関係性を無くして、ホントウの愛とは何だろう?
出てきた答えは、
自分のホントウ、魂を愛することだと思った。
人と人を例に挙げて説明しよう。
関係性とは、親子、友達、夫婦、恋人、会社の同僚など、何かしらの関わりをもっていることだ。
多くの関係性においては「◯◯だから・・・」と、条件付けの「愛」を往々に目にする。
子どもに抱いていた愛は、いつしか、学校の勉強ができる子、いい大学、いい会社に入ってくれる、
親に優しい良い子を求めるようになり、恋人間、夫婦間においては、どっちの愛情が大きいとか、
どれだけ理想的なパートナーなのかが気になりだす。
その他の関係性においても、目の前の人間がどれだけ自分にとって都合が良いのかを見極めたりする。
人間関係、コミュニケーション、つながり、愛・・・という言葉が多用、氾濫しているが、
その言葉の「ホントウ」を理解できているだろうか、自問自答してみて欲しい。
良い人間関係とは、自分が「心地よくなる」関係をいっていないか?
良いコミュニケーションとは、自分にとって「特になる」コミュニケーションをいっていないか?
つながりとは、どこでどうつながることなのだろうか?
愛とは?
どちちがかが余分に与える関係性になっていないか?
何年か前に、外国人講師の講座に参加したことがある。
そこで、他の受講生と組んでのエクササイズがあった。
相手のエネルギーを読み、その内容をアドバイスするといったものだった。
その時、カウンセラーとしても活動していた私だったが、そのやり方は、
基本、相手の気持ちの流れに寄り添う。また、それを心情としていた。
無理に相手の課題というか、痛いところを突くことはしない。
しかし、その外国人講師の指導は、そうではなかった。
私が組んだ相手のエネルギーから読み取ったことを伝えることを求められた。
それは、私にとって勇気のいることだった。
なぜなら、私が組んだ目の前の相手から読み取ったことは、その人にとって、
もしかしたら触れられて欲しくないことのように思えたからだ。
だから、それを伝えることを躊躇し、曖昧にやり過ごそうとした。
だが、サイキック能力のある講師は、それを見逃すはずはない。
「どうして言わないの? それをいうことで、この人の癒しが進むのよ(英語)」
そう言われた。
そうは言ってもな・・・。人の傷・・を指摘するのは、心がざわつく。
マンツーマンの場所ならいざ知らず、相手もきっと嫌だろうし、傷つくだろう・・・と、思った。
だが、後から「本当に相手が傷つくと思って言えなかったのだろうか?」
「本当に私はあの時、相手のためを思って、それを言えなかったのだろうか?」と、
自分に問うてみた。
・
・
・
違うな。
私に相手と同じこころの傷があったのだ。だから、それを相手に伝えることができなかった。
相手の傷を突くということは、それは反転して、自分の傷を突くことになるので、
私は傷を突くことができなかったのだ。自分が痛い思いをしたくなくて。
そう理解した。
カウンセラー、セラピスト、ヒーラー。呼び方はなんでもいい。
他者に関わる仕事をする人は、できるだけ自分の傷を修復というか、無くしておいた方がいい。
なぜなら、同じ傷を持つ人と向かいあった時、自分の傷が疼いて、
相手の傷と自分の傷を混同してしまうからだ。
もちろん、私もそれまでの数年間をかけ、自分自身の傷とこれでもかと思うくらいに向かい合ってきた。
・・・が、心の傷とは、今世だけではなく、前世のものも影響を及ぼす。
そのため、真理に、ホントウに近づこうとするのならば、
果てしない時間の流れでできた心の傷を癒していかなければならない。
そうはいっても、人に向かい合う仕事、寄り添う仕事をするのに、
「完璧にできている」「100%できている」・・・というのはないだろう。
ずっと、ずっと、恐らくずっと自分と向き合うことをやり続ける必要がある。
自分と他人とは鏡同士。
なれば、他人と向き合うこととは、すなわち自分と向き合うことなのだ。
なぜなら、前世からの因縁があり、現世においても自分を癒す必要があるから
援助職を選んでいるのかもしれない。
上述したカウンセラーなどの仕事に就く人は、前世においても、
やはりなんらかの援助職をしているケースが多いといわれている。
例えば私のように、魔女扱いされて、生きたまま焼かれたとか、磔にされたとか、
そんな経験がある人が多いかもしれない。
その場合、時空を超えての癒しが必要なのだろう。
そのために今世においても自分の傷ついた魂を癒すために、人を援助する仕事を選ぶのではないだろうか。
ただ、気をつけたいことがある。
ホントウの優しさや愛情、友情を取り違えて、
たまに、自分のことを顧みることなく、家族や友人、恋人、その他の人々に尽くすだけの人がいる。
それは「ホントウ」の「優しさ」や「愛」「想い」なのだろうか?
マザーテレサのような高次元の魂をもった人でもない限り、多くの人間は、エゴや欲がある。
もしかすると、自分の傷が疼いてしまうゆえに、目の前の人をなんとかしようとしているのではないだろうか?
自分はさておき・・・の、愛は、「ホントウ」の愛ではない。
自分が傷ついているから、同じような傷を持つ人をみると放っておけなくなるのだ。
自分の傷に目を向けることとは、すなわち自分自身に向き合うことになる。
それが、辛く、苦しく、痛すぎるので、自分と同じような傷をもつ人を見つけては、世話をしたくなる。
そういう人に限って、自分はこれだけやったんだから、同じように返してくれないとイヤ!と、なりがちだ。
それでは、何も変わらない。
傷ついた人の傷はそのままだし。自分自身の傷も放置したままだ。
自分の胸から血を流しながら、目の前の人を手術する医者のようなものだろう。
果たして、そのような医者が正しい判断と技術をもって手術ができるのだろうか?
まずは、自分の傷を癒すことをして欲しい。
自分と他者は鏡同士。
自分が◯をもっているならば、鏡に映った他者にも◯が見えるだろう。
自分に愛があれば、鏡に映った他者にも愛があることが見える。
自分に恐れがあれば、鏡に映った他者にも恐れが見える。
そうすれば、すぐではないかもしれないが、「ホントウ」の「愛」についてを理解できるようにもなる。
目の前の人を可哀想とか、気の毒とか、そんな風に思わなくなる。
自分自身が癒され、魂が輝き出すと、そういう気持ちをおこさせる傷が自分の中に無くなる。
人を可哀想だと思ってしまうのは、随分と相手を下にみているような印象を受けないだろうか?
もしかすると、そう思うことで何かしらの優越感がもてるのかもしれない。
自分の傷を見ずに済むのかもしれない。
それは人に順位付けをしていないだろうか?
人は、自分の人生を経験するためにこの世に誕生する。
いいことも、悪いことも、苦しいこともだ。それらを全て経験するために
生きているといっても過言ではない。
人は、魂の約束を果たすために、今生に誕生した。
目の前に、何かで苦しんでいる人がいるとしよう。
相手を助けることはいいだろう。
だが、その苦しさを肩代わりしたり、相手をマインドコントロールする必要はない。
むしろしてはいけない。どんなに自分のこころの傷が疼いたとしてもだ。
なぜなら、それは、その人がこの世で経験をすることの一つを邪魔してしまうことだからだ。
もし、自分の心の傷が疼くのであれば、それは自分の課題として向き合う必要がある。
この世のこと。はたから見ればなんと冷たいと思うことだろう。
だが、それが「ホントウ」の愛だと思う。
相手を上にも下にもせず、なんの評価もしない。
ただただ信じて、見守る。すなわちそれは、自分を信じることなのだ。
相手のありのまま、ホントウを見て、ただ信じる。
それが、ホントウの愛ではないだろうか。
ところで、先日、宝塚歌劇 花組公演「邪馬台国の風」を観劇した。
女王 卑弥呼と彼女を愛するタケヒコの話だった。
卑弥呼は神の声を聞き、それを民に伝えるわけだが、その内容について深く考えさせられた。
生まれながらに、異界との境界が甘い私は、ある瞬間にあれこれ感じたり、見えたり、
メッセージとして聞こえることもある。
だが、安易にそれを使い、必要もない人に伝えることをしてはいけないと改めて思った。
他人の人生を無意識にコントロールしかねないからだ。
人は自分の人生を、いいも悪いも経験するために生まれてくる。
なんだか分からないメッセージを盾にして、私がそれをコントロールしてはいけない。
もちろん、相手のスピリットが火急の用件として、私のスピリットに働きかけるのであれば別だ。
その場合、私の思考は働かないので、何かに取り憑かれたように次々と言葉がでてくる。
そんな自分の違いに気づいておきたい。と、思った。
ただ、誤解のないようにだが、この世には、人を幸せにするために、鑑定、占い、
チャネリング、ヒーリングなど様々な職業がある。
それを非難するつもりは毛頭ないので、先にお断りしておく。
そういった職業の方は、それが使命なのだろう。
縁や波動に導かれて、その場を訪れている。
それは、前世からの様々なことが絡み合って出会っている。
ただ、お互い一つ知っておいて欲しいとは思う。
人と人は鏡同士。
傷が傷を呼ぶ。
自分の傷が深く、大きいと、妖(あやかし)と縁づくことがある、
たまに妖(あやかし)に憑かれてしまった援助者と縁がついてしまって、
大変な目にあったと聞くことがある。
援助者の方でも理解しておきたいのは、異界の力をつかうとき、妖の力にコントロールされないよう、
グラウディングをしっかりとし、自分を守る術を身につけておきたい。
そして定期的に自分を癒し、クリアリングをする必要がある。
魂の導きがあって異界へ導かれるときは、それらのトレーニングを受けておくことを勧める。
高次元への憧れは、他の次元へもつながりやすくなること理解して欲しい。
さて、あっちこっちの異界とつながる日々だが、cosmic connect、
ライトワーカーとしての私の役割はなんだろうか?
媒介として、八百万の神々の声を伝えること。
聞こえてきたメッセージを伝えること。
そして、光の人々と縁を結び、ホントウの光と愛を大きくすることだ。
前世からの恐れにおののく光の人を探し、「もう大丈夫だよ」と伝えることだ。
私が媒介ならば、さらにそのメッセージを伝えるために媒体となるのが、
ホントウの光と愛をもたらす「Cosmic Academy Japan」なのだ。