書いては止め、そしてまた書いては・・その繰り返し。
ここへはどうして行かせられたのだろう?
丹後一宮 元伊勢 籠神社。
前々から気になっていた。
元伊勢ともいわれ、スピリチュアルの世界が好きな方には有名な神社。
ユダヤと六芒星などが気になって調べているうちに行き着いた。
様々な秘密が隠されている神社。
秘密なのか、ただ時を経て、真実が曲解されていったのかもしれないし、そこは今のところ分からない。
しかし、古代からこの地は何らかの役割が課せられていたようにも思う。
なぜならここは、封印されたDNAAに秘せられた暗号の封印を解除するための神社の一つでもあるという。
色々と難しく書いている記事もあったりするが、私の経験で言うなら、
「魂に目覚め、大いなる宇宙意識とつながる」「ワンネスへの準備段階へ入る」
といったところだろうか。
高い周波数のエネルギーを放つ場所(神社・神エネルギー)とその者がもつ魂のエネルギーのシンクロによって高次元へのアセンションが始まる。
そして、人間意識をはるかに超えた宇宙意識へとつながる。
大いなる宇宙への統合の準備段階に入るともいえるだろうか。
宇宙意識、キリスト意識を人間的解釈、この世界でいうなら、スーパーコンピューターの無限版、宇宙版?だろうか。
DNAの解除が徐々に進むと、スーパーコンピューター宇宙版のアクセス権の付与数が多くなったのか、それともセキュリティが弱められたのか、降りてくる情報量も多くなっていった。
スピリチュアルの世界で生きる以前から、神社仏閣巡りが好きで参拝していた。
DNA封印解除されるとする神社にも導かれるように訪れていた。
ひとつ、ひとつと回っていくごとに、ガイドから聴こえてくるメッセージもどんどん変わり、神界やマスターらのエネルギーを感じるようになっていた。
その中のひとつとされているのが、元伊勢 籠神社。
元伊勢とは?
伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所。伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられる。すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したとされる。(ウィキペディアより)
行こうと決めていたのの、前日まで行こうかどうしようか迷っていた。
理由は、遠いから面倒〜という、なんともバチ当たりな理由。
でも、内なる声やら、誰も、彼も、見えざる存在が「行け!」という。
行くのは分かっているし、でも、私の人間的な部分、思考と感情が止める。
「遠い、面倒、疲れる。行って何もなかったら、つまらないじゃない」
そこに何もない訳はない。1年以上神旅を続け、どんどん自分が変化していることが、誰より何より自分が一番知っている。
神社というのは、両の目でみるなら拝殿があって、本殿があって、中には、山や岩、木などをご神体として、神殿がないところもある。
しかし、それぞれの「場所」といおうか「土地」というか、そこに鎮座する「神」とされる「エネルギー」によって、役割が違う。
それぞれの神エネルギーが魂にシンクロしたとき、自分の意識が大きく変化することがある。
それでも、肉をまとい、思考と感情のある人間というのはなかなか厄介なもので、上っ面な部分をいじくり回しては、魂が喜ぶことから自分を遠ざける。
その間、電車やバスの時間を調べては、いろんなシミレーションをしては、こころが行きつ戻りつしていた。
しかし、ガイドは強い! 私を知っている!
「行けって!」
と、ばかりの強気のメッセージを送ってくる。
浮かんだ言葉は「高野山」、「密教」、「空海」。
この日に訪れたばかりで、まだそのエネルギーが私をたっぷり包んでいた。
籠神社と空海? 何かつながりがあるのか?
気になって、ネット検索をしてみる。
あれま! びっくり!
「空海と真名井御前」というタイトルがトップに表示されていた。
空海(弘法大師)は籠神社世襲宮司家の三十一代当主海部直雄豊の娘である厳子姫との間に神秘的な物語が伝えられています。厳子姫は十歳の時に京都頂法寺の六角堂に入り、如意輪の教えに帰依し修行を積み、二十歳の時、まだ皇太子であられた大伴皇子(後の淳和天皇)に天性の美しさを見初められ、二年後即位された後第四妃として迎えられ、名前を故郷に因んで真井御前(まないごぜん)の名のりを戴き、淳和天皇の寵愛を一身に集めました。そのため女官たちの嫉妬に遭い、宮中を出て西宮の如意輪摩尼峰に神呪寺(甲山大師)を建立しました。この年、真井御前は空海を甲山に迎え如意輪の秘法を修し、二年後の二十八歳の時に如意輪像を造ろうとされた空海が大きな桜の樹を選び、その生き姿を彫刻されました。真井御前は三十三歳の時に師空海の坐す高野山に向かって如意輪観音の真言を誦しながら遷化しました。その翌日空海は真井御前の後を追うように六十二歳で入定されたのです。(籠神社HPより)
ネットの内容によっては、空海と真名井御前の素敵な恋物語という表現をされているのもあった。
想像するに、年齢差もあった二人、人間的な部分の結びつきよりは、魂と魂の高次元的な結びつきだったように思う。
「真名井」は、厳子姫の呼び名でもあるが、籠神社の奥宮が「真名井神社」という。
同古代には「匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)」と呼ばれていたと同神社の公式HPにも記載されている。
籠神社の奥宮が、真名井神社。
そして、その地に縁のある真名井御前と空海・・・。
思考も感情も動く間も無く、丹後へ行くことを決めた。