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【祈り】神霊宿る1300年の大杉の大迫力! 日月神示が降りたのは産霊(むすひ)の地! 麻賀多神社・千葉
千葉県成田市船形にある麻賀多神社へ。
以前、訪れた成田市台方にある麻賀多神社は、本宮・本社といい、それに対して、こちらの麻賀多神社は奥宮といわれる。
とにかく、ここは、凄みのある場所だった。
時空・次元のトンネルが通った。
麻賀多神社 奥宮
船形 麻賀多神社(奥津宮)
創始 応神天皇の時代(四世紀初め他諸説)
祭神 稚日霊神
一の鳥居
式内社・麻賀多神社(成田市指定文化財)
麻賀多神社は、平安時代に編修された『延喜式』の「神名帳」に記載されて
いる由緒ある神社で、市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。
台方社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊社をお祭りしています。
伊都許利命墳墓(千葉県指定文化財)
本古墳は『先代旧事本紀』の中の「国造本紀」に見える”印波国造伊都許利命”の
墳墓と伝えられています。墳丘の大きさは、東西辺約35m、南北辺約36m、
高さ約5mの方形墳です。
遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる
横穴式石室(南側裾部)と、絹雲母片岩の板石を組み合わせた箱式石棺の二施設があります。
昭和54年3月1日
成 田 市 教 育 委 員 会
麻 賀 多 神 社
まずは、麻賀多神社へ。
一の鳥居から、参道を行くと、
参道にて ショート動画
やがて、
二の鳥居
まるで両脇から樹が守っているようだ。
手水舎
拝殿
拝殿・本殿の左右には、境内社。
祓戸神社
祠はあるものの、
後方にある樹が依り代になっているように思えた。
香取神社
千葉といえば、香取神社、経津主大神!
こちらにも、境内社。
知らないお社もあるな。
高津神社 栗生日神社 世直神社 熊野神社 菅原神社
拝殿・本殿の後方には、大杉があるよう!
日月神示で有名な成田市台方にある麻賀多神社にも迫力満点の大杉がある。
さて、こちらはというと、
大杉にたどり着くまでに2つの稲荷神社があった。
八代稲荷神社
加志波比売神社
そして、その奥に、大杉!
御神木 大杉
大杉 ショート動画
静かに、そこにたたずんでいた。
さて、麻賀多神社の参拝を終え、次は、伊都許利神社へ。
神社というが、古墳そのものを祀りしているらしい。
被葬者は、古代、印波国をおさめた国造。
伊都許利神社
古墳そのものを信仰の対象とします。お祀りするのは伊都許利命。遥か4世紀の昔、
国造として民を教導され、殖産農耕を振興して麻賀多神社を創建されました。
この古墳は伊都許利命のお墓と伝えられます。
命は今を去る約千七百年の昔(4世紀)、印波の国造としてこの地を治められ、麻賀多神社を創建されました。
古墳は、古来、命の神霊が宿るものとして崇められ、人々の信仰を集めて参りました。現在、古墳そのものが
「伊都許利神社」として神社庁に登録されています。
なお、南側(道路側)の階段から古墳の頭頂部に上がることができ、大墓標や顕彰史碑をご覧いただけます。
神旅をしていると、古墳や石棺などをよく見る。
被葬者のエネルギーなのか、その地の八百万なのか、はたまた、由縁・因縁があるのか。
引き寄せられる。
神社仏閣を訪れた数に比べれば、圧倒的に少ない古墳巡りだが、それでも、この古墳を取り巻くエネルギーには、これまで経験したことのない、凄みのようなものがあった。
この日の天気と静けさのせいだろうか。
聴いてください、語ってくださいと言わんばかりのシチュエーションに、少々、および腰。
遥か昔の古墳。
「♪〜わたしのお墓の前で〜 泣かないでください〜 そこにわたしはいません〜 眠ってなんかいません〜♪
(「千の風になって」より)
・・・の、はず、、だが。
「なにか」が・・・
伊都許利神社
古墳に向かってお参りできるようになっている。
ダイナミック 古墳 ショート動画
案内に書かれていたように、古墳の頂上に行けるという。
ということで、行ってみよう。
入り口から、古墳を見上げる。
風が強くなっていることに気づく。
氣の流れ、性質が変化した。
まるで生きもののように、風が強さを増す。
なにかが語りかけてくるようにも思える。
古墳の入り口で風の洗礼 ショート動画
古墳の頂上まで行こうか、逡巡する。
しかし、身体は動く。
公津原古墳群
39号墳 方墳
(伝 伊都許利命の墳墓)
全長 36m
高さ 5m
伊都許利命由緒
伊都許利命は、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇の命を受けて
印旛國造としてこの地方を平定され 産業の指導などに多くのご功績を残されています
その昔 日本武尊ご東征の折 大木の虚に鏡をかけ 根本に七つの玉を埋めて
伊勢神宮に祈願されました 命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきき
その鏡をご神体としてこの地に稚日霊命を(手黒神社)祀り その後、ご霊示によって
七つの玉を掘り出して稚産霊命(台方神社)を祀り 共に麻賀多眞大神として
里人の崇敬を指導されてから 益々豊年と楽土が続きました。
なお 佐倉藩磯部昌言氏の記する佐倉風土記を始め塚上の古建碑○(←不明)
によって治績が広く知られ 又明治四十四年大正三年の二回に亘って古墳が保存され
近年成田市の史跡に選ばれました
御墳墓は土砂が少 けづられている様ですが 周囲一二〇米 高さ七米の 方形墳で
南の麓には 広さ約五平方米の岩屋と 西麓には 直刀 金環 鎧片等を納めた
せきかんと その出土品が現存しています
伊都許利神社々務所
物語の中に入り込んでいくような感覚だ。
階段を一歩上るごとに、風がさらに強さを増していく。
次元が変わる、世界が変わる。
狭間の世界に入っていく。
伊都許利命墓誌(大意)
下総の印波(旛)郡稷山の東北約八百メートル、瀛宮の東南五十メートル余りのところに大きな墓穴がある。
それは伊都許利命の墓である。祠をこの上に造って二神を祀り既に千有余年になる。謹んで調べると
命は神八井耳命から八代目の孫で、応神天皇に仕えた印波の国造であると旧事本記に記載されている。
それは稚産霊を祀って国社とし、稚日霊を祀って瀛宮としている神主従三位藤原家青が、乾元中(一三〇二年から
一三〇三年)記するところによれば、徳をもって良い仕事をすれば成す。これは世のならいである。
伊都とは五土(土地)のこと、許利すなわち凝金(豊かさ)のもと、土地を豊かにして尊敬される。
また、そのようにすることが正しい道である。
〜〜 導いた其の徳功を知るべきである。家清十八代孫正六位屋玄改めて
〜に記す文を求める。銘(碑の銘文)にいう。
稷山の東北、瀛宮のこの地は、当に龍の岡(神域)怪物や悪者は逃げ失せ、惟みるに(思えば)
神のおかげで〜〜を時に行い、鎮め守らせるために、徳の輝きひかえめに
五凝(伊都許利)の〜長い年月にわたり執り行いつつしめば、もろもろの邦(地域)共に栄える。
〜
石碑
古墳案内板
古墳の前に立った時だった。
息ができないほど、身体が後ろにもっていかれそうな強い風が吹き続ける。
風が語る。
明確に伝えてきている。
さまざまなスピリットのエネルギーが混じり合い、カタチを見せるのではなく、
風になってきた。
風。
風が言葉になっている。
言葉が風になっている。
頭の中に響きわたる。
それがどれくらい続いていたのだろう。
風が強すぎて、息が苦しい。
風の時代 風の威力 風の洗礼2 ショート動画
そして、古墳の前から離れた。
古墳の中腹あたり、同じ敷地内には、金刀比羅神社がある。
そちらへ向かう。
風は穏やかになり始めた。
金刀比羅神社
ここに金刀比羅神社とは、興味深い組み合わせ。
少し前まで意識は異世界にあり、エネルギー体も変性したままだったせいか、頭の中がボンヤリしている。
転ばないよう、地面を踏み締めるように傾斜を歩く。
金刀比羅神社。
小さな祠。
挨拶を済ませ、鳥居の外へ出る。
すると、境内とはよくいったもの。
一気にエネルギーが変化した。
どうやら、風の時代のスタートも、手強そうだ。
呼吸器を整えよう!
風の時代
ハートのチャクラ
無償の愛
魂のつながり
地球のエネルギーレベルが上がる。
そうかといっても、まだ、人間の肉体が無くなるわけではない。
ということは、新時代に適合するよう、エネルギーを整えなければならない。
=イコール 肉体の再構築を意味する。
凄みのある場所だった。
狭間の世界。
時空・次元のトンネルが通った。
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