変容が進む。
新しい次元の地球へと生まれ変わるために。
それが、この世界にも様々な現象となって現れ、異なった結果をもたらす。
あるひとにとっては嬉しいことかもしれない。
あるひとにとっては悲しいことかもしれない。
ここ数ヶ月。
あなたにとってはどのような時間になっていただろうか?
それを言葉で表すなら?
わたしは、相変わらずの「手放し」。
自分が自分に設定した機能変更ともいえるだろうか。
ひとであることの手放し。
それは、これまで染み込んでいたパターンの手放しでもある。
前にどこかの記事で書いたが、背中の奥深くにある痛み、コリ、重さは、わたし自身をこの世界で頑張らせるための重しのようだった。
肉体は魂の容れ物。
痛み、重みにフォーカスしてみると、肉体・こころ・魂と順にメッセージが深まっていく。
さて、ここ数ヶ月でわたしが取り組んだ課題は、「時間」だった。
あたりまえの話だが、この世界は時間によって管理され、機能している。
いくつになったら小学校入学で、大学生になるのは、何年入社? 何歳? いくつぐらいで結婚したいわ〜。高齢者だから・・・、この歳になると・・・
霊的世界からするなら、この世界は、「時間」という区切りのなかで、ひとそれぞれがパターンを作り出し、それがイリュージョンとなっているものも多い。
例えば、なんとか適齢期はないだろうし、なにかを始めるのには遅いも早いもないだろう。
肉体的経年変化・限界は別として。
しかし、ひとは「時間」という「区切り」というイリュージョンのなかで、そこからはみ出さない安心感と閉塞感を同時に味わっている。
時間のなかで生きれていれば、いつしか、自分なりの時間のパターンができあがる。
肉体がそれに反応する。
朝、何時に起きる。
朝食は、何時で、お昼は、午後は、夜は何時に寝て。
規則正しい生活! 別に悪いことではない。むしろ大事なことだろう。
だが、実はそれが、○○しなければならない!という、こだわりや固執からくるものなら、自分を不自由にしているもののように思う。
偏執的な、儀式的執着などは、よくよく自分の内を覗いてみるなら、恐れや依存的な感情が渦巻いているかもしれない。
右足から靴を履かなかったから! 毎朝あの電車の何両目に乗らなかったから!
そういえば、朝テレビで見た占いの結果が良くなかった!
だから、仕事でミスの連続! こんなよくないことが起こったのか〜と、なる。
過去生からの積み重ねが、いまのパターンを作っている!
因があって果がある。
ひとの行動はパターンによって表現される。
生きづらいパターンとなっているのか? 楽なパターンになっているのか?
ひとそれぞれだろう。
さらなる変容・霊的進化の扉を前にしたわたしの次の課題は、「時間」のパターンを変えること。すなわち生き方を変えることもである。
次の日、とくに予定が入っていなくとも、アラームをセットしたiPhoneを枕元に置いて寝るのがくせだった。アラームが鳴っても、あまりに眠いときは解除して、また眠る。
目覚ましは意味があるのか?と、思いつつ、それがパターン化していた。
なんとなくやっていた行動。
無意識に社会からはみ出すこと、ひととしてはみ出すことを恐れていたのかもしれない。
しかし、魂は次の段階を示している。
ひとつひとつ、ひとであることを手放し、霊的世界での活動を促される。
執着や固執、パターンを解放していくことで、エネルギーが変化していき、大宇宙の聖なるエネルギーを受容しやすくなる。それをこの世界に放出することができる。
わたしは、目覚ましのアラームをセットすることをやめ、iPhoneを手放し、身体が起きようとする意思に任せた。
そうすると、大概、ストレスなく6時台に起きれる。寝ている間、アストラル界での活動が激しく、疲れていない限り7時を超すことはないことに気づいた。
無理やり時間に縛られなくなった身体は、さらに楽になった。動きやすくなった。
わたしは、ひとつ「時間」のパターンを手放し、自由になった。
大概のひとが、自分で作ったパターンに自分を入れ込み、生きづらくしている。
楽に生きたい、自由に生きたいと願いつつ、パターンという幻想を作り出している。
魂の解放を阻む、あなた自身のパターンはなんだろうか?