この世は大きな大きなジャンクションのようだ。
様々な次元、異界へとつながっている。
ただ、高速道路とは違い、
人は目に見えないものは排除しがちだ。
目に見えないものへの憧れはあっても、恐れる気持ちも同じように大きい。
「恐れ」とは、人類共通の無意識ではないだろうか。
私もよくヒーラーから「恐れを手放せ」と言われていた。
これまでの人生を思い返してみて、
自分の意識できるところに大きな恐怖は見当たらない。
だが、恐れは今の生だけで経験したことだけではない。
多くの人間が何度も生まれ変わりを繰り返している。
様々な時代、様々な経験で恐怖を感じたとしよう。
それが積もり積もって「いま」に影響を及ぼしている。
人が意識できるところは5%、そして意識できないところは95%とよくいわれている。
たまに「私は悩みがないので・・・」という人と出会う。
それは嘘ではないかもしれない。ただ知らないだけなのだ。
人が意識できない領域に焦点を当ててみたらどうだろうか?
これまでのトラウマ、前世の記憶などがそこには記録されている。
余りにも闇が深くて、意識できない領域に追いやってしまったとも考えられる。
思い出せない、思い出したくない。だったらいっそ、闇の向こうに葬ってしまえ!
・・・そんな感じだろうか。
だが、今の生き方すべて、その意識できていない部分にコントロールされている。
心身の不調や生きづらさの根っこが思い出したくない闇の向こうに葬ってしまったところに
あるとするなら。
その恐れを手放すことで「いま」が生きやすくなる。
ところで、私が恐れているのは何か?
このところの様々な事象や感情の動きを瞑想を通してじーっと観察してみた。
「異端」
そんな言葉がふと浮かんだ。
異端か。
それと同時に様々な情景が浮かび上がる。
これまでの人生でも、それで苦労したこともあったな〜・・・と、
しばし、遠い目。
長いものに巻かれるのが苦手。
これが「ホントウ」と思えば、そこで踏ん張る。
組織にいたときはそれで大変な思いをしたこともあった。
厄介な性格だと自分でも思ったことが度々あった。
性格というよりは、自分の体質か。
私は、そもそも意識できている部分と意識できていない部分の蓋が薄い。
同じように、異界へ通じる道への扉も薄い曇りガラスだ。
なので、何かの拍子にうっかり異界へ意識が飛んでしまったり、
コンタクトをとってしまうことがあった。
今とは違い、以前はそのコントロールが難しかった。
この特性が、異端なのだろうか。
大多数には属さず、既成の枠にとらわれること嫌い、人には見えていないものや
聞こえていないものを感じ、それを大事にし、また無意識に表現してしまう。
「どうしてあの人は、こんなことが分からないんだろ?」
どれだけ説明しても分かってくれない。
それで苦しんだこともあった。
今、こうやってブログを書いていると、サードアイが疼く。
そこに集中してみる。
革命のあの日、声高らかに「ホントウ」を叫び消えていった命。
魔女といわれ磔や地下牢で死んでいったあの日。
人々に棒で突かれ、石を投げつけられ、街を追われることもあった。
信用していた人々に裏切られ、孤独に苦しんだこともあった。
それは全て今とは違う時代を生きた私の魂。過去生が蘇る。
人は怖い。
人を信用できない。
人は裏切る。
「自分が悪かったのだろうか?」「だから私は死ななければならなかったのだろうか?」
私を恐れる人々の感情が反転して私に返ってくる。
自分が悪かったのだろうか? 人々の悪意が私に乗り移り、自分自身を信用できなくなる。
意識があらゆる時代を彷徨う。時空の旅だ。
前世の痛みが実は今の生にも影響を及ぼす。
それが災いして、物事に取り組むときに最初に失敗のイメージを持ってしまう。
それは、遠い遠い遠い遥か遠い記憶の残像。
それが理解できた頃からだろうか、
何か問題が起きたとき、物事がスムーズにいかないとき、私は人が言った言葉や
起きている事象そのまま受け取ることはしなくなった。
自分の感覚を通して事象の裏側にある「ホントウ」をスキャンすることを始めた。
そして「私は、この経験を通して何を学ぶのだろう? 何を気づくのだろう」と内省する。
そうすると、以前の記憶(前世も含めて)やそこで学ぶことが見えてくる。
だが「ホントウ」とは結構痛い。心にぐさっとくる。
それを知りたくないから人はあらゆることに没頭したり、依存したり、
快楽に逃げ込んだりする。
この世のあらゆる娯楽は「ホントウ」を見せなくするためのものではないだろうかとさえ
思うことがある。
ホラホラ、こんなことを言っているから「異端」扱いされるんだな〜と、
もう一人の私の声 。笑
これまた困ったことに、私の感覚は全て正直で「ホントウ」じゃないことを言っている人や
場面に遭遇すると、意識に上がる前に体が反応する。
例えば、本当は地位や名声、お金にとことん執着しているのに、
それを「美しい」言葉で隠してしまうとか。
誤解のないようにだが、「ホントウ」じゃないことを言っている人は、
決して嘘を言っている人ばかりではない。
意識できていない部分が「ホントウ」じゃないのだ。
私の「ホントウ」と他者の「ホントウ」がズレている。
私はあらゆる異界との扉が薄い、そのため他者の意識できていない部分とも
コンタクトをとってしまうことがある。
既成の枠の中で安心する魂と枠の外で生きる魂。
国家、文化、宗教、社会、法律、組織、規制、ルール、マニュアル・・・
この世には様々な枠がある。
枠の中で守られる安心と不自由さ。
三次元という世界で生きるにはどっちが幸せなのか分からない。
社会的な生き方に憧れることもあったが、それは私の魂に約束されたことではないな〜と
すぐ理解する。
それぞれの魂の年齢と約束。比較ではない。
「恐れを手放せ」
それは過去の記憶、前世の記憶、その死の恐怖は遥か遠い昔の魂の記憶。
その恐怖を取り去ったとき、私の魂が誕生した「ホントウ」が見える。
自分への信頼
他者への信頼
人類一人一人が恐れを手放したとき、
囚われることのない、宇宙からの大いなる「愛」「光」が降り注ぐ。
そして、それを知っている。