2021年12月22日 冬至。
この日は、複数のレイラインが交差するという寒川神社を中心にライトワークを開催しました!
参加者様には、心より御礼と感謝を申し上げます。
パワフルな1日だった。
冬至とはいえ、真冬の太陽。それとは思えないほどの強いエネルギーを発していた。
また、龍脈の上にあるので、天の氣に刺激され、地の氣もまた威力を増す。
寒川神社は、相模國一之宮と称され、全国唯一の八方除の守護神として約千六百年の歴史を持つ神社です。古くは朝廷をはじめ、源頼朝、武田信玄、徳川家代々、さらには民間と幅広い信仰を受けてきました。
ご祭神
寒川比古命
寒川比女命
二柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。
ご由緒
雄略天皇(四五六~四七九)の御代に奉幣、また神亀四年(七二七)社殿建立と伝える記録があり、少なくとも約千六百年の歴史を有します。
(以上、寒川神社HPより)
この二柱は牟弥乃神社(伊勢神宮末社)で祀られており、寒川神社を祭祀した相武国造一族の遠祖が伊勢から到来したことを示唆すると指摘されている。大水上命は大山祇神と同一視されるが、詳細は不明。
また、祭神については他にも佐河大明神(吾妻鏡十二)、八幡神/八幡大菩薩(諸国一宮神名帳等)、あるいは菊理媛命(惣国風土記)、澤女神(神名帳考証、神名帳注釈)、素盞嗚命と稲田姫尊(旧神詞記)、大己貴尊(一宮巡詣記)などの諸説がある。
現在は神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座するが、弥生時代には相模湾が当地に入り込んでいた。
古代より相模川より東部一帯に勢力を誇った相武国造(さがむのくにのみやつこ)がおり、相武国造の氏神として創祀されたと推定される。
寒川神社が建立された当時(西暦500年~700年)は海水準が高く、寒川神社は直接相模湾に面していたと考えられている。
相模国には縄文時代の祭祀跡や遺跡が数多く存在する。
寒川神社の起源そのものは、歴史書に登場する以前の古墳時代もしくは以前に遡る可能性もある。
(以上、Wikipediaより)
陰極まり 陽に転ずる
その狭間の時間を関東屈指のエネルギーポイント。神奈川にある寒川神社でのライトワークは、とても大きな意味があるように思えた。
案の定といっていいか分からないが、天地のエネルギーが強く引きつけ合うなか、時空の狭間にすっぽりはまり込んでしまったような、次元の行き来がうまくできていないような、ハプニング多めな1日だった。
10:00
一の鳥居集合。
わたしの中では下の写真が一の鳥居だと思っていたのだが、実は、三の鳥居。
だが、ほとんどの参加者様とここでお会いできたのは、それもまた不思議なご縁だ。
最終的には、全員の方とお会いでき、ライトワークスタートとなった!
冬至の日のレイライン。
また、ここは、ご来光の道ともいわれる。
なんといっても、この日の主役は太陽!
どこを歩いていても、それを意識する。
三の鳥居をくぐり、参道へ入る。
間もなく、氣が変わったを体感する。
それまでは、太陽の熱に温められていた身体が、急に冷たさを感じた。
霊氣だ。
鳥居の外と内では、全く氣が違う。
参加者様とともにそれを味わいながら、進んでいく。
やがて、神門。
ねぶたの飾り付けがされていた。
すぐそこに2022年が来ているんだと実感がわく。
2001年より新年から2月の節分まで、神門に神話にちなんだ迎春ねぶたが飾られるようになり、夜にはライトアップもされている。 2012年まではその年の干支にちなんだねぶたが飾られていたが、干支が一巡した2013年からは神話ねぶたが飾られている。
(Wikipediaより)
今年の迎春ねぶたは、「風神雷神 〜厄難消除 〜」のようだ。
神門をくぐり、御社殿へ向かう。
社殿内に正式参拝の方がいらしたり、お正月前だが、人出はあったように思う。
それぞれに参拝を済ませ、思い思いの場所を見学したり、エネルギーを感じたりしながら過ごす。
本殿前、いわゆる神の通り道とされるところに立っていたときだ。
社殿から太鼓の音が聞こえた。それが合図だったかのように、サーっと神氣が流れていった。
まるで、外出していた寒川大神が、太鼓の呼び出しに、慌てて社殿で戻ったようだ。
ご神木!
境内をあっちこっちと見て回り、歩き、エネルギーを感じ、入れ、出し、それを繰り返す。
ただ、それだけのことで、一見、普通の神社参拝となにも変わらないように思えるのだが、それとは違うエネルギーフィールドが私たちをとりまいている。
人でも、場所でも、この惑星にあるものは陰陽のバランスがとれると良好な状態だ。
八百万が鎮まる場所でもそれは同じで、そのエネルギーをひとは心地よいと感じる。
三の鳥居近くにある神池。
それまで、身体は陽の氣を多く入れていたので、水・陰の氣によって冷やされ、バランスがとられ、心地よいと感じる。
クールダウン!
池のそばにあった、天狗なのか、鬼なのか、仮面をつけたようなこの像に氣が向いた。
寒川神社には1時間ほど滞在し、次の予定 茅ヶ崎にある鶴嶺八幡宮へと向かった。
ご祭神
応神天皇
仁徳天皇
佐塚大神
合祀
菅原道真(鶴嶺天満宮)
相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い。また鶴嶺八幡宮によると、源氏が関東へ進出する際、創建した最初の氏社という。
長元3年(1030年)9月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠とする源頼信の子源頼義が下総の乱鎮定の折り、京都にある石清水八幡宮を懐島八幡宮として勧請した(宇佐神宮を勧請したとも)のが始まりであるという。後に源氏が現在の場所に分祀した。
社殿脇にある大銀杏は源義家が、戦勝を祈願して自ら植えたという大銀杏で、樹齢約950年。
(以上、Wikipediaより)
鳥居をくぐり、参道へと入る。
この参道は八丁参道というらしい。
参道の先に、ご社殿が見えてくる。
その横には、見事な大銀杏!
拝殿にてご挨拶。
その脇に、茅ヶ崎淡島神社。
ご祭神
少彦名命
淡島神
がん封じや婦人病に霊験があるようだ。
この記事を書いていて気づいたが、ここにもレイラインが現れていた!
淡島神社から奥に行くと、鉾宮神社・鶴嶺稲荷神社がある。
その途中に、座敷わらしがいるという一角がある。
面白かったのは、3つある風車のうち、1つだけが回っている。
風の流れは感じなかったが・・・。
少しの間、座敷わらしと戯れてみた。
鶴嶺神社については、後から詳しく書こうと思うが、とにかく氣のいい神社だ。
なんと表現すればいいか。
街中によくあるお社で、ホッとするとても親しみやすさがある。
それでいて、自然のなかに鎮まるお社のような氣も感じる。
この地にある八百万と人やその他のエネルギーが相乗して、この氣が発せられているのだろうか。
以前に参った時もそうだったのだが、ここの八百万スピリットは眷属さんとともにしっかりと本殿に鎮まっている。
多くの時間を本殿周辺で過ごしていたが、大銀杏に呼ばれるように、木の前へ。
何度会っても、この木は素晴らしい!
ここもまた依り代となっているので、八百万のエネルギーを感じる。
上の写真をみると、真ん中くらいに白いオーラが見えるだろうか。
鶴嶺八幡宮でも、参加者様は思い思いに、それぞれお気に入りの場所を見つけて、過ごされていた。
祈りの時間。
ライトワークが終わったなら、それぞれの日常へと戻っていく。
出会い、しばしの時間を共に過ごす。
この日、この場所にあるのは、必然。
大宇宙の采配で集ったスピリット。
寒川大神と鶴嶺に鎮まる八百万は場所を貸したように思えるが、ここでも、人と八百万のwinwinの関係!
お互い様のエネルギーのシンクロニシティと循環がなされる。
天と地の間に、人がいる
すると、
天の氣が強まる
地の氣が強まる
その両方が重なり合うと、
それは生命エネルギーへと変性する。
神奈川
神奈備を思いおこさせる。
神奈備とは、神の依り代がある領域などを意味するが、神奈川とはさまざまな方面から流れるエネルギーを受けわたす役目を担っている地なのだろうか。
氣は流れる
川を伝って
そういえば、鶴嶺八幡宮を参った後、茅ヶ崎駅前へ移動し、ランチを懇親した。
その時にふと出てきた言葉は、「日の川」だった。
今回のライトワークは、スサノオ神や氷川神社に縁にある方が多かったせいもあるのだろう。
出雲の斐伊川、武蔵野の氷川。
そして、日の川。
冬至。
太陽の道にあった
わたしたちは、
天の氣と地の氣をつなぎ、
日の川を流れるがごとしだったのだろう!