昨年後半は、
わたしにとって霊性の変わり目のようだった。
霊的衣の着せ替え。
原子レベルでの変化か。
皮膚が剥がれ、
そして、再生していく。
それをじっとやり過ごす期間。
ベロベロと剥けていく皮膚変をみるのは、良い気持ちはしない。
しかし、手のひらの皮が全部剥け、再生したとき、これまでの触感と全く変わったことに気づいた。
何を触っても、柔らかく滑らかに感じられる。
「自分が変われば、すべてが変わる」
心持ちだけでは無かったようだ。
皮膚が変われば、触ったものの印象が変わる。
それと同じように、自分が穏やかなら、接する人は穏やかであり、
自分が怒りにまみれていれば、接する人はそれが鏡になるかもしれない。
さて、そのような期間。
わたしは神社仏閣へ行くのも、記事することもほとんどやめていた。
特に、統制のとれていない場所には絶対ひとりでは行かない。
弱った状態で、パワフルな天の氣を受け容れれば、こちらが壊れかねない。
また、妖や魔に気づかなかったり、祓えなかったり、誤って受け容れてしまうこともあるかもしれないと、回避した。
八百万の神
日本の「神」とは、さまざまなものを含めるというか、広げるというか。
ひとくちに「神」といえど、人間より高い次元の神や仏もあれば、妖や魔物など低い次元のものもある。
そのため、日本列島各地で祀られる八百万の神々は多重構造になっているところが多いように思う。
荒れ狂う地の神を、それよりも霊性の高い地の神か天の神が鎮める。
荒れやすいところ、表現を変えれば、パワーのある場所には、大きな神社があって、人間がその間をとりもつ。
祭祀するということだ。
祝詞奏上その他儀式によって、霊性の高い八百万の氣を集め、荒れ狂う地の氣と調和させる。
そのような場所はエネルギーの統制がとれ、霊氣に満ちる。
ちなみに、エネルギーの大きさと霊性の高さは別の種類の話。
さて、すべての境内が統制されているかというと、そうではない。
時の流れ
人と八百万の関係が変わったのだろう。
祀られない八百万
すると、当然のごとく荒れていく。
人間も動物も自然もなにもかも、氣が向けられないものはやがて廃れる。
「氣」 生命
本来、人間の役割のひとつが、
自分自身を介し、天の氣を地へと流れ入れさせ、活性することにある。
それにより人間もまた高まることになるので、ウィンウィンの関係。天地人の循環システム。
しかし、受け手となる人間が弱っていたり、容量不足となると、それができない。
かえって自分自身を壊すことにもなりかねない。肉体損傷、機能破綻。
さらに、先述したように、元は妖。祭祀が不十分で荒れ放題、勝手し放題で、八百万の神といわれるほど霊性を高めていたのが、もとの木阿弥。
これらのものたちは、その昔、人間の恐れや欲で起こされ祀られ、想念にしたがっていたのだが・・・
動物界に例えるなら、多頭飼育崩壊状態。
すると、パワーのある妖は、憑りつくために因縁のある魂を探し、引き寄せる。
そして、その魂の状態より自分が優位なら、乗りこんでくる。
乗り込まれた者は、自分を失くしていく。
逆だな。そもそも自分がなかったので、乗っ取られることになった。
さらに自分を失くしていく。または、人間意識ともののけ意識の狭間で苦しむことになる。
これは、人間同士の関係でもいえることだが。
神や仏を求めた、その内奥になにがあるのだろうか?
清浄?
混沌?
常に、自問したい。
ところで、少し前に、「因縁のある魂を探して」と書いた。
例えば霊媒や巫女など狭間を居場所にしている魂は、経験しがちなことだ。
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