「汝自身を知れ」(ソクラテス)
以前にも書いたが、「マスター」とは「自分自身をマスター」することである。
大宇宙と小宇宙
自分自身の理解が他者や世界、そして大宇宙の理解になる。
しかし、意識が外へ向かっていると、魂の変容はおきない。
意識が内側に向かって初めて、霊的接触がなされる。
どうして、このようにまどろっこしいんだろう?
さっさと大宇宙の秘密とやらを教えてくれればいいのに!
最速最短、間違いのないように!・・・と、思うのは人情。
そう、人間意識。
魂は、ある意味、貪欲だ。
また、遅々として進まないと感じる魂修行は、人間そのものを守るため。
魂は太陽系を漂う。
ここは、エネルギーの世界。
瞬時に動く。
すぐさま、像が現れる。
好きも嫌いも
良くも悪くも
無意識が意識になる。
ボンヤリ考えていたことが実態をもつ。もってしまう。
望まぬ結果を招くことも多々ある。
そのため、過去からやってくる亡霊の正体を知っておく。
それもひっくるめて、汝自身を知る!
あるドラマで、「ひとはなぜひとを殺してはいけないのか?」というようなセリフがあった。
「いや、それは当たり前でしょ。ひと殺してはダメでしょ」 誰もがそう思ったことだろう。
ひとはひとを殺してはいけない。
ところが、動物の世界はそうではない。
弱肉強食。
サバンナでは、動物たちが生き残るため命のやりとりをするのが常だ。
では、人間が進化することなく本能のままに生きていたらどうだろう?
もしかすると、大自然の動物たちと同じようになっていたかもしれない。
人間は動物的性質と神性をあわせ持つ。
動物的性質が優位なら、そのようになっいてもおかしくはない。
しかし人間は概ね進化を重ね、本能・感覚・情緒・思考・理性・・・アップデートしてきた。
さらにこの先もそれが続くわけだが、、実はなんちゃってアップデートの場合がある。
概ね人類全体は進化しているが、個々のスピードは違う。
というのも、
下位の性質を上位に昇華・統合するのではなく、
下位の性質を放置してしまうのが、よくあるパターン。
こちらの性質はバランスをとる必要があり、のざらしのままではのちに暴れだす。
暴れて、気づいて、昇華させ、輪廻転生、その繰り返し。
魂修行が進まぬ理由のひとつである。
こうやって、大宇宙への帰還を遠ざける不穏なエネルギーに気づき、解放し、
やがて、魂界へ入るときがくる。
そこは、原因の世界。直接的。エネルギー+パワー → 即!現象
表現変えれば、クッションが無い。良くも悪くも、間にはさむものがない。
そもそも、良し悪しなど二元を統合していく。
そのため、イニシエーションがあり、それは魂界の前室のいくつかで行われる。
擬似魂界。クッション無しの、直接的世界。
すると、いままで経験したことも無いような感情に触れることになる。
知らなかった、「なにか」「分からない」エネルギーをみる。
「なにか」をしまい込む部屋の扉が開き始める。もしくは、フタが吹っ飛び、下から「なにか」吹き出してきた。
それも突然、日常で。
これまで経験したことのない困惑と混乱。
内側からは経験したことのない感情が胸のあたりに渦巻いている。
そこにフォーカスすると、
なんと! 内側に道が開かれる。
それが、魂界への入り口。
暗く、大きく広く、無限と思える空間が広がっていた。
さて、もう一度、前室に戻ろう。
ここは、狭間の世界。
エネルギーがあっちこっちと縦横無尽に流れる。
あることを考えれば、双方向にエネルギーの流れができる。
流れに言葉をつける 「優しさ」 途端に映像が広がる。
流れに言葉をつける 「苦しさ」 途端に映像が広がる。
どちらも、過去の亡霊が運ぶビデオテープ。
亡霊よ、ビデオテープはもう古い。古い。
広がる映像を眺めると、
これまで知性や理性で抑えていたものの化けの皮が剥がされていく。
さらに大きくなったエネルギーは、怒涛のごとくこちらに向かう。
そこで初めて、気づかぬふりをしていたことをみる。
それが大きければ、囚われ、支配されることもあるだろう。
例えば、怒りは「火」のエネルギーの下位の様相だ。
火は火を。
火のエレメンタルを引き寄せる。内包するものも同様に。
スポーツや情熱を傾けられるものに昇華し、パワーに変性することができる。
反対に、怒りに満ちたひとを引き寄せ、刃物や銃器など操られることもある。
後者は、魂が貶められる例だ。
魂界に近づくにつれ、さまざまなエネルギーが直接的に働きかける。
ゆえに、「汝を知る」だ。
あらゆるエネルギーに翻弄されないように。
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※当サイトでのキリストエネルギー・キリスト意識・キリスト種などの表記は、特定の教義・人物を示すものではなく、大宇宙の聖なる愛のエネルギーを示しています。