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三夜沢赤城神社の後に訪れたのは、二宮赤城神社。
二宮赤城神社(前橋まるごとガイド)
ご祭神
豊城入彦命
大己貴尊
創建は不詳で、平安時代にさかのぼると見られる。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいたと伝わっており、当社の創建に関係したともいわれる]。当社が「二宮」と称したのは12世紀前後と見られる。
「赤城神社」を称する神社は群馬県を中心として数多く存在する。それらの大元とされる『延喜式神名帳』記載の名神大社の比定を巡って三夜沢赤城神社・大洞赤城神社・二宮赤城神社の間で議論がなされてきたが、決着はついていない。
当社は赤城山麓に位置し、東北方には4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係の深い上毛野氏の中心地と推測される。また、数多い赤城神社のなかでも唯一「二宮」を称するのが特徴である。そのため、一宮・二宮が制定された頃は当社が中心となっていたと見られ、遅くとも鎌倉時代には当社は里宮として赤城信仰の中心をなしていたと推測される。
(Wikipediaより)
先にご紹介の2つの赤城神社からすると、街の中にあるのが二宮赤城神社だ。
興味深いことに、赤城山頂の赤城神社、三夜沢赤城神社、二宮赤城神社は、ほぼ一直線に並んでいる。
赤城山に鎮まる赤城大明神のエネルギーを、まるでバケツリレーのように、市中へと運び入れているようだ。
龍脈、八百万のエネルギーラインの理想的流れとも思える。
さて、二宮赤城神社。参りましょう!
鳥居
鐘楼
元は、赤城山神宮寺に奉納されていたもののようだ。明治の神仏分離令で、神宮寺が取り壊され、二宮赤城神社へ。
参道
神代橋
石燈籠
なんと、石燈籠を力士が支えている!
ちょっと面白い。
手水舎
龍の口から水が出る・・というような、よくある神社の手水舎に比べると、
水道の蛇口から水をいただくという、とてもシンプルであったが、
たくさんのお花が浮いていて、とても華やかだ。
こちらのお社をお守りしている方の心づかいのようなものが感じられ、
ふと、優しい気持ちが湧き上がる。
ご由緒
今きた道を振り返って見る。
太陽の光が後からくっついて来たように背中がジリジリと暑い。
随神門
八百万の名前が記された五角形の石
天照大神・倉稲魂神・大己貴神・埴安媛神・少彦名神
拝殿
境内社 天満宮
天満宮のそばにある立派な木!
石の祠
境内の周辺が森になっているので、精霊たちの鎮めかな。
たくさん並んでいるのには、精霊たちのエネルギーが強いのだろうか。
宝塔
南北朝時代のものらしい。赤城山麓には、これと同様のものが広く分布されているため、赤城燈と呼ばれているとか。
石の祠
石の祠
ここはよほど地の氣が強いのだなと連想させる数の祠!
本殿
(後ろからの撮影で失礼しますm(_ _)m)
本殿周辺にいると、陽の氣が強くなったことに気づいた。
そこで、光の儀式をしてみると、
赤色が主たる光線が降り注ぐ。
赤色はパワーを表す。
天の氣・地の氣が力強く絡み合う。
あっつい!
暑いし、熱いし、
天と地の狭間、暑さと熱さの狭間で、干からびそうになる。
レイラインが現れ、
天と地は、
やがて結ばれた。
産霊(むすひ)。
今度の印は、十字のようにも見える。
境内社
なんの神さんかわからず。
周辺の木のエネルギーが強いので、
ここを依代にしている、地主神のような気配。
道祖神&石の祠
二宮赤城神社の文化財案内
石碑
どのような由緒の石碑か分からないが、この周辺から強い氣が発せられている。
歴史的な曰くや、地主神とそれに付き従う地霊たちのようにも思える。
塔跡の心礎
写真奥にあるのが、三重の塔の心礎らしい。
こっちとそっちには、見えない境界があるようで、近づくことは憚られた。
境内社
二宮赤城神社。
ここも相当エネルギッシュ!
境内といっても。神殿と周囲の林の領域がくっきり分かれているようで、
周囲のエネルギーが神殿へ流れ込んでいるような感覚。
とにかくアツいお社だった。
さて、今回の群馬では、赤城山を中心に、
赤城神社・三夜沢赤城神社・二宮赤城神社の三社を訪れた。
どこもここも、パワーのあるお社だった。
ということは、赤城山の龍脈、流れるエネルギーが強大なのだろう。
改めて、北関東を産みだした赤城山のパワーに畏怖の念を抱いた。
関東の安心安定・繁栄は、
大いなるものの主・山神もまた、関わりをもっている。
ということで、赤城山は、
ビッグマム認定!