしれない。
だが、その正しさは、この世界だけのものかもしれない。人間界だけのものかもしれない。
人間ファースト。人間がよければ、動物界や自然界はどうでも良いという無意識の設定がある。
わたしは長年会社勤めをしていた。
対お客さまの仕事だったので、お客さまファーストは当たり前のことで、そのように訓練もされてきた。
しかし、違和感を覚えてもいた。そう言いつつ、利益優先の計画を山のようにみた。
お客さまファースト。
耳に優しい、素敵な言葉だ。
お客さまのために!は、どれだけの食品ロスにつながっているのだろうか。
どれだけの自然が破壊され、どれだけの生きものが屠殺されているのだろうか。
惑星にどれだけの影響を与えているのだろうか。
いま思うのは、この言葉には、霊とひとを乖離させるエネルギーが仕掛けられているように思う。
ひとは自分を生き、魂を活きるために転生している。
他者を生きることはできない。
自分を活きてこそ、自然に流れ、無理や我慢、義務や役割としてではなく、他者をサポートすることができる。
それはひとだけではなく、無償の愛は森羅万象、大宇宙にあるすべてのエネルギーに向けられる。
最初から、義務のように、囚われひとのように、他者に尽くすのは、魚座の時代の象徴ともいわれる「支配」「男性性」を意味する。
自分を失くすほどに、身を粉にして、なにかを守るために、それらはすべて魚座の時代の名残り。
支配するものがいて、支配されるものがいる
支配されるものがいるから、支配するものがいる
それぞれに役割を演じている。
表裏一体。
支配と依存、これもまた表と裏の関係。
支配者は依存的だし、依存的なひとは別のシーンでは支配的になる。
例えば親に支配されて育った子どもは、会社ではパワハラ上司になりうる。
これからの水瓶座の時代は、「公平性」「女性性」が象徴となる。
どんな関係であっても、奴属的ではなく、フラットな関係が築かれる。
雇用主と雇用される側であっても、力や情緒的に結ばれる主従の関係ではなく、労働力の提供に対し、それに見合った公正な賃金支配という契約がなされる。
支配と依存ではなく、対等なエネルギー交流ができる関係性だ。
ただ、気をつけなけばならない。
時代のエネルギーが変わったからといって、ひとの意識が急に変わるわけではない。自分を取り巻く環境が一気に変わるわけではない。
習慣というものがある。ひとつの体験は次の体験を引き寄せ、それが繰り返されると、脳が自動的に反応・反射するようになる。
時代のエネルギーが変わっているのにも関わらず、意識は旧時代のままというひとがこの過渡期には増える。
時代のエネルギーの変遷に対して、意識が追いついていかず、その間で苦しむひともいるだろう。
エネルギーを受けるための受容体をつくるのは、または、修復するのは、ひととなったスピリット側の責任においてなされる。
時代が変わったのだから、誰かがやってくれるだろう〜という意識こそ、取り残された魚座のエネルギー。支配と依存。
大宇宙のやる気なしボックスに入れられる。
惑星は魚座の時代のエネルギーでいまだ構成されている。
政治・経済・社会的にも旧態然のままだ。
それで生活が成り立ち、命をつないでいるのも事実だ。
綺麗ごとをいったって、ご飯が食えなきゃ死んじまう!
まったくその通りだろう。
現在惑星には、霊的に進歩しているグループスピリットも入ってきていて、新旧入り乱れている。
しかし、大宇宙は示している新たな時代を。
惑星は問うている、これからの時代を。
だれもが、「いま」を脱却し、浄化し、新たに水瓶座のエネルギーによって創成され始める必要があると。
それは、この世界の片隅から始まると。
だれもが大宇宙を構成するワンピース!
ならば、お客さまファーストで仕事をするのではなく、自分ファーストで仕事をしてみてはどうだろうか?
それぞれが魂に従って活きるのならば、ジグソーパズルのようにピースがかぶることはない。おさまる所におさまるだろう。
逆に、自分以外を目的にすると、それが儲かるとなると、だれもがそれに殺到する。
例えばの話だ。
世の中的にラーメン屋が儲かるとなれば、ラーメン屋になり、
ステーキ屋が儲かるとなれば、ステーキ屋になる。
ジグソーパズルのひとつの形を埋めるだけなのに、いくつものピースが重なりあっている。
ひとつでいいんだけど・・。
残りのピースは、本来別の形をつくるためのピースのはずなんだけど・・。
ところで、ひと的意識でやりたかったことと、魂意識が指し示すことは違うことが多々ある。
楽しいから、興味があるから、儲かるからとその仕事を選択しても、魂の本質が違えば、いつかの時点で転職ということにはなりえる。
これまた例えばの話。
わたしはパンが好きだからパン屋でバイトしたいと思ったことがあった。パン教室にも通ったこともあったが。
結局のところ、途中で興味を無くして止めてしまった。
ひと的意識なら中途半端でと自分を叱咤したいところだが、魂の本質にないものは続かないことも多々ある。
しかし、それもまた経験。パンがどうとか、続かないとかはどうでもよくて、それを通し、どのような真を学ぶかが大事。
選んでは間違って、また選び直して、また間違って。
それもまた人生。複数の生に渡り、それを繰り返すかもしれない。
徐々に魂も成熟し、選び違えることが少なくなる。
だが今度は逆に、間違って傷ついたこと、苦しかったことがエネルギー体の記憶に残り、それが恐れとなって今生では選べない。勇気がでないという場合もある。
魂は逆境をつくり、それを乗り越え、次のステージへ向かうような人生を設定する。
それが魂の課題だ。
なにかを手放すのが課題かもしれない。
なにかを得るために一歩の勇気をもたせるための課題かもしれない。
宇宙神子!
サナンダG その額に神の民の印をつけたグループ。
魂を解放せよ
霊的進化をとげよ
古い時代のエネルギーを浄化し、
新たなる時代のエネルギーを流入し、
新たなる文明の構築のためのインスピレーションを刺激する!
新たなる時代へエネルギー変遷する人類のため、先駆ける。
自分自身のエネルギー変容させ、自分を介し、さまざまなシーンをつなぐ。
忘れてはいけない。
つなぐのは、
天と地
大宇宙と惑星
神性と神性
であることを。
魂が解放されていなければ、魂を解放することができない
うちなる神性に気づかなければ、神性を引き出すことができない