宇宙の法則。
それは、聖なるエネルギーの流れ。
すべての魂はその流れに漂う。
変容とは、霊的進化を意味します。
魂の成長の各ポイントで、それは行われます。
ひと的意識の進化から、宇宙意識の進化。それはひとっ飛びにはいかず、ちょっとだけ知識をかじっただけとか、体験しただけではなされません。
とくに、その魂段階であり、その目的ならば、その生は、激しさ極まりない人生の設定となっているかもしれません。
魂の大成長、大進化のために。次の転生への大ステップとするために、そして、霊性が高まるほどに、魂の修練も密度が濃くなります。
魂がひととしてこの惑星に転生した以上、地道に自分自身に取り組むことが、着実に確実に、光を引き寄せ、新しい地球へと向かう宇宙船はやってきます。
これは、地球の変容をサポートするためにやってきた魂とて同じことです。
地球の嘆きを、人びとの喜怒哀楽をともに喜び、ともに嘆くためにひととなりて、その先の活動へとつなげるためにこの惑星へやってきました。
特別であり、特別でなし。しかし、ひとの世の艱難辛苦をもろともせず、吹っ飛ばし、マイナスをプラスに変え、穢れを浄化するエネルギーを強く大きくもっています。
早くそれに目醒めることが大事です。
ところで、「ウサギとカメ」の童話をご存知ですか?
あらすじ
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
教訓
過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。
(ウィキペディアより)
ウサギの過信。なぜなら、ウサギは自分とカメを比較して、勝てるだろうと思った。一方、カメはただゴールだけをみていました。自分が最終的にどうなりたいか、それだけを意識していたので、ウサギはまったく関係なかったのです。
地球のアセンション・変容をサポートするためにやってきた宇宙ソウルは、カメの気概が必要です!
さて、今回もお客さまからいただいたメールをご紹介させていただきます!
実はこのお客さま、スピリチュアルなことには興味のない方でした。
わたしは霊的なことに関わる以前、心理的なカウンセリングだけをしていましたので、その時からのお客さまです。
後から考えるなら、その頃、無意識にもわたしはひと的意識から霊的意識へと徐々に移り変わりのときだったのだと思います。意識の差が大きくなるにつれ、結果、現象が混乱して現れるので、一旦カウンセリングを止めていたことがありました。
そんな時でも、ありがたいことに、わたしの都合にも関わらず、お待ちくださったお客さまが数人いらっしゃいました。霊的世界に関わりつつ、引き続きご縁がつながっていきました。
これもまた大宇宙の采配! 過去生からの引き続きの縁!
ご本人たちは無意識なのですが、目醒めの段階に入ったとか、霊的体質のかたがほとんどです。
そして、自分の意識が変容していくにつれ、ひとはすべて霊的な存在であり、ひと的意識が優勢か、霊的意識が優勢の違いだけだと気づき、お客さまの魂の段階、エネルギーの状態、目醒めの有無に合わせたセッションをしようと思いました。
現世の悩みは、幽体にあるネガティブエネルギーを介し、過去生からの影響を色濃く反映しています。
今生の癒しは、パラレルワールドの癒しへとつながり、幽界にあるエネルギーを解放します。
スピリチュアルに興味があるかどうかは問題ではなく、聖なるエネルギーによってセッションを進め、いかに幽界にあるエネルギーを解放することをサポートすることの大切だと理解しました。
とういうのも、アセンション・変容が途上にあって、恐れや欲によって引き寄せたスピリチュアル情報によって混乱している界隈を経験し、ダークエナジーのエネルギーを強く感じることがあったからです。
成長途上にある神の幼な子たちを陥れようとするエネルギーが実しやかにうごめいている。
光の聖師団は、決してそれを見過ごすことはないでしょう!
ゆえに、地道に着々と魂の進化を目指すカメさんタイプの魂は、いち早く変容を迎えるように思います。
話が長くなりました。それを象徴するメールです。
※ご本人了承のもと、掲載させていただきました。
「少し前のことですが、ふと実家にいた頃のことを思い出して涙が止まらなくなったことがありました。
実家は母方の祖母と同居しており、私はおばあちゃん子で、母といるより祖母といる方が落ち着く子供でした。
だいぶ大人になった頃(短大か就職していたと思います)ある晩、祖母の部屋でよもやま話をしていたら、
祖母が、「あまり長いことお前(私のこと)がこの部屋にいると、ママ公がやきもち焼くからもう終わりにしな」と言い、部屋を出ました。
内心、えー!そんなこと思われてたの?私、嫉妬されてるの?😑と思い、その後は母親に気を使ってあまり祖母の部屋には行かないようにしていました。
そのことについては、今まで特に何も感じずにそんな事実があったとしか思っていませんでしたが、先日本当に久しぶりに思い出した時、「私、なんてかわいそうだったんだろう。好きな人のそばにいたい気持ちも素直に出してはいけなかったなんて」と思ったら初めてこのことで泣けてきました。
でも、その時、母のせいで。とか、だから私は。とか思うことはなく、ただただ、その時の自分がかわいそうで、あー、本当はおばあちゃんと好きなだけ一緒にいたかったよね。とその時の自分に寄り添う気持ちが出てきたんです。
今までだったら、どこか母のせいにしていた自分がいたのですが、全くそういう気持ちが起きなかったので、不思議でした。
これは、母親からの心理的な影響から多少なりとも離れられたということなのでしょうか?
今は母も歳をとって、以前のように周りを自分の思い通りにしようというパワーも弱まって、普通に話せるようになったことも関係しているのかもしれません。
昔のその記憶で泣いたことも、母のせいで。という思いが出てこなかったこともちょっと驚きで、分析してみたくなりました😅
長々とすみません。夏井さんには聞いて欲しくて、書きました。では、失礼します。」
ひと的なみかたなら、お母さまとの関係から端を発した悩み。霊的にみるなら女性性の癒し、解放をなすための現象。
それはいずれ魂を癒し、幽界にあるエネルギーを解放し、地球の変容へとつながる流れになっています。
この世界で起きていることは、すべて霊的な現象です。すべてがスピリチュアル!
大宇宙からのエネルギーの質と量が変わりつつあります。
必然的に、その段階にある魂は目醒めを促されます。
エネルギーに敏感で、感応したひとは、急にスピリチュアルなことが気になりだし、実際、その情報を目にすることが多くなるでしょう。
霊的なエネルギーを感じ始めたり、見えたり、聞こえたりすることもあるかもしれません。
急に自分が新たな能力を身につけたような気持ちになるが、ここにもまた魂の修練があります。
例えば、ある日、宝くじ1000万円が当たったとしましょう。
あなたならどうしますか?
貯金しよう!という、超堅実派。
パッと使っちまうか!の、宵越しの銭は持たない派。
人生の運気をここで使ってしまった〜!と、恐怖を抱く派。
日常なにも変わらず!の、淡々派。
ひとの反応はそれぞれ。上記以外の表現もあるでしょうね。
同じように、急に霊的なことが気になりだしたひとも、似たような反応を示すかもしれません。
もしかしたら、「なかったことにする」「見なかったこと・聞こえなかったことにする」が一番多いかもしれませんが。
魂の修練。
平時が有事になったとき
なかったものが、突然、姿を表したとき
また、その逆になったとき、
普通が消え去ったとき、
ひとのこころ、精神が試されます。
そして、これまで鉄壁な扉で仕切られていたうちなる光と闇の間に隙間ができ、「なにか」が浮きでます。
それは、光のたまご。
やがては大きな光へと成長し、魂へと導く。
宇宙の法則。
聖なるエネルギーの流れ。
この惑星へひととして転生した魂は、輪廻によって学び続け、霊的進化の途上にあります。
地球もまた同じ。アセンション、変容、霊的進化。様々な言葉で表現されるが、太陽系へ足並み揃えるために、大宇宙のワンネスへと進化し続けています。
惑星同様、そこにあるスピリットは進化するために、修練の場としてここを選んでいるのです。
魂の合宿所!
ひととしての学びを通し、魂を成長させる。
それがあらかた終わったなら、今度は、霊的学びを通して、魂を成長させる。
ひと的意識から、魂意識・霊的意識へ。さらには、宇宙意識へと拡大していきます。
肉体のあるひとでありならが、霊的に生きる。それが人類の目標でもあります。
しかし、そうはひとっ飛びにはいきません。
ひととしての学びのときは長いのです。
観察していると、第二チャクラの課題に取り組んでいる人びとは、レムリア期時代のカルマの清算をしているように思えるのです。感情解放、女性性、家族関係、人間関係、セクシャリティに関わることが多くみられます。
また、第三チャクラの課題に取り組んでいる人びとは、アトランティス時代のカルマの清算をしているのではないでしょうか。集団のなかでの個の確立。自分に自信をもつこと。思考を正しくつかい自分自身を表現することなどを課題とし、魂の成長に取り組んでいるようです。
どちらにしても、この惑星での魂段階はかなり経ているはず。
でも、宇宙の時間は果てしない。ひと的意識ではかれるものでも、理解できるものではありません。
霊的世界には、それ以上にいにしえからなる高度な魂グループがあります。
ひととして転生している魂は、まだまだ伸びしろのあるということですね。
驕り高ぶることなく、着実に、この惑星での経験を重ねることが大事です。
ただし、忘れてはなりません。
自分の本質は魂にあること。
それも尊い魂であること。