年号が令和に変わる頃。
天空は龍神のエネルギーが強くなった。
「なんなんだ?」
と、訊ねてみれば、
さらに龍神のエネルギーは強まるという。それを我が身に受けきれない魂の転生が早まるという。
そのために、龍神のどでかいエネルギーを受け、この世界へ下ろすための変換器となる魂が必要だという。
これまで出会った神に仕える魂たちの顔が何人か浮かんだ。
継続的に連絡を取り合うひと、少しご無沙汰のひと。
ご無沙汰であっても、龍神がそういうのならいずれ会えるのだろう。人間的には急ぐ気持ちもあるが、その采配はすべて大宇宙が行うこと。ジャスストなタイミングでの出会い、再会がされるのであろう。
それから1ヶ月半。
やはり連絡があった。再会の時が設定された。
さて、龍神はどんなことを語るのだろうか・・・。
龍神も色々いるからな・・・誰だ? どの神のお使いなのだろうか?と、気になるところではあるけど。
そんなこんなで、祈り、瞑想の時間。霊界にいる時間が長いせいか、様々な神界へ通じるエネルギーがやってくる。
それは唐突なものだから、一瞬メッセージを預かったような気もするのだか、変性意識から戻ってくると忘れてることも多々ある。
自宅にいるときに波動の高いエネルギーも、低いエネルギーもやってくる。
波動の低いエネルギーがやってくるときは、大概、電化製品のラップ音で知らされる。
反対に波動の高いエネルギーがやってくるときは、毎月購入している「日田天領水」の注出口から何もしていないのに水が流れでる。
よくよく気づいてみれば、「日田天領水」という名前も意味深だ。身体に良さそうだからと定期購入を始めた水だった。
日田という地名から来ているのだが、漢字を一文字ずつ読み解けば、それぞれが八百万と強い縁を感じる。
それはある日の夕方の祈りの時間だった。
明日のセッションだったかワークショップだったかの祈りをしていたときだった。突然、日田天領水の水がタラタラッと2滴ほど落ちた。
「ん?」
直観が神エネルギーがやってきたと告げる。
「誰?」
馴染みのある八百万の名前をこころの中で上げていく。
三番目くらいに「磐長姫」という名前が浮かんだ。その瞬間に、また日田天領水の注出口から水が一滴タラっと流れる。
「磐長姫!?」
ちょっと驚いた。あまり馴染みがないはずだが、メッセージを携えてやってきたようだ。
※イワナガヒメ
『古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記する。他に苔牟須売神とも称される。
大山津見神(おおやまつみ)の娘で、木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)の姉。
木花之佐久夜毘売とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。(ウィキペディアより)
富士山本宮浅間大社のごお祭神の木花佐久夜毘売は馴染みがあっても、その姉神については余り知らなかった。
「なぜ? 磐長姫?」
少し引っかかるものがあり、ネットで調べてみると。
表舞台にはでてこない姫神だが、強いエネルギーをもつ神らしい。
「はて? で、わたしになんの御用・・・」
変性意識のときに、何かメッセージらしいものがあったような記憶があるのだが、ころっと忘れてしまった。
まずい!
だが、その後ふと思い出したのは、ある日のセッションが終わり、電車に乗って帰宅する途中。ある駅に差し掛かった。目の前に鬱蒼とした木々があり、小さな森になっている。
「神社があるのかな〜?」と、ぼんやりと頭に浮かんだ。
すぐネットで調べてみると、確かにあった。
浅間神社。磐長姫の妹神。木花佐久夜毘売をごお祭神とする神社だった。
磐長姫と木花佐久夜毘売を同一神という方もいらっしゃる。エネルギーの向き方が違うだけで、そうなのかもしれない。
折しもその日は、その神社のお祭りのある日だった。
20年ほどその路線を行ったりきたりしていたが、注視したのは初めてだった。
気づいていたけど、こころの目は開いていなかったのだろう。
お祭りに磐長姫が呼んでくれたとは思いにくい。もっと何か大事な御用があったのだろうが・・。
個人セッションやワークショップでの出会いは、大宇宙の采配。八百万ネットワークを介して行われることがほとんだ。
しかし、その魂の目醒め、人間としての状態によって見せられるものが様々。
すぐに神仕事を言わされることもあるし、とにかく、まずは癒し! ネガティブな感情を手放し、その思考を緩やかにして、五感を開き、霊的エネルギーとシンクロできる状態になるなど、状況に応じてガイドは見せる、言ってくる。
「あれ? このひとミッションあるんじゃないの?
と、わたしがこれまでの経験から気づいたとしても、ガイドが言ってこないのなら、出しゃばることはできない。
「まず、癒して、浄化してください。身体に負荷をかけている感情を手放し・・・」などを先行して進められる方も多い。
確かに、大宇宙からのエネルギーはどでかい。肉体が疲弊している状態ではそれを受けることができない。
また、ネガティブエネルギー満載、エゴ満載の状態では、聖なるコードにはつながらない。
そうは言っても、天界は目醒めを促してくる。
早く、早くといってくる。
先日のこと、ある個人セッションの前だった。
シャーマンのヒーリングミュージックを聞きながら、少し体を動かしていた。そしたら突然、天龍に加えて、地龍の映像を見せられた。これから会う方へのメッセージだろうか?
しかし、セッションでは龍のことを熱心に語らせられることは無かった。
それで自宅に戻ってから、改めて地龍にコネクトしてみる。
それは、黒い龍なのか? 赤なのか? 青なのか? いる場所が暗くて分からない。もう少し行ったらマグマが近くにあるようなので、反射で赤く見えているだけなのかもしれない。
最初は大きな龍が一匹? 一頭? っぽかった。
だが、一頭の龍から、その場所へ降りて行ってみると・・・そこには何頭もの龍がいる・・らしい。
長老的な龍が語る。
「小さな、小さな、小さな龍をお前に預ける。育てよ。それは、お前の意識からいまのことが忘れさられたとき、その場所で、なんらかの形で小さな龍に出会うであろう」
わたし。「いやいや・・龍を預けられても。しかも育てるって!? しかもそれは忘れた頃にやってくるって?」
しゅーりょー。長老の地龍はもうなにも語らない・・。
意味不明のまま、またこの世界へ戻ってくる。
手にはなにも持っていないけど・・・?
霊界にいると、現界・人間界でお目にかかることのないエネルギーとの出会いは続く。
それは昨晩の瞑想のときだった。
ふとカラスがやってきた。
「なんだ? カラス?」
頭の中に、「ヤタガラス」というメッセージ。
八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
(ウィキペディアより)
「ヤタガラスが何の用か?」
そうこころの中で尋ねると・・・
ヤタガラスは応える。
「天照大神からの伝言」だと。
が、しかし・・・しっかり聞きとれないわたし。
そこが肝心だろ!と、自分に突っこんでみる。
どうも変性意識にあったときのことは、後から忘れる。
そんなわけで、後からまた聞いてみた。
「この世界のエネルギーがまた変わる。だが、恐る必要はない」
ん〜 これも曖昧!
明日が夏至だからか?
そうか! ヤタガラスといえば、日本サッカー協会のシンボルマーク!
隣の駅にあるサッカー神社ともいわれる熊野神社へは、時々訪れる。
まもなく夏越しの大祓がやってくるが、ここ2年ほど参拝している。
それを思い出させるためだったのか?
実は今年は違う神社にしてみようかな〜などと考えていたのだ。
点と点。
それが線でつながっているようで、やっぱり点と点のようなメッセージが毎日やってくる。
気づかぬうちにやり過ごしてしまうこともあるし、あれ?これ・・・は?と、身震いするほどの経験につながることもある。
なかなか難解というか、頭で考えると全く答えのでないメッセージばかりだ。
だから、人間としての価値観を手放し、感覚だけになることが大事なのだ。
だが、いえることは確実にこの世界のエネルギーは変わっている。
だからこそ、目醒めのときがやってきている魂の覚醒が急がれている。