【祈り】怒涛のごとく 山霊はいななく 地にあるものの叫び 天に届くか   伊豆山(伊豆山神社・走り湯)・静岡

2022.11.25  Chikako Natsui
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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、そろそろ大詰め。

今年は、鎌倉を中心に、ゆかりの地をたくさん訪れたとふりかえる。

そして、その隠れた主役ともいえる伊豆山大権現を祀る伊豆山神社へ赴いた。

 

 

伊豆山神社

住所: 静岡県熱海市伊豆山708 番地1

 

ご祭神 伊豆山神 ( 火牟須比命・天之忍穂耳命・栲幡千千姫命・邇邇芸命 )

 

当社はかつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
祭祀の創まりは遥か上古に遡り、現存する木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御世に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。

その神威の源は、湧き出る霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
神威を被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」の一つとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
(伊豆山神社HPより)

 

 

伊豆山神社は2度目の参拝。

今回は、「そうだ! 伊豆山大権現に会いに行こう!」の旅。

地主神とのシンクロニシティ!

 

熱海駅から路線バスに乗る。

乗車時間は10分かからないほど、駅から伊豆山神社は近い。

バス停留所に降りてすぐ鳥居がある。

 

鳥居

 

 

長い階段を上り、社殿を目指す!

 

途中には、役行者を祀る足立権現社と結明神がある。

 

ご由緒

 

 

境内案内

 

 

階段を上と、

手水舎雷電社がある。

 

光石

走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た光の石です。
(伊豆山神社HPより)

 

 

道祖神

進むべき道を見失い思い悩めるとき、困難にぶつかり挫折してしまいそうなとき、一筋の光の如くに正しい道を指し示し、導いてくださる神様です。(伊豆山神社HP)

 

 

頼朝・政子腰掛け石

源頼朝と北条政子が腰掛け、愛を語らったといわれる石です。
(伊豆山神社HPより)

 

 

池の鯉

 

 

社殿

 

 

さて、

 

本宮へ

 

 

この旅は、伊豆山を歩くことに軸足を置いた。

山を楽しむ、山を感じる、見て、聞いて、五感を通して味わう。

それは、狭間にあること。

山霊と遊ぶこと。

 

さて、伊豆山に入り、すぐに出会うのは、ユニークな様相の樹々たち。

 

 

伊豆山中には、愛嬌のある顔をした樹々が多い。

 

 

決してスマートでもなく、品があるわけではないが、

生命力溢れている。

 

 

木の根が張った山道。

 

 

絡み合う樹。

 

 

伊豆山修験の行場跡

 

大きな岩にしめ縄が巻かれていた。

 

 

階段を登る。

 

 

すると、見えてきたのは、白山神社!

 

 

白山神社

伊豆山記、走湯山記によれば、天平元年夏、東国に疫病が流行した際、北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ「悪行のなす所、救いの術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があり、猛暑の頃であったにもかかわらず、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日経っても消えず、病人がこの雪をなめたところ、病苦がたちどころに平癒したことから、この御社が創立されました。
古来より、病気平癒、厄難消除の神様として厚い信仰を集めております。(伊豆山神社HPより)

 

 

白山神社から下を見おろす。

 

 

白山神社のお社の脇には、大きな岩。そして、岩から生えた樹。

このような姿になるまで、この岩は、どれだけの地球時間を過ごしているのだろうか。

今、見ているのは、岩から植物への霊的進化。

 

 

白山神社の上をみると、仏が描かれた岩を発見。

その昔、ここにも修験者がいたのだろう。

 

 

白山神社を後に、本宮を目指す。

 

 

 

途中には、「子恋の森公園」がある。

 

この森は「古々比(ここひ)の森」「古々井(こごい)の森」または「子恋の森」といわれ、昔から歌にも詠まれた伊豆三勝のひとつでした。清少納言の枕草子に「杜はこごひ」とあり古来より名高く、ほととぎすの名所であるこの森を詠んだ歌は数多くあります。NHKの大河ドラマ「草燃える」の原作者永井路子氏は小説「北條政子」に、この地での源頼朝と北條政子とのロマンスが描かれています。(熱海市HPより)

 

 

子恋の森公園を過ぎ、少し歩くと、本宮への参道が見えてくる。

その入り口にあったのが、結明神社。

 

結明神本社

御祭神 結明神(日精・月精)
走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より男女二人の赤ん坊が生まれた。
初島の初木神社の御祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云います。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られています。
ご祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神様で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられています。

 

 

結明神にご挨拶ののち、本宮への参道を上る。

 

 

 

やがて、鳥居が見えてきた!

 

本宮社 鳥居

 

 

 

 

 

本宮社

御祭神 伊豆山神

仁徳天皇の御代に松葉仙人が神鏡を崇め、社を造り日金山に祀り、後に社はこの地に移され祀られてまいりました。
さらに承和3年(836年)に今の伊豆山神社の社を建造し移ったので、残った二番目の社が現在の本宮社のいわれです。
江戸時代初期には広さ東西五間、南北三間半の拝殿、鳥居三ヶ所、付近に求聞持堂、東西三間南北二間の建物等がありましたが、江戸時代後期の野火により全焼し、現在は石鳥居一基、拝殿が一棟建っているのみであります。

 

 

 

本宮社の隣にあったのは、

 

水神

 

 

真新しい水神社。

2021年7月に起こった土砂災害で不明となった水神社。

改めて、伊豆山神社 本宮社横に鎮まる。

 

本宮社境内から、熱海の海、伊豆七島方面を眺める。

 

 

少し休憩ののち、下山。

どうにかお天気もって、陽が射していたが、この日は雨予報。

長居はやめておこう。

 

 

復路は違うルートで。

 

 

この道は、雨が降り、水が流れ、岩や石が動き、自然と形作られたらしい。

そのためか、少し、歩きにくい。

 

 

途中にあった石。

そこには、まるで仏のような姿が浮かび上がる。

 

 

行き交う人びとを守り、導く、道祖神のようだ。

 

 

 

石や岩につまづいたりしながら、

ようやく、伊豆山神社 本殿のある境内へ戻ってきた。

 

休憩。

さっきより風が強くなった。

そして、海を眺める。

 

 

そろそろお腹もすいたので、ランチタイム!

伊豆山神社周辺には目ぼしいお店が見つからず。

それでは、熱海駅方面へと階段を下りていった・・つもりが、

どんどんどんどん下りすぎて、目の前は海!

 

そういえば、そもそも伊豆は、南の方からやってきた。

海の先に故郷がある。

階段は、海と伊豆山神社を真っ直ぐに繋いでいた。

 

ところで、階段をとことん下り、海が近づいてくると、

そこにあったのは、

 

走り湯源泉

日本三大古泉のひとつ。日本で珍しい横穴式源泉。

約1300年前に発見された。

詳しくは → 走り湯(「あたみニュース」熱海観光協会公式観光サイト)

 

 

 

 

修験道の始祖とされる役行者・役小角が文武天皇3年(699年)に伊豆大島へ配流されたおりに、島を抜け出し伊豆山などで修行していたが、そのさいに伊豆山海岸に湯煙りが上がるのを目にし、走り湯を発見したとされる。役行者は、その湯に千手観音菩薩を感得し、「無垢霊湯、大悲心水、沐浴罪滅、六根清浄」という功徳を授かったという伝説があり、その湧き出る霊湯「走り湯」を神格化したのが走湯権現とされる。また、空海が修行した伝承もあり、多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場であった。現・社殿から本宮への山道は、かつての修験道の行場であったと伝わる後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。(Wikipediaより)

 

 

寂れ感のある走り湯源泉。

だが、どれだけ年月が過ぎようと、パワフルさは失われていないように思えた。

ここが主役と思えるのはなぜだろうか。

 

 

一方で、複雑な気持ちがわく。

私の中で交差したエネルギーが混乱したのかもしれない。

伊豆山のエネルギーはとてつもなく大きいはず。

しかし、山中を歩いてみても、本来の自信に満ちたエネルギーは、オブラートに包まれているような、

ベールの陰に隠れてしまったような、本質が見えない。

 

それに輪をかけたのは、

階段を下りて、下りて、海へ近づくにつれ、なぜか不安な気持ちになっていた。

海のそばには何軒かの旅館があったのだが、どこも休業していた。

その場全体の氣の流れが止まっているようで、そして、寂しげだ。

階段を下りるときに感じた不安は、このことだったろうか。

 

ここは長く居るところではない。居れないと思った。

それでまた階段を上り、交通量の多いところに辿りつく。

そこでようやくお店を見つけた。

 

2021年の土石流災害のことは覚えていた。

「伊豆山」

その言葉がやってきた真の理由。

 

山霊は怒涛ごとく 山霊はいななく

地にあるものたちの叫び

 

天に届いているだろうか。