なにかが変だった。
自分がおかしかった。
肝(はら)の力が抜けているような、身体全体がフニャンとする。リラックスしているといえばそうだが、奮起しない、創造的になれない。
なんだこれ?
同じくして、ネガティブなイメージが頭の中に入りこみ、思考とコントロールし、感情を揺さぶり、身体がダルくなる。
なんだこれ?
わたしなのか? わたしではないエネルギーなのか?
いや、わたしの魂のエネルギーではない。
ダークエナジー。
なにかを通し、なにかに、誰かに憑いてやってきたのかもしれない。
それがわたしの中にあるネガティブエネルギーとシンクロし、心身魂に影響をおよぼす。
ある日のこと、テレビで「ジャンヌ・ダルク」の映画が放送されていた。
たまたまテレビをつけ、合っていたチャンネル、見せられたのはそれだった。終わりまで残り30分ほど。ジャンヌが捕らえられたあたりから。
その内容にメッセージ性を感じた。
ジャンヌ・ダルク
ジャンヌは現在のフランス東部に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、のちのフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えた。
ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言された。その後ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となっている。(ウィキペディアより)
ジャンヌ・ダルク。知っているような知っていないような・・。
だが、映画の内容に描かれたジャンヌのこころの葛藤は、こちらのこころも揺さぶるものがあった。
果たしてジャンヌは、純粋に神の御名において戦いをしたのだろうか?
そこに、人間としての怒りや苦しみ、復讐、民衆からの期待を背負い、自分ではないネガティブなエネルギーにつき動かされることは微塵もなかっただろうか?
革命、戦争・・・。
時代が代わるとき、時のスピリットは「こと」を起こす。そして、その代名詞となるような「魂」を選ぶ。
ヒーローにしろ、アンチヒーローにしろ、見えざるエネルギーによって動かされ、気がついたらその場に座っている。
この世界へのメッセージのために。
そんなことを想いながら、わたし自身の背中に重苦しさ、痛みに気づいた。
その痛みがとても気になり、しばし、その部位にフォーカスする。
身体からのメッセージは「期待」だった。
自分自身への期待、他者からの期待。時空を超え、過去性から続く「期待」がわたしの背中を押さえつけ、のしかかり。それに応えさせようとする。
わたしはジャンヌ・ダルクの魂ではない。
しかし、時代の変革のときを選んで転生していることは気づいていた。
戦いにつぐ、戦い。
その記憶は今生でも影響を及ぼし、組織の中で戦っていた。
どんな時代でも大宇宙の聖なるエネルギーを広めるため、正義の戦いだと思ってやってきた。
しかし、これまでそうはならなかった。自分の影、ネガティブなエネルギーに負け、それはエゴのための戦いとなることはほとんどだった。
もう止めよう。
戦いは止めよう。
戦いのカルマ。わたしはそれに気づいたとき、手放そうと思った。
それが試されるときがやってきた。
あるセッションの日。会場のある青山一丁目駅へ降り立ち、改札へ向かう途中で目に留まったのが、箱根・塔ノ沢にある弁天様のポスターだった。
「へ〜 ここにも弁天様があるんだ〜。来いってことかな・・?」
軽く考え、改札を抜けた。
その日もいつもと同じようにセッションは始まった。
しかし、強烈な波動の低いエネルギーを感じ、わたし自身も影響を受け始めたことに気づいた。
それはひとの想念でもあるし、邪霊化しているようにも思えた。
こころの中で、波動の低いエネルギー体に向かって「クソッ」と思う瞬間もあった。
それでも邪魔をされつつも、なんとかセッションも終わり、家路に着いた。
だが、途中で波動の低いエネルギーの影響がまだまだ残っていることに気づいた。
グラウディングがしにくい、ネガティブな思考になる、気持ちが不安定になる。
異次元へ引っ張られるような身体的な感覚もあった。
もしかすると乗っていた地下鉄の同じ車両にわたしが影響を受けた波動の低いエネルギーにシンクロする魂があったのかもしれない。
エネルギーを整えながら自宅の最寄り駅まで帰り着いた。
「こりゃ、今日は念入りに浄化しないとな・・・」
などと思いながら自宅に到着し、夕飯にしようと冷蔵庫に入れておいたカレーをスプーンですくった・・・ら、ば、
スプーンがバッキリと折れた。
しばし、唖然!
折れそうもないスプーンが・・・
ものの見事に、ふたつにバッキリと折れた・・・
なんですとぉぉぉぉ〜。
スプーンが折れた!
ダークエナジー。
すぐさまメッセージがやってきた。
クッソォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! クソッ!
わたしは、行こうとする道を邪魔されたり、足を引っ張られたり、卑怯なことされたりすると、ちょームカつく! 反撃する!
自分から何かを仕掛けることはしないが、やられたら、態度にも言葉にも怒りははっきりだす!
ってな感じで生きてきた。
が、
スプーン折ったね〜〜。
その数日前から、ダークエナジーの影響は少なからず感じていた。
が、
こうきたか!
なんだそれ? 脅しか? 脅迫?
誰に向かって怒っているんだか?・・と、思いつつ・・・。
「こりゃ、まずい!」と、わたしのスピリットガイドは思ったのか、イラっとした瞬間に、ジャンヌ・ダルクの映画の場面を思い出させる。
な〜る〜ほ〜ど〜。こうやってダークエナジーは、わたしの中のネガティブなエネルギーを刺激してくるのか・・・。
「うっかりノッてしまうところだったぜぃ」
まるで映画だなこりゃ・・・。
アメリカのSF映画はそんな興味がなくて見ていないが、結局こういうことなんだろうな〜と、身をもって理解する。
「恐れ」や「服従」が支配する魚座の時代から、「調和」の水瓶座へと時代が変わった。
男性性から女性性へ。
時代を表すこの世界のエネルギーも大きく変わりつつある。
霊的世界では、変革のとき、しばし、聖なるエネルギーvsダークエナジーの様相となり、現界もその影響を受けるだろう。
地球上の様々な場所で神界のエネルギーが猛威を振るう。
ある時は、水の神による大洪水であったり、ある時は太陽の神の干ばつであったり、ある時は大地の神、山の神、火の神による大地震だったり・・・。
それを経てのようやく本格的なアセンションが誰しも体感として分かるようになるだろう。
それをサポートするための魂たちも忙しくなってくる。
こんなところで、ダークエナジーの思う壺になってる場合じゃなかった。
怒りに任せて、挑んではこれまでと同じように負け戦だぜぃ。何度も同じようなことやってれば、さすがに魂も成長する。
怒りや憎しみではなく、その審判は大宇宙へ任せよう!
そして、外を何か変えるのではなく、わたしの内にダークエナジーに同調するネガティブなエネルギーがあるのなら、人質としてとられるようなエネルギーがあるのなら、それを手放すことに終始しよう。
暗闇に光を!
憎しみに愛を!
悲しみに笑いを!
わたしならできる!
薄気味悪いほど暗い場所なら、嫌味なくらい明るくしてやるぜぃ!
それからの数日、内省、内観。自分を癒し、エネルギーを整える。
浄化のために、箱根・塔ノ沢にある弁天様へ行ってみた。
そこにはなんと!
祓いの大神・瀬織津姫が鎮座していた。
そしてまた、次の扉が開かれる。
なるほどね〜。
2日ほどチャネリングの講座を受けたときがあった。
その時の外国人講師が、こちらが不安になるほど「地縛霊」の話をされていた。
半分はその話だったのではないだろうかと、いま振り返っても思える。
ご自身の体験も含めて話をされていたが、見えざる世界にコネクトすることは場合によっては波動の低いエネルギーにも行き当たる。
だからこそ、自分を整える、自分軸をしっかりもつこと、メンタルを安定すること、身体の健康を保つことは必須だ。
どれかひとつでもないがしろにしても、正しいチャネリングもリーディングもできない。
邪なるものを見せられ、弄ばれる。また、自分のうちにネガティブなエネルギーが多くあれば、そこと引き寄せがあるだろう。
わたしは霊媒ではないので、地縛霊。いわゆる幽霊的なものは見せられないが、それでも波動の低い他者の想念などは身体でキャッチすることがある。
自分軸、大事ね!
ところで、神界のエネルギーが活発だ。
わたしのセッションへいらっしゃるスターシード、イナンナのエネルギーをもつ魂たちの幾人かは、八百万や精霊からのメッセージをもってやってくる。
実際にはどの方もご自分の人生や生活、肉体的な悩みがあっていらっしゃることが多いのだが、霊的にはそれは表向きのことだったりする。
わたしは、そのメッセージを読み解き、神のお使いさんたちに八百万や精霊たちがやって欲しいことをお伝えする。
どうして悩むのか?
どうして幸せを感じないのか?
どうして体調が悪くなるのか?
そのほとんどが、魂の本質と生き方が合っていないからなのだ。