生きる意味はあるのだろうな。
人間であることの意味はあるのだろうな。
哲学的でこそばゆい感じもするが、
その意味を求めていたような気がする。
その意味が知りたかったような気がする。
そして、どのように「わたし」になった?
わたしには「あれ」と「これ」があった。
「あれ」は、刹那的だ。事物に対する愛着があり、貪欲に利己的にそれを求める。動物的ともいえる。
「これ」は、哲学的・宗教的。精神世界への興味・憧れ・畏れ。
どちらもわたしであることは間違いなくて、
あるときは「あれ的意識」。別のときは「これ的意識」。
勝手気ままなときがあったかと思うと、急に原理原則に縛られてみたりと。
ひとは、さまざまなペルソナをもつのは当たり前だが、大きな意識の変遷は自分でも戸惑い、疲れ、不安定だった。
もっとも以前は、感情というものがよく分からなかったが。
よくあるアレ。
「本当の自分は〜」
「ありのままの自分は〜」
内なる自分、内なる声、内側に世界が広がっているとはつゆぞ知らず。
外側に意識が向き、そこだけを探していた。
◯は一周360度。
外側に意識があるときは、半円・上側・左右・180度を行ったり来たりしている。
下に半円があることは気づいていない。
この段階では軸がなく、「自分」を知らない。
「自分が創られていない」という表現がピタリとするかもしれない。
言葉の意味はひとそれぞれ受け取りかたが違う。どのようにイメージするかも違う。
ここで、「本当の自分」「ありのままの自分」というときは、
「魂」の特性のこと。
さて、このときまでは、わたしは「あれ」と「これ」の2つの意識だけだった。
それが、あるときから、ひとつ増え、「あれ」と「これ」と「それ」の3つの意識がみえてきた。
ある日の瞑想のこと、意識が3つに分かれた。
どのような表現が適切だろうか。
感覚のわたし、意識的なわたし、それを俯瞰してみているわたし。
まるで、3人同居中。
2人同居で慣れているので、3人目には混乱はしなかった。
2人目と3人目の境界が曖昧だからかもしれない。
無言だからか?
最後に現れたのは無言の観察者。
「あれ」と「これ」と「それ」
心身・魂・霊
そのようにも分けられる。
すると、また別の意識が教示する。
霊的グループ・光のマスター。
ある段階の達成は、「あれ」と「これ」と「それ」を区別して意識化する。
それぞれのエネルギー・フォースを感覚で捉え、脳内処理をする。
「自分」とはなにか?
把握すること、理解すること。
「自分」とはなにか?
そう問いかけられたら、どのように答えるだろうか?
身長何センチで、顔はこんな感じで、職業は、好きな食べ物は、住んでいのは・・
外的なこと、この生限定の。それも間違いではない。
では魂からみた自分とは? いろんな生を経験している、あるときは男性であるときは女性。
あるときはヨーロッパ人かもしれない、あるときは、あるときは。
それらの全部をひっくるめて、「自分とは?」
なかなか難しい。難しいどころか、答えられない。
なぜなら、外側の情報・◯の上半分の一部だけが意識化されているためだ。
大宇宙の法則。安全配慮でそのようになっている。
魂の観点から「自分」を知るのには、
エネルギーを理解する。
自分自身を構成するエネルギーはどのようなものかを理解する。
どのようなエネルギーを感受し、刺激され、影響を受けるかを理解する。
必要なものは取り入れたり、不必要なものは除いていく。
すると、地球での経験・学びは、意識化領域を広げ、◯を完成へと近づけることでもある。
人間をカタチだけ、外側・表層をみるだけでは、ホントウのコトは分からない。
ガワは、輪廻ごとに変わるからだ。大宇宙的に、心身は本質とはみなさない。
しかし、ガワがなければ経験や学びもならず、魂は成長しない。そういう意味ではガワもまた大切にしなければならない。
さて、人生運まかせ、天地の神々の気まぐれに成す術もなかった人間システム。
新時代、新しい太陽系に向けて、アップデートが行われ、ようやく「創造」が意識化・実行されるようになるだろう。
ここから先は、さらなる新世界・エネルギー。
人間はどこまで繊細・微細に、エネルギーを把握することができるだろうか。
ただし、その流れは、あくまで「自然」でなければならない。
大宇宙の法則からはずれてはならない。
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