ここから始まった。
神旅、ライトワーク、Matsuri(まつり)。
その時々に表現が変化した八百万との出会い。
他の神社仏閣となんの違いがあるかと思うのだが、
なぜか、ここは見せてはいけないような、書いてはいけないような、それが何かは分からないが、止めるものがあった。
そして、それがなぜかは分からないが、わたしの中の封印を解こうと思うようになった。
わたしが止めた「わたし」の解放。
それは、このサイトを始めた年だった。
どなたかのSNS投稿を見て、この神社に強烈に惹かれた。
それから数日後には徳島への旅を決めていた。約7年前のこと。
天石門別八倉比賣神社
天石門別八倉比賣神社略記
式内正一位 八倉比賣神宮
御祭神 大日孁女命(別名天照大神)
御神格 正一位、延喜式に記録された式内名神大社である。
仁明天皇の承和八年(八四一)八月に正五位以下を授けられ、清和天皇貞観十三年(八七一)二月二十六日に
従四位上と次第に神階を昇り、後鳥羽天皇の元暦二年(一一八五)三月三日正一位となる。
御神紋 抱き柏
当社は鎮座される杉尾山自体を御神体としてあがめ奉る。江戸時代に神陵の一部を削り拝殿本殿を造営、奥の院の神陵を拝する。これは、柳田国男の「山宮考」によるまでもなく、最も古い神社様式である。
奥の院は海抜一一六米、丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれている。青石の祠に、砂岩の鶴石亀石を組み合わせた「つるぎ石」が立ち、永遠の生命を象徴する。
杉尾山左右の麓に、陪塚を従がえ、杉尾山より峯続きの気延山(山頂海抜二一二米)一帯二百余の古墳群の最大の古墳である。
当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神(いまりかみ)、
葬儀委員長大地主神(おおくにぬしのかみ)、木股神(きまたかみ)、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、
八尾萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。
銅板葺以前の大屋根棟瓦は、一対の龍の浮彫が鮮やかに踊り、水の女神との習合を示していた。
古代学者折口信夫は天照大神を三種に分けて論じ、「阿波における天照大神」は、「水の女神に属する」として、
「もっとも威力のある神霊」を示唆しているが、余りにも知られていない。
当社よりも下付する神符には「火伏せ八倉比賣神宮」と明記。
鎮座の年代は、詳らかではないが、安永二年三月(一七七三)の古文書の「気延山々頂より移遷、杉尾山に鎮座して二千百五年を経ぬ」の記録から逆算すれば西暦三三八年となり、四世紀初の古墳発生期にあたる。しかも、伝承した年代が安永二年より以前であると仮定すれば鎮座年代は、さらに古くさかのぼると考えられる。(神社案内板より)
神社は、阿波史跡公園の中にある。
午前中の早い時間もあってか参拝・観光する人もおらず、全体がひっそりとしていた。
ひとり旅には慣れてはいたが、山の中にある神社にひとり赴く経験はこれが初めて。
そもそもそれまでは、神社には氣が向かなかった。
マムシがどうのとか、ハチがどうのとか注意を促すような看板があったように記憶しているが、そのような場所に、それまでの自分だったら絶対!行かない!と思うのだが、なんの試しか? なにかが憑いたか?
強く、強く、行きたい 行かなければならないと思った。
寂しい道を抜け、
そこにあったのは、異世界への扉のような、鳥居。
一の鳥居
摂社 箭取神社の案内
二の鳥居
二の鳥居をくぐり、長い階段を上がる。
拝殿
誰もいない境内だが、
時おり、横道から人が現れる。
散歩の人びとだろうか?
この道はどこにつながっているのだろうかと、少し先まで行ってみた。
というのも、拝殿周辺には、激しく惹かれた場所が見当たらない。
どこなのだろう?
この道の先かな? ウロウロ・・
すると、神社関係の方? 氏子さん? 女性が現れ、声をかけられた。
「奥の院へ行かれました?」
奥の院? あれは奥の院だったのか? こころの中の会話。
「いえ。それはどこにあるのでしょう」
すると、女性は奥の院へと続く階段を教えてくれた。
そうだ、そうだ、ここだ!
SNSで見た神秘的な場所。
奥の院
エネルギーが変わった。
音が変わった。
変わったというより、無くなった。
無音。この世界の音が無くなる。
変わりに、
誰と誰なんだ? 頭のなかで会話が始まる。
五角形の磐座: 丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部の頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれ、その上の青石の祠の中に砂岩の鶴石亀石を組み合わせた「つるぎ石」が祀られている。
一説には卑弥呼の墓であるという。(Wikipediaより)
つるぎ石 永遠の生命を意味する、お墓。
この瞬間、此岸と彼岸の狭間に立っていた。
アマテラス? それともヒミコ?
わたしは誰かのお墓まいりに来た。
「当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神(いまりかみ)、
葬儀委員長大地主神(おおくにぬしのかみ)、木股神(きまたかみ)、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、
八尾萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している」
この文は興味深い。人間的だ。
今は崇められる神々も、そもそもは人間だったというケースも多い。
誰かが亡くなり、ここに葬られた。
そのエネルギーは時空を超え、語りかける。
ところで、太陽神とされる天照大神を水の神と評した折口信夫氏の見解にも氣が向く。
陰陽は一対で機能する。
すると、それが示唆するものは?
墓
アマテラス ヒミコ
太陽 日の神 日継ぎの巫女 女王・・・
埋葬されたのは、ひとか、秘密か? 過去か、未来か?
天石門別八倉比賣神社
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