北に氣が向く。
この日訪れたのは、栃木県足利市にある大岩山毘沙門天。
関東最古。奈良の信貴山、京都の鞍馬山とならぶ、日本三大毘沙門天のひとつ。
住所: 栃木県足利市大岩町264
聖武天皇の御宇、行基上人が大和国、菅原寺に滞在していた際、聖徳太子作、閻浮檀金(えんぶだごん)で出来た毘沙門天像を常に所持し、関東地方へ行き霊地を開き、この毘沙門天像を安置して衆生を救済したいと誓っておりました。
ある夜の夢に老翁が出てきて告げます。「あなたの祈願は長い年月にわたるものだ。関東の足利に霊山があり、その山に登れば、所願を叶えることができる。私は山王権現である。」
夢から覚めた行基上人は三度礼拝し、この願いが成就した際には、必ず山王権現を一山の鎮守としよう、と心に堅く誓いました。(現在も山王社がある由来になります。)上人は瑞夢を信じ、遠い下野の下にある足利郡に一夏、安居して、信じて修法することを怠ることがありませんでした。(今の足利行基山徳正寺がここにあたるとされています。)
また、ある夜の夢では甲冑を纏った武人が現れ、こう告げてきます。「ここより北にある大岩山という山に登ると衆生済度の為になる。私はあなたが信じる所の多聞天王(毘沙門天)である。」と言って、光を放って消えていきました。行基上人は三度礼拝し、御守りをご覧になると、口が少し開いて幽かに光っておりました。
行基上人はますます信じ、告げられた通り北にある嶺に分け入っていくと、忽ちに金色の光が強く輝き、山の中が明るくはっきり映し出されました。行基上人は喜びに耐えられず、ずっと持っていた毘沙門天像を用い、盤石の上に安置して乾いた茅で堂を作りました。
(大岩山毘沙門天HPより)
足利市内から、大岩山山麓へ。
人里離れ、道路をぐるぐると回っていくと、大岩山毘沙門天石段下へ到着!
大岩山関係の文化財
大岩毘沙門天 案内
石段
階段を上ると、仁王門が見えてくる。
手水舎
仁王門
絨毯のように落ち葉が広がる光景は、
寂しげであり、それがまた抒情的、詩的だと思った。
仁王門を通り抜けようとしたとき、そこにいたのは、「おびんずるさま」。
朝日に照らされ、妙にパワフルさを感じた。
おびんずるさま
賓頭盧。釈迦の弟子のひとり。
獅子吼(ししく)第一と称される。名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャである。名前の意味は、不動、利根という。十六羅漢の第一。
バーラドヴァージャはバラモン十八姓の中の一つである。
博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果を得て神通力を得た。白髪長眉の相があったといわれる。
彼の説法が他の異論反論を許さずライオンのようであったため獅子吼第一といわれるようになった。優填王が仏教に帰依したのは、夫人の勧めという説もあるが、賓頭盧尊者の説法によるとも伝えられる
(Wikipediaより)
仁王門を抜け、
さらに石段を上る。
すると、毘沙門天本堂があるのだが、
参拝順は、山王権現が先。
なぜなら毘沙門天が鎮まる大岩山の鎮守だからという。
山王権現
行基菩薩の夢の中に山王権現が現れ、大岩山を示し、行基菩薩を足利の地へといざなったのです。
現在の山王社は桃山時代の建築とされ、大岩山内で最も古い建築と言われています。破損により、昭和五十二年に修復しています。
(大岩毘沙門天HPより)
中央が、山王権現社。
そのほかに、
大黒天社・稲荷神社・西宮神宮が鎮まる。
大岩山毘沙門天 本堂
境内を散策。
鐘楼
鐘楼へ渡る手前に「筑波山」の看板。
樹々に阻まれて見えずらいが、この先には、筑波山があるのか。
それを知った瞬間、先月筑波山を訪れたことを思い出した。
「そうか、筑波山からのご紹介か〜」
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この先に、筑波山が見える・・らしい。
本堂に向かって右後方には、大杉権現!
御神石 真神
大岩山毘沙門天の御神石には古来より日本に生息している狼の神、真神様が宿っていると
いわれています。
人の言葉を理解し、悪人を罰して善人を守り助けるとともに、魔物を退けるといわれ、
魔除けをはじめ、獣害除けのご利益があります。
合掌し、心静かにお祈り下さい。
毘沙門天のスギ
ご神木以外にも、境内には生命力溢れた樹木がたくさんあった!
毘沙門天本堂に向かって左方向へいくと、
富士見台
ここから遠く富士山見ることができる。
しかし、この日はかすんでいて見えなかった。
さらに奥に進むと、大岩山へと通じる登山道がある。
最勝寺 暖地性植物自生地の案内
毘沙門天本堂裏手の斜面を中心に、暖帯の特徴的植物群が自生している〜。
大岩山毘沙門天を訪れ、山火事被害ついて知った。
2021年2月21日から足利市内で山火事が発生し、数日続いた。
火の手は大岩山毘沙門天のある裏まで迫ったという。
そのため、近隣住民50人の手を借りて、仏像などを運びだした。
本来そのような仏像などは専門業者に依頼をし、行われるが、その余裕もなかったようだ。
幸いにも寺に飛び火することはなく無事であったが、困ったことに、今度は運び出された仏像を戻すことができなくなってしまった。
詳しくは、こちら(朝日デジタル新聞)から!
そういえば、当時、数日続く山火事を報道番組かなにかで見た記憶がある。
火の氣が山を呑みこむ様を見て、
これから先、火のエネルギーがさらに強くなっていくのだろうなと思ったものだ。
ここもまた、怒涛のごとく 山霊の叛乱か。
荒ぶっていた頃を思い出したか。
ちょうど帰ろうとした頃に、太陽が強さを増してきた。
樹々を介し、陽射しが語りかける。
ならばと、仁王が留守中の仁王門を陽の氣で包む。
結界になっただろうか。
その昔、行基菩薩は、衆生を救うため、この地を開いた。
表現を変えるなら、
天と地の通路をつくった。
霊山と称される山。
山岳信仰の対象となる山は、そういった意味もある。
天と地をつなぐ通路
時代は流れ、
通路が閉じられた御山がある。
閉じてはいけない御山がある。
新しく開かれる御山がある。