時のスピリットが列をなして、わたしの目の前を通り過ぎていく。
わたしは、座ってただそれを眺めている。
ただ、そこにあるだけ。
時のスピリットが様々な現象を起こし、通り過ぎていく。
その列に飲み込まれたなら、その間いっ時、誰かの人生を生きる。
今生を生き、終わればまた列から離脱する。
オールドソウル。老齢期の魂は、あらゆることを俯瞰する。
それはまるで霊体をパラレルにして、あっちからとこっちからと眺める。
さらに上階では、魂本体がその様子を俯瞰する。
魂がお休み、霊界にあるときはできないこと。
今生だから、3次元だからこそできること。
「感情」の学び。
五感を通してキャッチした情報で、自分のうちにどんな感情が湧き上がるのかを体験する。
そして、学びが終わった感情はdeleteされていく。
例えば、魂が「悲しみ」という感情を体験したかったとする。
そのために人生のストーリーが設定される。
愛犬との別れ、愛するひととの別れ、友人との別れ、愛着のあったものとの別れ・・・。
様々なシチュエーションを作る、「悲しみ」を体験する。
しかし、1度の悲しみが大きく、深いものだと、ひとは2度とそれを味わいたいと思わなくなる。
例え次が、「悲しみ」を経験して、それを「手放す」というストーリー設定になっていたとしても、見ないように、経験しないように、あらゆる手段を用いて逃げる。回避する。脱走する。
回避した情報は、罪悪感など二次的な複数の感情とともに、蓄積される。
「あれ? 変だ。回避したはずなのに、前より、気持ちや身体が重くなっている・・・」
苦しい、見たくない感情はネガティブなエネルギーとなって幽界へと保存される。
またひとつ、魂の周辺にもやがかかった。
この世界全体が恐怖に支配され、ダークなエネルギーに取り囲まれたとき、誰もかれもが苦しい感情をみることをやめた。
誰もかれもがその恐怖から逃れるために、快楽へ、刹那的になった。
生きることの意味、輪廻転生の意味は、感情を経験し手放すことでもあったが、反対方向へ仕向けられた。
それは、何千年か後の地球の破滅を目論んだダークエナジーが周到に用意したトラップのようだった。
世界は変わらず、楽しさ、美しさ、キラキラ、ワクワクを求め続けている。
そうすれば幸せになれる。天国へ行けるとばかりのアピールで。
楽しさを求めるのは、こころの奥底に、閉じられた扉の向こうに恐れがあるから。
美しさを求めるのは、見ることなくしまわれた箱の中に、過去生から続く醜さがあるから。
キラキラに憧れるのは、魂の周囲に灰色の大きなもやがかかっているから。
ワクワクしたいのは、ネガティブエネルギーで心身がいつも重くなっているから。
幸せならば、こころが軽いのならば、ひとは必要以上に楽しさがワクワクは求めない。
あるがままが幸せならば。
そうではないから、反対のことを求めている。
幸せ、美しさ、健康、楽しさ・・・街には聞こえのいい言葉が溢れている。
なぜか? この世界が幸せはないから。
さて、大宇宙はライトワーカーたちへの目覚めを促し始めた。
目醒めないことには、大宇宙の聖なる愛のエネルギーを受信することができない。
自分自身が光多い魂とならなければ、闇のエネルギーに向かうことはできない。
映画などでよく見る、麻薬捜査官が潜入捜査に入り、取り込まれ、結局自分が身を滅ぼすという状態になりかねない。
大仕事だからといって、意気込む必要はない。何か特別なことをする必要もない。
武装することも、武器をもつことも、技術を学ぶ必要もない。
ただ、目覚めればいい。魂に気づき、それを生きればいい。
類は友を呼ぶ。
周波数は周波数に反応し、魂がシンクロニシティを起こす。