2022年 最初の満月。
始まりのライトワークは、お正月だから! めでたく! お江戸 日本橋 七福神巡り!
参加者様には、心より感謝と御礼を申し上げます。
七福神とは?
福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っている。(Wikipediaより)
神つなぎ。八百万のエネルギーとシンクロし、それをつないで歩くにはピッタリのライトワーク!
短時間に多くの八百万と縁をもつ。
ところで、日本橋七福神巡り。調べてみれば500年ほどの歴史があるという。
七福神への信仰は、室町時代よりはじまったといわれ、500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっています。
日本橋七福神めぐりは、他所とは異なり、すべて神社で構成されています。
巡拝距離も短く、日本で一番巡拝が短時間に参拝できるのが特長です。
日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街。
懐かしい下町情緒に触れながら、参拝いただきますよう、御案内申し上げます。
出発点は定めておりませんので、御自由にお巡りください。(日本橋七福神めぐりHPより)
集合は、隅田川沿いにある浜町公園。
自己紹介と短時間の瞑想を行うことにしていた。
個人のエネルギーが整い、それがシンクロし、集団のエネルギーフィールドが完成する。
ひとりの気づきや現象は、グループに伝播しやすい。
なぜなら、同じエネルギーフィールドにあるからだ。
また、浜町公園を訪れてみると、グループの事情だけでは無いようだった。
園内にある木は、光を、生命エネルギーを欲していた。
間もなく時計は10時だが、この日は底冷えのする寒さ。
簡単に自己紹介、オリエンテーションと瞑想を終え、早々に七福神巡りをスタート!
最初に参ったのは、浜町公園から一番近い「笠間稲荷神社」。
笠間稲荷神社 (寿老人)
日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきた。江戸時代末期安政6年 (1859)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。以降、牧野家のみならず日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めた。寿老神は長寿の神にしてお導きの神・幸 運の神として人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神です。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 宇迦之御魂神
生命の根源を司る「いのち」の根の神として農業、工業、商業、水産業など、あらゆる殖産興業の守護神として人々の生活すべてに御神徳を授けて下さる神さまです。
(笠間稲荷神社HPより)
末廣神社 (毘沙門天)
当社は慶長元年(1596年)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあっ た葭原(吉原)の氏神として信仰された。延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられる。 幕府に仕える武家からの崇敬も篤く、旗下火消頭に庇護や祭事の 奉仕もさせている。毘沙門天の御神徳は勝運向上が有名だが、そ の昔当社は疫病鎮めの信仰も集めたことから病気平癒はもちろん、 厄除け、財運向上、福徳繁栄など多聞天の別名のとおり、今では様々 な御神徳を求めて祈願する参拝客が多い。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 宇賀之美多麻命(お稲荷さま)他4柱、 毘沙門天(末廣神社HPより)
松島神社 (大国神)
創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定される。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる 燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられる。天正13 年(1585) 2月13日、邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々 松島稲荷大明神と唱えた。御祭神は大国主神をはじめ、ご神格の 高い神様が、14柱と他社に比べて多い。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 稲荷大神・伊邪那岐神・伊邪那美神・日前大神(天照大神)・北野大神・手置帆負神・彦狭知神・淡島大神・八幡大神・猿田彦神・琴平大神・天日鷲神・大宮能売神・大国神
宝生弁財天(水天宮境内) (弁財天)
久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公「ありま・よりのり」が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公「まえだ・なりなが」と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われている。芸事をはじめ学業・金運のご 利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されている。また、水天 宮本殿についても文政元年(1818)に江戸上屋敷(三田赤羽橋) の邸内に祀ったことが始まり。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神(弁財天) 市杵島姫神
茶ノ木神社 (布袋尊)
「お茶ノ木様」と町内の人に親しまれている茶ノ木神社の御祭伸 は倉稲魂大神。昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の 城主(十八万石)大老堀田家の上屋敷であって、この神社はその 守護神として祀られたものである。社の周囲に巡らされた土提芝 の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植込まれ、芝と茶の木 の緑が実に見事であったと伝えられている。今でも防災・生産の 神様として信仰を集めている。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 倉稲魂命(伏見稲荷大社の主祭神 稲荷神)
小網神社 (福禄寿)
健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ 境内地にあった万福寿寺におまつりされていました。稲荷神を主 祭神とする小網神社は約550年前の文正元年(1466年)悪疫鎮静の 神として鎮座。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名づけ たといわれます。社殿(昭和4年建立)が戦災を免れたり、同神社 の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、 近年「強運厄除の神」として信仰を集めています。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 倉稲魂神(稲荷大神)
市杵島比賣神(弁財天)
福禄寿 他
武蔵国豊島郡入江のあたりに萬福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。開基の年代は明らかではありませんが、恵心僧都の歴史を考えれば、今からおよそ一千年前ということになります。
文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。(小網神社HPより)
椙森神社 (恵比寿神)
遠く一千年の昔創建にして、天慶三年 田原藤太秀郷戦勝 を祈願し強敵を亡ぼす、偏に神助に依ることと、白銀の狐像を奉 納す。文正の頃、関東一帯連年旱魃ありて、太田道灌、当社に詣 で乞い祈らばその霊験あり、尊敬のあまり山城国稲荷山五社大神 を祭祀す。特に神道家の吉川惟足は信仰厚く、五社稲荷の一社な る大己貴大神の御宣託に依り、恵比寿大神を奉斎せられ、今日に 至るも年々盛大に、祭典を執行せり(10月19・20日)。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多い。(日本橋七福神めぐりHPより)
ご祭神 倉稲魂(うがのみたま)の大神
素戔嗚(すさのお)の大神
大市姫(おおいちひめ)の大神
大巳貴(おおなむち)の大神
四大神 ——- (以上五社稲荷大神)
恵比寿大神(相殿) (以上、椙森神社HPより)
日本橋七福神がお祭りされている神社のほとんどが、稲荷大神が鎮まっていることには驚いた。
七福神に数えられている神社だけではなく、ここには稲荷大神が多い。
田んぼは無いが、稲荷神?と、思ったが、よく考えてみれば、稲荷大神は伊勢神宮とシンクロしている。
稲荷大神 ウカノミタマ
稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。
古事記』では、須佐之男命の系譜において登場し、須佐之男命が櫛名田比売の次に娶った神大市比売との間に生まれている。同母の兄に大年神(おおとしのかみ)がいる。大年神は一年の収穫を表す年穀の神である。
『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられている。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。
神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神とは習合していくことになる。平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)には、トヨウケビメの別名ともされる屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)が登場するが、この女神について祝詞の注記では「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明しており、ウカノミタマを女神と見なしていたことがわかる。上述した『日本書紀』の厳稲魂女も稲の霊であり、これらの記述から、食物の持つ生命力や稲霊(いなだま)が女性的なものと考えられていたことがうかがえる。(Wikipediaより)
また、ここ日本橋は皇居にも近い。
稲荷大神が五穀豊穣、産業を主るというならば、それを祭祀し、国を守り・繁栄を祈り続ける大祭祀場のすぐそばに稲荷神が祀られているのも納得する。
さらにウカノミタマは、スサノオ神の系統という。
ライトワークの参加者様のご縁を考えると、それもまた大きく頷ける。
この日、いくつもの稲荷大神を参ってみて思ったのは、それぞれにエネルギーの特性が違うということだ。
お祀りされている地のエネルギー、八百万のエネルギー、集まる人びとのエネルギー。その総和がお社のエネルギーを創りだす。
約2時間で稲荷大神のエネルギーとたっぷりシンクロしたからだろうか。
この日のランチは和食を選んだ。
これまでのライトワークの多くは洋食が主だったが。
今年の五穀豊穣を祈って!
さて、ここは日本橋人形町。有名店がひしめいている。
選んだのは、「京粕漬 魚久」。
この記事を書きながら正式な店名を知る。
なんと、京粕漬とは! 京都。
今となっては商品そのものに京都は余り関係ないのかもしれないが、京と江戸。
いまは昔の都が時空を超えてつながったようで、面白い。
注文したのは、京粕漬定食。
さすがに老舗の名店。すべてが美味しかった。
ランチの後は、今はでは少なくなった喫茶店へ移動し、食後のお茶とデザートをいただきながら、懇親&いろんなお話!
こちらも老舗の喫茶店のよう。
神旅、ライトワークで毎度思うこと。
その道程は、特別なエネルギーフィールドにあること。
ひと的意識では理解できないようなことがしばしばおこる。
八百万とのシンクロニシティ。
グループのエネルギーフィールド。
それが個人のエネルギーを刺激する。
夜空に浮かぶ、今年初めての満月。