点と点が、つながり、線になる。
線と線が、つながり、輪郭を現す。
徐々に・・・
単語と単語が、つながり、文章となる
イメージとイメージが、つながり、映像となる
徐々に
霊界から現界へ
高次元からこの次元へ
エネルギーが流れ
徐々に
物質化される
ストーリーが見えてくる
大宇宙のつくったストーリーが。
夏休み。
東日本大震災以来初めて、原発のある福島県双葉郡へと足を踏み入れた。踏み入れたといっても、青森へ行くのに常磐高速を一路仙台方面へと向かう車中からの見学だったが。
双葉郡。二十代前半の頃には仕事でよく訪れていた土地ということもあり、思い入れもあった。
この日、どんな景色を見ることになるのだろうか?
不安と少しの恐れから、胸のあたりに重苦しさを感じながら、車は双葉郡へと入っていった。
なんとなく懐かしい景色。しかし、各町ごとに設置されているのか、高速道路脇には線量を示す大きなパネルが設置されている。
常磐高速と同じく仙台方面には、国道6号線が走っているのだが、車は通過することができるが、バイクはダメらしい。検問などを行なっているわけではないので、絶対的にとか、法的にというよりは、自己責任で!くらいなのだろうか。
確かに、バイク走行中に、まかり間違って原発が爆発したりするなら、広島・長崎の原爆投下のごとく、瞬間的に被爆をしてしまうことにもなりかねないからだろう。
もちろん、そんなことにはならないよう、作業員の方は日夜努力をされているのだろうが。
ふと、震災直後、地震、津波、原発と混乱が冷めやらない頃、福島県いわき市に住む父が、あれこれ詰め込んだバックを見せて、「原発が爆発したら、これをもって新潟方面へ逃げる」と言っていたことを思い出した。
あの頃、福島に住む人々はある意味、命の戦いだったようにも思う。
そして、この夏、改めて福島第一原子力発電所のある地を、この目で見た。
双葉郡はいくつかの町から構成されている。
第一原発から少し離れている町には、徐々にひとが戻り始めてるいる。と、いっても。以前のようなわけにはいかないが。
高速道路脇にある線量計が示す数字も、まだ低い。
それがひと町を過ぎるごとに、数字が大きくなっていく。
まもなく、第一原発がある町に近づく頃だったろうか、記憶の中にある町を呼び起こしながら、外の景色を眺めていた。
エネルギーが変わったと思った。
まるで、そこは・・・・
無音。
そんな言葉が浮かんだ。
周囲の景色を眺める。
無造作に伸びた草木たち。自然のエネルギーが強いかというと、そうではない。
そして、また、浮かんだ言葉が・・・
不自然な自然。
この場所は、以前、人間とともにあった場所。
人間と自然が共存していた場所。人間界にある自然。ひとと自然が影響しあい、その場のエネルギーをつくりだしていた場所。
なかなかいい表現が見つからないのだが、とにかく、ひとと自然が共存していた場所だったのだ。
ひとは自然に生かされ、自然はひとに行かされる。
そんな場所だったように思う。
しかし、原発問題で、その地からひとがいなくなった。
補い合っていたものが崩れた。
ひとを失った自然は、エネルギーが変わった。それはもしかすると自然界にはない原子力の影響も大きいのかもしれない。
ひとが動くことによって作られる空気の流れがない。そのせいもあって「無音」という言葉が浮かんだ。
霊的バランスが崩れた。
霊界に穴が空いた。
この世界に、「不自然な自然」ができた。
大宇宙には、原子力の計画にはなかった。
少し前に見たメッセージ。
幽界の力によって作られたエネルギー。
しかし、いまでは、当たり前のように、それに大きく依存し、この世界の生命線。
ひとを生かすための、基盤ともなっているエネルギー。
9月2週目にやってきた台風15号の影響でまだまだ大変苦労されている土地やそこに住む人々がある。
強風によってたくさんの電柱が倒れている映像をテレビで見たとき、ふと、東日本大震災のときのことを思い出し、改めて「電気」についてを考えさせられた。
電気がなければ不便このうえない。不便どころか、生活全般もたちゆかず、命を落とすひともある。
さて、困った。
大宇宙の計画にはないものは、これから長い時間をかけ、いずれ、大きな力によって無くされていくだろう。
さらなる自然災害が立て続くかもしれない。
大きな傷を残し、ひとは考えさせらる。
そうやって大宇宙は、じわりじわりと、人間意識に働きかける。
なかなかヘビーだ。
いろんなことが傷ついていく。
ひとは何かを失い、こころが傷つき、奮起する力も勇気も無くしてしまうかもしれない。
失意。
そうならないように、この世界の不自然が自然な流れになっていくことを祈らずにはいられない。
そうならないように、気づいた魂が、目醒めた魂が、幽界にあるエネルギーを自分自身の霊体を通して解放していく。
点と点は、線になり、線は輪郭を現す。
言葉と言葉は、文章となり、やがて、ストーリーを現す。
倒れた電柱をみたとき、わたしの内なる世界で、何かと何かがつながった。
現れたのは、その前の週に訪れた出雲大社で撮影した「光の柱」の写真だった。
なるほど・・・
光の柱とはそういう意味だったのか・・・・
電柱ではなく、光の柱。
地球のアセンション完了は、原子力からの卒業といわれている。
もちろん、今日明日のことではない。
これからときをかけ、どんどんと地球はアセンションしていく。
ひとの意識もそれに追いつけ追い越せで変わっていく。
風力なのか?
水力なのか?
どんな原動力に変わるのかは分からない。
しかし、いずれかの時期に、原子力に変わる原動力を軌道にのせる魂がひととなり、この世界へ現れるのだろう。
もしかしたら、ウォークインかもしれないが・・・。
大宇宙が見定めたときに・・・。
それに向け、それぞれの役割の魂は、準備をしておく。整えておく。
大宇宙の計画。
「つなぐ」魂は、
大宇宙からの聖なるエネルギーが地球に、この世界に流れるように、どんどんと光の柱をたてていく。
ひとの中に
自然の中に
地球のアセンションが、宇宙全体の調和にも影響をおよぼす。
ひとりは、全体へ
全体は、ひとりへ
分かる魂が分かればいい!
ミッションを受けとった魂が、理解すればいい!
それぞれの魂を生きることが、地球、そして宇宙の調和へと導く。
焦る必要もない、急ぐ必要もない、頑張る必要もない。
ただ、魂の計画にしたがって、淡々と、粛々とそれらをこなせばいい。
すでに、始まっている・・・・。