あなたはどう生きたいですか? cosmic connectのブログ vol.18

2017.10.17  Chikako Natsui
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さて、今日は自分のことを書く。

スターシードが経験しがちな内容だ。

私は少し前まで、

「幸せな自分」

と、思われたくなかった。

おかしな話だ。

多くの人が他人と比較して自分の方が幸せって思われるためにしなくていいことを色々やってる。
見栄をはったり、場合によっては嘘をつくこともある。

おかしなことに、私はまったくその逆だ。・・・というか、
ごく最近まで余りそれは気づいていなかったかもしれない。

「あれ?私って・・・」

と、思うことがあった。

それは、ある集客コンサルタントの方と他愛もない話をしていたときだった。
思い出したことがあった。

あれは、ずいぶん昔のことだ。

会社にあった社員食堂に同僚とランチに行った。
内容はまったく覚えていないが、ご飯に味噌汁、メインに小鉢2つをトレイに置いた。
それを見ていた同僚が、「小鉢に2個とった。ちかちゃん、贅沢〜」
私は、顔は笑っていたが、こころの中ではギョッとした。

えっ!? 小鉢1つ多いだけで、その反応は何? 怖い!と、思った。


「ちかちゃん、贅沢〜」という言葉に載せて、なんとも、赤黒いエネルギーが私を包む。
そのエネルギーを言葉で表現するなら、妬み、やっかみ、羨ましい・・・だろうか。

その出来事は、もう何年も前の経験だが、相手から受け取った感情が、私の中にしこりとして残り、
それがトラウマとなっていた。

同僚が言った言葉というよりは、「人から羨ましがられるってことは、怖い経験をして、
自分の中にイヤな感情を残すことなる」という経験が、それ以降の人生に少なからず影響を及ぼす。

その同僚は、ご実家が貧しく、大人になるまでお金にとても苦労したことを聞いていた。
私自身は、お金の面でそういった苦労はしたことがないので、
彼女の大変さを想像することはできても、本当のところは分からない。
人間的にも成長しておらず、ただ、嫌な感情だけが私に残っただけだった。
さらに、こころの中では、「貧しく成長した人は、こころも貧しくていやね〜。
でも、可哀想だから、そんなことを言ってはいけない。私ったらなんていい人なんでしょう〜」と、思っていた。

今思えば、全く傲慢だし、いい人を演じようとして演じきれなかった。

「小鉢一つでガタガタ言わないですよ!全く貧乏くさいわね〜」と言えればよかったかも。

・・・言えないけど。

小さい頃から、人に羨ましがれるという経験は多かった。

一人っ子で、周囲は大人ばかり。
と、なると、成長段階では外敵がほぼ無い。
母親の感情の起伏に注意をはらっていれば、案外、のほほんとしていられた。
しかも、天然スピリチュアル体質。あっちこっちに意識を飛ばしながら、
小さい頃は、一人ぼんやり過ごすことも多かったし、楽だった。

家族も慣れたもので、「うちの子ちょっと変わっている」くらいにしか
思っていなかったかもしれないな。

だが、これが小学校となると話は違ってくる。

社会へ出るための準備する場所。同じ年齢の子と何時間も一緒に過ごす訳だから、
比較も出てくる。

小さい頃のこと、今よりもっと不器用に生きていただろう。
場所によって自分のペースを変えることが苦手だろうから、やはり、
周囲から浮いていたのかもしれない。

それで先生から疎まれるとか、敬遠されることはなかった。
なぜなら、外敵がいない状態で私は成長しているので、
自分で言うのもなんだけど。案外、素直。
だから、大人からは可愛がられることが多かった。
その時の担任の先生からも、かなり特別扱いされた記憶もある。

先生が私の自宅に来て、父親と一緒に語り合うこともあったし、
私を一緒に山に連れて行ってくれたり、自宅に招いて、
高校生の自分の息子を家庭教師にしてくれたりと、小学校を卒業しても何かと面倒を見てもらった。

それは、今、思い出してみても、スピリットガイドが私を守るためにいてくれた人かもしれない。
私のFacebook投稿を読んでいる方ならお馴染みだが、私が神旅をしていると、
助けてくれたり、助言をくれる「おじさん」が登場する。

その担任の先生もスピリットガイドが遣わしてくれた「おじさん」だったのかも。笑

私はラッキーだったが、まだまだ幼い小学校の同級生からすれば、
「なぜ?あの子ばかり?」と、思うのは当然だ。

記憶にあるのは、高校に入ってからのこと。

久しぶりに小学校のクラス会をした。
先生はもちろん、当時のクラスメートのほとんどが出席していた。
そこで、一人の女子生徒が先生に食ってかかったシーンがあった。

「どうして、あのとき、まっちか(私の小学校からのニックネーム)ばかりえこひいきしたんですか? 
私のこともそれくらい構ってくれたら、希望の高校に入れたのに」

うわっ!怖い!

と、思った。

私は私でいただけだった。でも、それが他者の感情や進路までも影響及ぼすとは、夢にも思わない。

今でこそ、それは、怒った女子生徒の問題であることは分かる。

しかも、先生は小学校の担任であって、その後、中学生を経て高校進学する。

なぜ?小学校の担任に当たる?私、関係ある?って思った。

他人の妬みという感情。自分には馴染みの無い感情で嫌な思いをした。
そっちの方が強烈で、その後の私の他人との距離のとり方にも影響した。
「嫉妬心の強い人の前では、素の状態や自分自身をされけだすことはやめよう」と、
「のほほんはやめよう」と、無意識に自分自身にインプットした。
さらに、競争心のある人も苦手だった。
運動会でスタートのピストルが鳴ると、恐怖で一歩後ろに行くといって母親によく怒られていた。
「意地を噛みなさい!」とよく言われていたな。意地を噛むとは、どんなことなのか?
いまだに分からない。一生懸命とは違うのかな?なんて、回想をしてみる。

そんな経験から、他人の中にいるときは、のほほんとしていてはいけない。
人から妬まれるような状態になってはいけない。

人からロックオンされないように、「普通っぽく」みえるようにしておこう。

普通っぽく?

みんな悩みがあるみたいだから、自分も少し暗く、影のある状態で、
悩みがあるような感じにしておこう。そうすれば、妬まれない。
意識的にそう思ってやっていた訳ではないように思うが、ただ、出る杭打たれるの言葉があるから、
できるだけ、目立たないようにしておいた方がいいかも!

そのような経験が重なる度に、人の妬みをかわないように、自分を小さくして、
他人から見えないようにしていた・・・つもりだった。
本来の自分はもっと伸びやかだったはずなのに、小さく小さくしておこうと思った。

それも以前の話。

魂を生き始めた私に、それはもう必要ない。
普通っぽく見えるようにとか、演じるとか、
出る杭打たれるの怖いとか、
大きいの小さいのも必要ないし、人がどう思うおうと、それもお構いなくって感じ。

今は、そう思える。

「素直」や「正直」は、
ところ変われば、
「わがまま」「気まま」といわれることもある。

他人がどう思うかより、自分がどうしたいかを大切にしたい。

しかも、光の魂をもつ人間の波動は独特だ。
隠れていても、見つかるし。
本人が目立っているつもりはなくても、そうは見えない。

だから、無駄な努力は止めることにした。

私は魂の光の強さに見合った自分自身を表現していこう。

他者の目を意識して、自分自身を偽る必要はない。

私の魂はそれを知っている。そして、それを望んでいる。