今生、魂が乗ったエネルギーライン。
より源泉へと近づく。
今回訪れたのは、
長野県松本市にある筑摩(つかま)神社。
筑摩神社
ご祭神
誉田別尊(応神天皇)
気長足姫(神功皇后)
多紀理姫命・狭霧姫命・多岐津姫命
筑摩(つかま)神社は古来からこの地に鎮座し、筑摩八幡宮、あるいは国府八幡宮の名でよばれてきました。
中世になって小笠原氏が筑摩郡に入ると、源氏の守護神として小笠原氏の厚い信仰を受けました。
筑摩神社は本殿を中心に玉垣がめぐらされ、前方(南)には桃山時代建造の拝殿をもち、宝蔵、額殿、舞殿、かつて筑摩神社の別当寺(神社に付属しておかれた寺院)であった安養寺の鐘楼、神門、鳥居など一連の建造物があります。
中世に国府八幡とよばれたのは、平安時代の初めに松本に信濃の国府がおかれたからで、国府の所在地に近いところからその名が生じたものです。
(松本市役所HPより)
延暦13年(794年)、石清水八幡宮より勧請を受けて創建され、正八幡宮の別名がある。
また信濃国府の筑摩郡遷府以後は国府八幡宮とも称し、室町以後は清和源氏である小笠原氏の祖神として崇敬された。
(Wikipediaより)
今年は、とことん八幡宮!
石清水八幡宮といえば、去年の記憶が蘇る。
ずっと行きたい、いや行きたくない、いやいや行かなくちゃ、やっぱりやめておこうと、関西を訪れる度に逡巡していた。
いまひとつ気分はのらないものの、どうしても行かなければならないようにも思い、ようやく参った。
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2022年7月8日。
安曇野への旅。
ならばと、今生で乗ることに決めた、エネルギーラインの源泉へ近づいてみることにした。
筑摩神社。
通勤・通学の人びとが、街中を行き交う時間帯だった。
松本市内にあり、周辺は住宅街。騒々しくはないが、寂しい場所でもない。
しかし、境内は独特のエネルギーだ。
一の鳥居 ↓
おそらく、強い結界が張られているのだろう。
二の鳥居 ↓
なぜなら、ここには「魏石鬼八面大王」の伝説がある。
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地域住民を悩ます鬼・八面大王を退治するため、桓武天皇に派遣された坂上田村麻呂。
石清水八幡をこの地に勧請し、その神力により、鬼を討ち取った。
だが、鬼のエネルギーが強力すぎるため、復活を恐れられた。
そこで、鬼はバラバラにされ、四方八方に埋られたという。
ここ、筑摩神社には、八面大王の首塚があるとされる。
八面大王の伝説を知ったのは、安曇野市で訪れた大王わさび農場でのことだ。
筑摩神社へ参った時には、鬼伝説については知らなかった。
記事を書きながら、その時を再体験していると、
八幡神と鬼についてが、言葉で表現しきれないことを暗示しているように思える。
二の鳥居をくぐり、さらに進むと、
門 ↓
門をくぐり抜けると、
拝殿 ↓
光の儀式をしれみれば、
綺麗な光の輪っかが登場!
横から見た、拝殿と、
奥が本殿 ↓
太郎山大神 ↓
境内には、その他にも摂社が多数ある。 ↓
溶岩でできているような燈籠が印象的だった。 ↓
筑摩神社と道路を挟んであったのは、
五條天神社 ↓
八面大王の首塚 ↓
地元では、飯塚と言われている。
写真は分かりにくいが、お社の後ろにこんもりと丸く土が盛り上がっている。
ここに鬼首が埋められているというが、、
一説によると、当時この地の名前は、「塚魔」(つかま)だったらしい。
鬼を魔物と称し、魔物が埋まっている塚ということだったのか。
それが、現在の筑摩(つかま)神社へなっていった。
神霊によって魔を封じ込めるという意味もあったのだろうか。
荒ぶる八百万・荒御霊を鎮めるために。
そして、鬼の修行は進み、霊性が高まったのか、
悪鬼は、土地を守護するものとして、八百万へと昇格!・・・したのかも。
こういった伝承は、日本各地に伝わる。
そもそもお社とは、荒ぶる八百万を封印し、鎮めるための役割を担う。
だが、時の流れとともに、それが機能していないこともある。
封印や結界が破られ、荒ぶる地の氣が蠢く。
ということで、八幡神の出番!
最後は、筑摩神社の入り口のところに鎮まる、境外社? ↓
今生で、魂はどのようなエネルギーの流れを選んだのか、
意識的には、その探求の旅であった。
モニターに現れる文字が進みに連れ、
八幡神が伝えることは、どうやらそうではないようだ。