魂の解放! 時間という幻想からぬけ出る

2020.5.27  Chikako Natsui
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変容が進む。

新しい次元の地球へと生まれ変わるために。

 

それが、この世界にも様々な現象となって現れ、異なった結果をもたらす。

 

あるひとにとっては嬉しいことかもしれない。

あるひとにとっては悲しいことかもしれない。

 

ここ数ヶ月。

あなたにとってはどのような時間になっていただろうか?

それを言葉で表すなら?

 

わたしは、相変わらずの「手放し」。

自分が自分に設定した機能変更ともいえるだろうか。

ひとであることの手放し。

それは、これまで染み込んでいたパターンの手放しでもある。

 

前にどこかの記事で書いたが、背中の奥深くにある痛み、コリ、重さは、わたし自身をこの世界で頑張らせるための重しのようだった。

肉体は魂の容れ物。

痛み、重みにフォーカスしてみると、肉体・こころ・魂と順にメッセージが深まっていく。

 

さて、ここ数ヶ月でわたしが取り組んだ課題は、「時間」だった。

あたりまえの話だが、この世界は時間によって管理され、機能している。

いくつになったら小学校入学で、大学生になるのは、何年入社? 何歳? いくつぐらいで結婚したいわ〜。高齢者だから・・・、この歳になると・・・

霊的世界からするなら、この世界は、「時間」という区切りのなかで、ひとそれぞれがパターンを作り出し、それがイリュージョンとなっているものも多い。

例えば、なんとか適齢期はないだろうし、なにかを始めるのには遅いも早いもないだろう。
肉体的経年変化・限界は別として。

しかし、ひとは「時間」という「区切り」というイリュージョンのなかで、そこからはみ出さない安心感と閉塞感を同時に味わっている。

 

時間のなかで生きれていれば、いつしか、自分なりの時間のパターンができあがる。

肉体がそれに反応する。

朝、何時に起きる。

朝食は、何時で、お昼は、午後は、夜は何時に寝て。

規則正しい生活! 別に悪いことではない。むしろ大事なことだろう。

だが、実はそれが、○○しなければならない!という、こだわりや固執からくるものなら、自分を不自由にしているもののように思う。

偏執的な、儀式的執着などは、よくよく自分の内を覗いてみるなら、恐れや依存的な感情が渦巻いているかもしれない。

右足から靴を履かなかったから! 毎朝あの電車の何両目に乗らなかったから!
そういえば、朝テレビで見た占いの結果が良くなかった!
だから、仕事でミスの連続! こんなよくないことが起こったのか〜と、なる。

 

過去生からの積み重ねが、いまのパターンを作っている!
因があって果がある。

ひとの行動はパターンによって表現される。

生きづらいパターンとなっているのか? 楽なパターンになっているのか?
ひとそれぞれだろう。

 

さらなる変容・霊的進化の扉を前にしたわたしの次の課題は、「時間」のパターンを変えること。すなわち生き方を変えることもである。

次の日、とくに予定が入っていなくとも、アラームをセットしたiPhoneを枕元に置いて寝るのがくせだった。アラームが鳴っても、あまりに眠いときは解除して、また眠る。

目覚ましは意味があるのか?と、思いつつ、それがパターン化していた。

なんとなくやっていた行動。

無意識に社会からはみ出すこと、ひととしてはみ出すことを恐れていたのかもしれない。

 

しかし、魂は次の段階を示している。

ひとつひとつ、ひとであることを手放し、霊的世界での活動を促される。

執着や固執、パターンを解放していくことで、エネルギーが変化していき、大宇宙の聖なるエネルギーを受容しやすくなる。それをこの世界に放出することができる。

 

わたしは、目覚ましのアラームをセットすることをやめ、iPhoneを手放し、身体が起きようとする意思に任せた。

そうすると、大概、ストレスなく6時台に起きれる。寝ている間、アストラル界での活動が激しく、疲れていない限り7時を超すことはないことに気づいた。

無理やり時間に縛られなくなった身体は、さらに楽になった。動きやすくなった。

 

わたしは、ひとつ「時間」のパターンを手放し、自由になった。

 

 

 

大概のひとが、自分で作ったパターンに自分を入れ込み、生きづらくしている。

楽に生きたい、自由に生きたいと願いつつ、パターンという幻想を作り出している。

 

魂の解放を阻む、あなた自身のパターンはなんだろうか?