cosmic connectの神旅といえば、神社とその神様がお守りする自然が主だった。
今回の神旅in青森も主なる目的は、十和田神社。
それについては、八百万goがでたならばじっくり書いてみたいと思う。
その前に・・・。
こちらも神様。
なんと! なんと! イエス・キリスト様!
なんと、青森にイエス・キリスト様の墓があるというではないですか!?
イエス・キリスト様といえば、アセンデットマスターの一人。
アセンデットマスターというのは、アセンションした霊的指導者。
肉体をもった人間の時代もあり、亡くなる=アセンションした後は、
高次から私たち人間をサポートしてくれている存在だ。ブッダや観音、
マザーテレサ、ガンジーなど・・・がいる。
人間として転生することはなく、高次のエネルギーとして私たちを見守ってくれている。
「キリストの墓」
どんな形でだったか?内容も全然覚えていないのですが、いつか、どこかで
聞いたことがあったような気がしていたのだが。
今回、青森リトリートをご案内してくださった、
八戸で「AROMARIA NATURAL THERAPY SCHOOL&自然療法 SALON de AROMARIA」を
主催されている岩本純子さんが車内で言った一言が私の琴線に触れた。
https://www.aromaria.jp
その直前までは、立ち寄りに行きましょうか?・・・なんて、
話で盛り上がっていたのが、「キリストの墓」という言葉を聞いた途端、
「そこに行きたい!」と思った。
正直、本当にキリスト?・・・と、思う部分はあった。
でも、直感で、そこに何かがある!?というような不確かではあるが、
強く惹きつけられるものがあった。
出会う人、起こることは全て必然。
何かに導かれているのか・・・。
そんな訳で、冬支度が始まった通行止めの道路を大きく迂回して、キリストの墓を目指す。
途中、ぼんやり車窓を眺め、紅葉の美しさに気持ちも穏やかになっていく。
キリストの墓到着!
「ん? ここ?」
周囲は、まばらな人家、畑、収穫が終わった田んぼ。
ここ・・・が・・・キリストの墓?
ド派手な場所を想像していた訳ではない。正直、想像通りといえば、その通り。
秋の夕暮れに似合う、閑散とした場所だった。
でも、自分の中ではなんとなくの期待感がある。
車を降り、純子さんと2人でキリストの墓がある丘を目指す。
緩やかな坂。他に誰も人はいない。
実は、神旅共通の空気感のようなものがある。
感覚的なことなので、選ぶ言葉が難しのだが・・・。
どこの神旅へ行ってもそうなのだが、神様=高次のエネルギーが発する場所に近くと、
天から私が歩く道に沿ってエネルギー・波動が変わるような気がしている。
う~ん・・・言葉が難しいな。
丘の上に神様がいて、そこから、丘の下にスタンバイしている私に向かって赤い絨毯が
投げ下ろされるような・・・たとえていえば・・・そんな感じがいつもしている。
赤い絨毯の上は、エネルギー・波動が変わっていて、そこを歩く限り、
私は安心安全を感じる。
周囲に人はいるのに、その人たちのエネルギーを感じなくなったり、
声が聞こえなくなったりする。一瞬、無音になることもある。
キリストの墓を目指しながら、それ感じていた。
空気が違う。
そして、キリストの墓の案内板へ到着。
案内盤には次のことが書かれていた。
「イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね33才のとき、
ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、
キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。
他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、
再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、
この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、
左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。
以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。」
磔にされたのは、弟さんだったらしい。
今生では、私は余りキリスト教に興味が無かったので、キリスト様に弟さんがいたってことも初めて知った!
へぇ~。
さて、キリストの墓へ参る!
さらに階段を登った丘には、2つの十字架のお墓があった。
丘を上がった瞬間にものすごいエネルギーが体を突き抜ける。
正直、観光客集めの眉唾でしょ?と、少し思いながら訪れたので、
それにはびっくり!
そのエネルギーは、とても尋常じゃない。
厳しく、激しいエネルギー。何かを訴えかけているような・・・。
しかし、左右に十字の墓は2つ。
んん? どっちだ? と、思った瞬間に、すぐに分かった。
「こっちだよ!」と、突然向かって右側の十字架の後ろにある木の葉っぱが落ちてくる。
こういうときにサイキックは便利だ。三次元ではないエネルギーを感じ、
瞬間に、そのエネルギー体が何を言いたいのかを理解する。
強いエネルギーにびっくりしながらも、しばし、あたりをウロウロ。
そして気になって、墓の後ろ、木のそばにいく。
さっき以上のエネルギーを感じる。
頭から、手の先に電流が流れる。左半身に主に流れているのが分かる。
手先がピリピリと痛いくらいだ。
実は、キーボードの打ちすぎと乾燥でこの2、3日、私は手先の肌荒れを起こしていた。
この地のエネルギーの強さに、弱い電流が体を流れ、
手先から抜けていき、さらに指先が熱くなり、火傷をしたように感じた。
それくらい、強いエネルギーを感じる場所だった。
本当にキリスト様の墓かどうかは分からない。
ただ、ここが凄まじいエネルギーを発していることだけは確かだ。
全身でそれを感じる。
訪れた人がみんなみんなそれを感じるかどうかも分からない。
スピリチュアルな世界を生きているからこそ感じたのかもしれない。
ふと思い出した。
神旅をしていると、それぞれの神様が鎮座する場所のエネルギーは様々だ。
強いエネルギーをもつ神様がお出でになる場所は、閑散として手入れもゆき届かず、
人も余り訪れていないようだ。
それは、高次のエネルギーを保つために、そこをお守りになる神様が
意図してそのような状態に仕向けているようにも思う。
今回のキリストの墓を訪れても同じような印象を受けた。
訪れる必要のある人間だけが行く場所。
日本、陸奥、未知の国にあるキリストの墓。
それはある意味、異界なのだろう。