「聖なる愛を主とする」
ここで混乱しやすいことがある。
やがて、誰もが、自分の内にある聖なる愛・キリストエネルギーに目醒めるはず。
ここまでは、人類共通の課題。
しかし、その先は、どのようなフォースに集いしグループか?
それによって、行き先が異なる。
さて、ここに、「宿命」がある。
魂グループ。
大宇宙の聖なるエネルギーを
「つなぐ」ことが、あることの意味。
陰陽のバランスをとり、
真ん中へ引き戻すエネルギー。
ミチを創り、ミチとなる。
聖なる愛を主とし、
それを具現化する。
「この世にありながら、この世に属さず」
(ヨハネによる福音書 17章より)
肉と霊(スピリット)の
橋渡し
魂の出合いの場にある。
橋の真ん中に立ち、
際と際を眺める。
あっちとこっちを
渡し合う。
そのための、
どちらのエネルギー・フォースも
感知するがゆえの、厳しさ、険しさ。
高い次元 霊(スピリット)にあれば、こころ安らかに、
肉に落ちれば、途端に苦しくなる。
苦しさが続けば、
そこから引き上げようとする、
大宇宙のエネルギーが発動される。
それがまた、苦しく思うことがある。
過去からやってきた亡霊がしがみつく、
上へ引き上げる力と
下へ引き下げる力が
大きく強くなる。
心身・精神が引き裂かれる。
大宇宙のエネルギーは、大きく激しい。
「聖なる愛を主とする」
魂の光を大きくするための「人生」。それは、険しい修練。
あえて、聖なる愛から遠く離れたところから人生がスタートする場合がある。
神仏は程遠く、
宗教は不気味でしかない。
教義を嘲笑し、
物質に執着する。
こっちの神が真実で
あっちの神は偽物だ!
自分も信じられなければ、
むろん、他者を信じることはできない。
信仰のまねごとをしてみるが、
手前勝手な念しか湧いてこない。
神と名づけ、
外にだし、
偶像と化す。
聖なる愛が主であることを忘れ、
大宇宙の法に抗う生き方。
ちなみに、
神と物質は相反するわけでも、半目し合っているわけでもない。
清貧は、ミチ半ばの経験と学び。
ほとほと疲れ、
魂の修練が半ばに達する頃、
道は内側にある。
外側にあらず。
頭の中に言葉が響く。
外側にあるのは、イリュージョンの霧。
毒気を含み、悪臭を放つ。
苦しいようだが、
これはなんなのだ?
外側をいくら探しても、
光はみえてこない。
魂の声は聴こえない。
ただ、ミチを掃き清めながら、光を追い求め、その中を進むことを選ぶのなら、
間もなく、
大天使ミカエルの剣が、イリュージョンの霧を引き裂くのをみることになる。
すると、
風が吹く
風が吹く
ここに、大宇宙の計画のひとつが現れる。
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